Gallery of the Week-Dec.05●

(2005/12/30)



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日本の子供60年
東京都写真美術館 恵比寿

戦後60周年を記念して、日本写真家協会が主催して行う企画展。24000点の写真の中から選ばれた、148人の写真家が撮影した204点の作品で、1945年から2005年までの日本の「子供たち」の変遷を追ってゆく構成になっている。148人の写真家の中には、プロからアマチュアまで、多様なヒトがいるし、作品も、極私的な「記念撮影」から、アーティスティックな作品や、ジャーナリスティックな作品まで、多種多様なモノが含まれている。
こうなってくると、ある種「コンテスト」同じで、コンピレーションの選者の指向やコンセプトが、展覧会全体としての方向性を考える上では、非常に重要なファクターとなってくる。どうも、今回のそれは、撮影された各年代ごとの「時代性」を打ち出すより、時代を越えて変わらない「日本の子供らしさ」を描き出す方に、軸足を乗っけているように見受けられる。
まあ、これは「戦略方針」なので、どうこういうべきモノではないのかもしれないが、もっと時代による違いを強調する編集をした方が、「60年」という趣旨にはあっているのではないか、という気がしてならない。それでも、時代が写りこんでしまうのが写真の面白いところ。全体を見通すと、子供の生活という面でも、「60年代末から70年代アタマ」が大きな転換点になっていることが見てとれるのが面白い。


12/4w
スイスポスター百年展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

スイスのデザインというと、工業デザイン系は比較的接するチャンスも多いし、それなりにイメージも湧くが、グラフィックデザイン系となると、すぐにはピンとこない部分もある。ある種、グラフィックデザイン界の様子が今ひとつわからない、というのは、日本から見た場合、ヨーロッパの中堅諸国には共通する問題かもしれないが、そんなスイスのグラフィックデザインの歴史を、ジュネーブ大学付属図書館が所蔵する19世紀末から現在までのポスター50点で振り返る展覧会。
ヨーロッパ各国の近代文化自体が、それぞれの国や民族の長い伝統と、相互の密接な関連の中から出てきたものであることはいうまでもない。その中でもスイスは、複数の言語が今も使われているコトからもわかるように、自国の中にすでに多様な文化を並列的に育んできたという特徴がある。当然、グラフィックデザインにも、フランス、ドイツ、イタリア各国のデザイン文化が、各言語圏に背負われるようなカタチで反映している。
それだけでなく、19世紀から20世紀にかけてのスイスは、文化のるつぼでもあった。画家や文人といった文化人が、本国の政変や革命とともに移住し、独特のアーティスティックな世界を築いていた。あのバウハウスの関係者が、ナチスに追われて多く移り住んできたのは、その一つの例である。このような歴史的経緯も、スイス独自のグラフィックデザインの世界を築くのに大きく貢献している。
結果、ほぼ近代ヨーロッパのグラフィックデザイン史を、駆け足で走りぬけるような世界と、独自のアーティスティックな世界が融合した、スイスならではのデザイン世界が出来上がっている、という次第。限られた数のポスターではあるが、なかなか考えさせられることが多い。今でもファインアート系の「画家」と、グラフィックの「デザイナー」の境目が曖昧で、両方に跨がって活躍しているヒトも多い、という話も、世界はアメリカ型のモデルだけではないと、改めて感じさせるモノがある。


12/3w
life/art '05
資生堂ギャラリー 銀座

2001年の資生堂ギャラリーの再オープンにあわせてスタートした、今村源、金沢健一、須田悦弘、田中信行、中村政人の5氏による共同展である、life/art。今回はいよいよ、5カ年計画の5回目。最終年である。いままでは、毎回テーマを決め、5人による競作・共作という形態ととっていたが、最終回は「リレー個展」というスタイルで、一人づつの勝負と相成った。
初っ端に登場したのは、前回のlife/art'05でリーダーシップを取った今村源氏。日用品を利用したり、どちらかというと楽しいタッチのオブジェを得意とするアーティストだが、今回はなかなか剛速球で勝負。アルミのパイプを組み合わせたオブジェを、資生堂ギャラリーの空間いっぱいに展開した作品である。
もともと、資生堂ギャラリーでのインスタレーションというのは、「この限られた空間を、どう自分の世界にしてしまうか」、というところがカギになる。この場合、「自分の作品や世界観で、どう空間を埋めるか」というのが普通だが、今回の発想はまさに逆。いわば「空間に合わせて、作品を作ってしまえ」、というアイディアだ。
まさに「柔よく剛を制す」というか、少なくとも、今回の作品を見ると、こと資生堂ギャラリーに限っては、空間の個性というものがミニマル化されていることもあり、器にヒトを合わせた方が、却って個性がでてくるようだ。もしかすると、当分この手は出まくる可能性も高いが。


12/2w
「あゝ、荒野」展 寺山修司 森山大道
ロゴスギャラリー 渋谷

60年代の新宿を舞台とした、寺山修司氏の唯一の長編小説「あゝ、荒野」が再版されるに当たり、森山大道氏の撮影した60・70年代の新宿の写真211点が挿入され、新たな作品として生まれ変わった。寺山氏と森山氏といえば、68年の「にっぽん劇場写真帖」でのコラボレーションが知られるが、今回の展覧会はこの出版を記念した、両氏の持つ「60年代新宿」的世界をイメージした企画展である。
80点あまりの森山氏のオリジナル・プリントと、寺山氏の短歌のパネル、その他関連資料からなるコンパクトな展示だが、まさにその時代の新宿のごとく、この広さの会場のワリには、密度と内容が濃い。いつものことだが、60年代末から70年代というのは、まさにぼくがティーンエージャーだった時代。新宿も、夜の色街こそ知らないものの、リアルタイムで空気を感じることができた。
そういう時代を全く知らない世代がどう感じるのかはわからないが、ぼくらにとっては、一つ一つの写真や資料が、まさに記憶のフタを開くためのカギのような存在である。ましてや、ぼくは当時写真少年。まさに、「超広角レンズ+増感による粒子の荒れ」みたいな写真を撮っては、森山氏のような当時最先端の写真家を気取っていたりしていた。雑誌等を通して知っているカットも多いが、オリジナルプリントならではの情報の多さに、けっこう思わぬ発見がある。
その一つに、この時期を通して、新宿自体が大きく変わっている、という点がある。「戦前の繁栄をもう一度」という「戦後の新宿」と、今につながる東京最大の繁華街としての新宿。この二つの顔がこの時期には同居し、かつ、この二つのフェーズを移行しつつあったことに改めて気がつく。まあ、それに気付くコト自体が、相当に年を喰ってしまった、ということと同値なのだが。



12/1w
横須賀功光の写真魔術「光と鬼」
東京都写真美術館 恵比寿

写真が、時代表現の最先端を走っていた1960年代。その時代性が、最も尖鋭に求められた広告写真とファッション写真の分野で、独自の境地を築いた巨匠、横須賀功光氏。2003年に亡くなった、彼の写真世界を振り返る回顧展である。
横須賀氏の商業作品は、当時を生きていた者なら、メディアを通して誰でも目にしている。また、光と陰が交錯する瞬間を切り取った、独特の芸術性あふれるアート作品も、写真好き、アート好きな者であれば目にしている。しかし、表現者としての彼の全貌は、なかなかリアルタイムでは掴み切れなかったのではないだろうか。
このイベントは、そんな「横須賀ワールド」を、独特の展示法で三次元的に現出させた、ユニークな写真展である。通常の写真展とは違い、展示されている作品は、一つ一つを見せるというのではなく、会場の中に幾何学的に配置され、それぞれにユニークな照明が当てられている。いわば、会場自体が横須賀氏の光のマジックを抽象化して表現したインスタレーションになっているのだ。
もちろん、個々の作品を味わうコトも可能だが、それ以上に、この「見たこともない」ような空間の存在感に圧倒される。最初は、「一体、これはどうやって見るのか」ととまどいを感じてしまう。しかし、写真作品を見るのではなく、この空間という作品と一体化し、それを感じればいいのだ、と気がつくのにそんなに時間はかからない。一度体験しない限り、説明のない、まさにマジカルな世界である。



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