Gallery of the Week-Mar.06●

(2006/03/31)



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東京駅所蔵の品々と写真で辿る「東京駅の歴史展」
東京ステーションギャラリー 丸の内

東京ステーションギャラリーの運営自体は、前回の前川國男建築展で一旦お休みになってしまったのだが、今回は、場所のみを利用し、「東京駅ルネッサンス」関連のイベント会場として開かれた展覧会。ステーションギャラリーだけど、ステーションギャラリーじゃない、という不思議な位置付け。喫茶も、閉店したところに、イベント協賛社のサントリーが期間限定で出したカフェになっている。
内容は、かつていろいろな事情により東京駅に寄贈された美術品と、パネルや関連資料による東京駅の歴史の展示からなっている。美術品はいわば玉石混交だが、戦災にあったせいか、すべて戦後のもので、戦前のものが失われてしまっているのが惜しい。歴史は、汐留の鉄道歴史展示室でやっているイベントのような感じ。明治・大正期のものは、資料にしろ写真にしろ、ほとんどどこかで見たことがあるものだが、昭和になると、けっこう珍しい写真とかも出ている。
基本的に入場無料というコトが大きいのだろうが、平日の昼間でも、けっこうヒトが入っている。まあ東京駅なら、どんなヒトでも、それなりに思い入れはあるかもしれない。あくまでも印象としてだが、こんなに東京ステーションギャラリーにヒトが入っているのは見たことがないかも。



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国宝天寿国繍帳と聖徳太子像 飛鳥の祈り
東京国立博物館 上野

聖徳太子御忌日記念特別公開と称する、東京国立博物館・法隆寺宝物館の特別展示。伝世した最古の刺繍として知られる、中宮寺蔵の国宝「天寿国繍帳」と、法隆寺に伝わるこれまた国宝の「聖徳太子絵伝」に加え、絵伝とともに法隆寺絵殿に安置されている聖徳太子7歳像を三点セットで展示する。
どれも、何度も実見したことがある有名な作品だが、聖徳太子モノときては、聖徳太子マニアの当方としては、かかすワケにはいかない。それにしても、法隆寺宝物館は開設時の特別展以来。比較的時間があったので、収蔵の小型の仏像をじっくり見れたのだが、意外なほどエキゾチックな顔つきの仏像が多く、伝来当時の「舶来感」が伝わってきたのは、新しい発見。
平成館は、来週からの企画展に備えて準備中。表慶館は、補修工事中。と、純粋に常設展部分だけの東博ではあったが、裏の「お庭」が春の公開中。ここには何度となく来ているが、庭公開のシーズンに、それだけ時間が空いていたことがないせいか、庭には一度も入ったことがないのだ。
興味津々で入ってゆくと、実は庭も展示の一部で、江戸時代に遡る、由緒ある茶室や庵が収蔵品として移築されている。どれも、よく保守され、状態がいい。中にこそ入れないものの、すぐ脇まで行って、じっくりと見ることができるというのは、なかなか充実している。これも、大穴かもしれない。



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life/art '05 Part5
資生堂ギャラリー 銀座

5年目のlife/art、リレー個展の展開もいよいよ最後。このシリーズも、大トリと相成った次第。今回の主は、須田悦弘氏の登場である。須田氏の出し物といえば、ほぼ見当はついてしまうし、実際life/art '05のパブリシティーではネタばらししてしまっているのであるが、木彫の椿である。
数個の椿だけが出し物だと、例の「家」とは違って、資生堂ギャラリーもけっこう広く見える。すぐわかるところにいるヤツもあるが、「ウォーリーを探せ」よろしく、「まだいるんじゃないか」と必死に探し出すと、けっこうハマる。
全部見つけたかどうかは定かではないが、受付の花瓶に生けちゃったヤツとか、壁のガラスの裏側に隠したヤツとか、見つけると思わずうれしくなってしまう。これを、会期中毎日場所を変えていたりしたらスゴいのだが、いったいどうなのだろうか。
とかなんとか考えていると、けっこうこれはこれで面白く楽しめてしまう。天井からぶる下がった照明のフレームの裏とか、踊り場からじっくり覗いたりして。そういう意味では、作者の術中にハマってしまった、ということだろうか。けっこういいオチではある。



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シアン展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

東西の壁が崩壊した直後、1992年にベルリンで旗揚げしたグラフィック・デザインチーム、CYAN(シアン)。ダニエラ・ハウフェとデトレフ・フィードラーの二人によって構成されるこのチームの作品は、ドイツでも最もアバンギャルドな作風によって知られている。その14年間の活動を、ポスターを中心に、雑誌、パンフレット、書籍などを通し紹介する展覧会。
どこからイメージが湧いてくるのかわからないその作品の構成は、とにかくユニークでインパクト充分。アイキャッチャーがあって、テーマを暗喩する形象があって、というような、一般的なポスターとはことなり、作品自体が、それ単体で強烈なアイキャッチャーとなるコトに専念している。いざとなれば、メインの情報となるべきテキストさえ、インパクト追求の前には隅に追いやられる。
それでいて、全体の存在感の大きさゆえ、「これはなんなんだ」とばかりに好奇心をひかれ、情報にアクセスしてしまう。ある意味では、グラフィックによるコミュニケーションのあり方自体から見直し、「別解」を創り出しているようなものだ。そういう意味では、今やっているメディアの使い方やコミュニケーションの流儀も、ひとたびそれを疑ってみれば、まだまだいろいろな可能性を秘めていることを示唆してくれる。



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「幼子のためのおもちゃ」展
デザインギャラリー1953 銀座

スイスやドイツで作られた、乳幼児向けの木製の知育玩具を集めた展示会。1970年代以降に作られた、ネフ社、ジーナ社、ケラー社、ユシラ社の製品を集めてある。白木の作品、カラフルな作品、シンプルな形態、デザインに凝った形態など、いろいろな製品が集められている。
バウハウスデザイン(こんなものを、赤ん坊の頃から与えておいていいのだろうか(爆))の積木とか、デザイン的意匠をつくした製品も多い。単純な動きとか色とかは、乳児でも識別して反応することは経験済だが、この差が当人にどう感じられるのかは、正直、よくわからない。しかし、まあ、金を出して買い与えるのは、両親なり、爺さん婆さんなり大人のワケで、そちらにアピールするかの方が、実は大切かもしれない。
牛は色を識別できないので、闘牛士が振る布は、別に赤くなくても、白でも黒でも、なんでもいいそうだ。しかし、赤が一番勇壮な感じがして、観客が興奮するので、赤い布を振るのだという。
これもまた、それを買い与える大人が、魅力やなごみを感じる色カタチであるコトの方が重要だからこそ、こういう凝り方が必要なのかもしれない。「こけし」も、もともとの子供の玩具だった頃は、顔や胴体の絵柄のない、ただ球と丸棒を組み合わせただけのものだったというし。



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