Gallery of the Week-Sep.05●

(2005/09/30)



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Graphic Wave 2005
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

今回のGraphic Wave 2005は、谷田一郎氏、東泉一郎氏、森本千絵氏という、1960年代生まれ、1950年代生まれ、1970年代生まれと世代も違えば、CM・映像出身、インタラクティブ出身、グラフィック出身と、そのルーツも違う3人のアーティストのコラボレーションとなった。それだけに、手法も今までのGraphic Waveとは大いに異なる。
それは、基本的にggg全館を用いて、イベント型インスタレーションにしてしまおうというモノだ。各人の個々の作品がどうのこうのというのではなく、この場を活かして、それを作品にしてしまおうという試みは、なかなか新鮮なインパクトがある。確かに、ここの要素を見ていくと、それなりにいろいろいいたくもなるのだが、全体の「仕掛力」の前には、どうでもよくなってしまう。
それは当人達が、このインスタレーション作品(=Graphic Wave 2005)を、何よりもまず楽しんじゃっていることから来るエネルギーだ。送り手のポジティブなパワーは、なによりイベントの活力の原点である。はい、座ぶとん一枚。



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東京都写真美術館コレクション展
写真はものの見方をどのように変えてきたか 4 混沌 現代、そして未来へ
東京都写真美術館 恵比寿

東京都写真美術館コレクション展「写真はものの見方をどのように変えてきたか」も、いよいよ最後の第四部。1970年代以降、現在までを扱う「混沌」の章となった。最初に4回通し券を買っていたので、予定調和なのだが、今回も恵比寿へ向かう。今回の展覧会は、まさに現代といえる1970年代以降の写真の状況を、アメリカ、ヨーロッパ、日本という三部構成で見せるモノだ。
一口に1970年代以降といっても、それまでのジャーナリスティックな視点に代わり、表現としての写真が確立してから、現代アートの主要な表現形式の柱となるまで、ある意味では、それ以前の写真界の変化以上の大きな変化があった時代である。それを、限られたスペースと作品数の中で、主要な作家を網羅しつつ、コンパクトにまとめている。
さすがに、この時代はリアルタイムで経験しているだけに、どの作品も、それなりに記憶に残っているモノが多い。それだけに、掲出されている作品は一点であっても、それにつながる同作家の作品や、同時代の他作家の作品などが、連想的にイメージされる。確かに、どの作品をキーにしても、それに連なる作品で展覧会が開けてしまうのだから、展示に奥行きを作ってくれる。しかし、その分、もっと所蔵作品を見てみたい欲求にもとらわれる。ティーザー効果としては、なかなかウマくいっているかもしれない。



9/3w
ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]
国立西洋美術館 上野

日本におけるドイツ年2005/2006の一環として開かれる、ドイツの古都であり、芸術の都としても知られるドレスデンの国立美術館のコレクションを紹介する展覧会。ドレスデン国立美術館は、神聖ローマ帝国時代のザクセン候国の「美術収集室」のコレクションがベースとなっており、第二次大戦中の空爆にも耐え、ザクセン黄金自体の文化を今に伝える貴重な遺産となっている。
そもそもドレスデンがあるザクセンといえば、ドイツの中でも最も東欧よりにある州でもあり、ユーラシアマニアとしては、いったいどのような文化が栄えていたのかは、なかなか気になるところでもある。展覧会は、天文や測量といった科学技術、オスマン・トルコ、イタリア、フランス、東アジア、オランダ、ロマン主義という7つのパートから構成されている。
なるほど、文化の交差点らしく、東西南北数々のルートを通して、交易の進む世界中の文物が、文化と共に流入し、その融合の中から新しいスタイルが生まれていく様子が、よくわかる。たとえば、名高いマイセンの磁器も、東方の技術や文化に関するいくつものルートがあったからこそ、他に先がけて完成させられたものだろう。また、それらがルネッサンス以降のヨーロッパの文化と組合わさり、その後のモダニズムに通じる流れを準備したコトもよくわかる。
もう会期も終わりではあるが、新鮮な発見があり、得るところの多い展覧会である。近代西欧文化については、当たり前の知識は充分にあり食傷気味というヒトにも、より東方の世界の拡がりという発見を与えてくれると思う。蒸し暑い平日の真っ昼間であったが、なかなか入りはよかった。



9/2w
建築家 清家清展
汐留ミュージアム 新橋

時間もないし、台風も来ているということで、今週も続けて近場で失礼。今年の4月に世を去った、戦後の代表的建築家の一人、清家清氏にスポットライトを当てた回顧展。今年が、氏の代表的作品である「私の家」の建築から50周年にあたることから、「私の家」の原寸大模型を中心に、多面的に活躍した足跡を幅広く紹介する。
とはいっても、汐留ミュージアム自体が、非常に限られたスペースであるため、まさに清家氏の設計した家のごとく、限られた空間を多面的に活用した展示となっているのが面白い。西欧のモダニズムの中には、ジャポニズム経由の「和の合理性」が色濃く反映されているが、氏はそれとは違う文脈の中から、和を追求し、その到達点としての別のモダニズムに行き着いたコトがよくわかる。
しかし、それにしても建築家にして清家氏というのは、名前としてもあまりにハマり過ぎではないか。「家相の科学」が出た子供の頃、この名前は知っていたのだが、当然ペンネームだと思っていた。この手は政治家には時々あって、1970年代の田中内閣の町村自治大臣というのも、草の根自治のイメージで実に適役だし、1960年代の池田内閣には黒金官房長官という、どう見ても賄賂づけで真っ黒としか思えないヒトもいたりしたのを思い出した。





9/1w
「鉄道技術と暮らし、その身近な関係」
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 新橋

来年秋の「鉄道博物館」開館に向けて、東日本鉄道文化財団は、段々リキが入ってきており、交通博物館の企画展をはじめ、事前関連イベントがいろいろと開かれるようになった。本展覧会もその一環として、開催されるモノである。今までの交通博物館をはじめとする産業博物館は、ともすると、ハードウェア中心の展示になりがちであったが、新しい鉄道博物館は、鉄道の持つソフト面の展示や解説にも注力するという。それを先取りしたカタチで、鉄道のマン・マシン・インターフェースともいえる、「表示」にスポットライトを当てた展示である。
具体的には、行き先を示す「サボ」や駅名標、構内の案内といった、鉄道関連の表示の実物を展示するとともに、その時代背景や、表示・デザイン技術とのつながりを見せてくれる。お上が「乗せてやる」時代には、表示も、墨跡も黒々とした手書きをベースとした、「見せてやる」モノだったのが、戦後の高度成長と共に、マス・マーケティング的発想が導入され、「いかに見やすく、わかりやすい」モノかを目指すようになる。そして、国鉄の民営化ともつながる、バブル〜バブル崩壊後の時代においては、「どれだけ楽しく、気分よくご利用いただくか」が問われるようになる。
会場でも、昔のニュース映画から、駅名や列車名の写っているシーンを集めたヴィデオが上映されていたが、まさに鉄道の表示というのは、ランドマークであると共に、エイジマークでもある。映画やドラマの考証ではないが、それらしい時代感を出すのには欠かせない要素でもある。鉄道ファンでなくても、都会の歴史や、時代風俗に関心のある向きには、興味が尽きないであろう。



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