Gallery of the Week-Apr.06●

(2006/04/28)



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都市に生きるアール・デコ
資生堂ギャラリー/ハウス・オブ・シセイドウ 銀座

資生堂が高級化粧品を展開して以来、切っても切れない関係にある「アール・デコ」をテーマにした展覧会。資生堂が銀座に持つ二つの文化施設、資生堂ギャラリーとハウス・オブ・シセイドウが連携して行う初のイベントでもある。資生堂ギャラリーは、建築家でもある稲葉なおと氏が、世界のアールデコ様式のホテルを撮り歩いた作品の写真展「ザ・ホテル」が開催されている。
全体を4期に分け、欧米の名ホテルを写真と映像で紹介する。今週はちょうど第二期にあたり、ニューヨーク、サンタモニカ、ロングビーチのホテルを特集している。資生堂ギャラリーというと、最近はクセ球のようなインスタレーションが多い中、久々のストロングスタイルの展示であり、かえって新鮮な感じもする。
ハウス・オブ・シセイドウでは、「資生堂とアールデコ」と「上海のアールデコ」の二つのテーマによる展示が行われている。昭和初期の資生堂の商品やSPツールには、確かにアールデコの影響もあるのだが、それはアールデコを目指したというより、「時代の風の影響」を受けたと見た方が適切だろう。資生堂のデザインポリシーは、あくまでも資生堂オリジナルであり、時代を超越している。当時から日本人は、ハヤリの意匠を取り入れるのには極めてたけていたが、決してそういうモノまねをしなかったところが、資生堂の資生堂たる由縁とよく理解できる。
上海は、1920年代や30年代においては、列強の租界に代表されるように、欧米的なエキゾチシズムがあふれる都会であり、今も残る建築物が物語るように、アールデコの華やかな都でもあった。それだけでなく、アールデコのデコラティブ性が、シノワズリの影響を受けたモノである以上、モダニズムが日本に里帰りし花開いたように、アールデコも中国に里帰りして、独自の発展を遂げた。それらの軌跡を、中国のアールデコ美術館に収集品された、戦前の中国製品から振り返る。この企画は、普段あまりかえりみられないユニークな視点であり、新鮮な発見があるといえよう。



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天台宗開宗1200年記念特別展 最澄と天台の国宝
東京国立博物館 上野

平成の出開帳のメッカ、東博の平成館に、天台宗の秘宝が勢揃い。とばかりに、今回は一寺院の枠を越えて、最澄に始まる天台宗につながる全国の寺院から、数々の銘品が集められた。「8割以上が国宝・重文」というコピーにひかれたのか、とにかくスゴい混みよう。比較的観客が少ないはずの時間を選んで行ったのだが、それでも肩がふれあうほどの混み方である。話を漏れ聞くと、天台宗の高僧の名前もちゃんと読めないヒトがほとんど。まあ天台宗は、その後の大衆化した鎌倉仏教の源流となっただけに、そういうヒトでも救ってくれるということかと、妙に納得。
おまけに、そのほとんどが「老人力」である。従って、列の進みが遅い。その分、エネルギーが続かないのか、第一部、第二部の二室構成になっているのだが、その間の休憩所が異常に混んでおり、第二部は、なぜか第一部ほどには混んでいない。そもそも、平成館はあまり「博物館臭」がしないスペースなのだが、あまりの「ジジババ」パワーに、妙に年季の入った土蔵のような臭いがむせ返っている。
しかし、この展覧会はまた、マニアにとってもなかなか充実していて見逃せない。それはまず第一に、平安期から鎌倉期という、日本の仏教が大きく変化し、仏教美術もまた目覚ましい変化を遂げた時代の、天密に関連するという、共通の主題をもった仏像や仏画を、居ながらにして比較鑑賞できる点だ。平安仏が、どのように鎌倉仏へと変化していったのか。歴史書や写真集では見比べられるが、現物でこれができるというのは、なんとも贅沢な楽しみ方ではないか。もちろん、新しい発見も多い。
第二には、今回集められた作品は、ご当地に行けば必ず参拝するような名刹の収蔵品ばかりではなく、比較的マイナーな寺院の「お宝」も多く含まれている点である。実際に見たいと思うと、行くだけで相当に手間がかかりそうなところもあり、それらを見れるチャンスがまとめてやってきた、と考えると、これは相当な「ご利益」である。仏教美術ファンなら、混んでいようと、間違いなく行って損はない。



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06 TDC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

世の中ディジタル化が進むと、あらゆるギミックがコモディティー化し、インパクトが原点に回帰して、結局正攻法のストロングスタイルが一番インパクトがある、という時代になりつつある。特に表現モノは明確で、音楽なんかでも、アコースティックのライブで勝負したくなるというのも、その現れだろう。
商業デザインで言えば、なんていってもその原点は「文字」である。文字だけで勝負できれば、それ以上にストレートなインパクトはない。まさにタイポグラフィーが、極めて重要な時代になりつつあるコトは確かだ。そういう意味では、この現状の波に踊らされている作品と、この現状の波にウマく乗っている作品との対比が面白い。
個人的には、タイポグラフィーというと、文字と模様のボーダーライン上にある「記号」が、一番ゾクゾクくる。本当は、あり得ない偏と旁を組み合わせた漢字のように、文字の呈をなしてはいるが、文字としての意味を持たないモノが一番魅力的なのだが、意味のある文字ではあるが、文字として欠格者になっているモノもけっこう好きである。
まあ、前者はその存在自体がインパクトなので、フォントとしてのデザインはそれほど問われない。気味の悪い字なら、通常の明朝やゴシックでも充分ゾクゾクくる。いや、通常の字体の方がゾクゾク感は強いかもしれない。時々、この手の作品もでてくるのだが、今回はなし。しかし、字である側のボーダーラインは、けっこう面白い作品が見られた。



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第26回 写真「ひとつぼ展」
ガーディアン・ガーデン 銀座

またまた、写真「ひとつぼ展」がやってきた。毎回毎回、その時毎の「ノリ」が感じられるので、けっこう好きなのだが、今回のトレンドはどういうノリなのか。それが楽しみで、今回も見に行ってきた。今回の各作品に通底しているのは、いい意味での「とらえどころのなさ」とでもいえるだろうか。
とにかく多くの作品から滲みだしているのは、「得も言われぬ、まったり感」である。多分、表現したい気持ち自体が、「ひたっていると気持ちのいい閉塞感」であるようなのだが、もともとそういう感情って、表現して他人と共有したり共感したりするものとはちょっと違う気がする。
それだけでなく、極めて私的な感情なので、自分から自分へのメッセージにはなっても、それを第三者が同じように捉え得る保証もない。実際、組写真の中の数カットを展示、というモノが多いのだが、なぜ、そのカットに代表性があるのか、なんてのも、本人以外にはほとんど通じないものが多い。
まあ、それも時代を反映しているといえばそうだし、そこに「入り込める人達」もいるのかもしれないから、それはそれで新しい表現のカタチにはなっていると思うが。もっとも、旅行の記念写真のように、「今の自分が未来の自分に対して贈る」というものも、写真の機能としては重要なので、「私写真」みたいなあり方も充分あり得るとは思うが。



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