Gallery of the Week-Jul.06●

(2006/07/28)



7/4w
岡本太郎 明日の神話
日本テレビ本社特設会場 汐留

おとなりさんで仰々しく(ブツがブツでデカいだけに、どうしても仕方ないが)開かれている、岡本太郎氏、最大の絵画作品の特設展。毎日、前を(厳密には裏だが)通っているので、一度はちゃんと見ておきたい(脇からは、何度も覗いている)と思っていたのだが、やっと晴れたので(雨天時はシートが閉められ、鑑賞できない)、ハレて(オヤジギャグ)覗いてみた次第。
明日の神話は、縦5.5メートル、横30メートルの巨大壁画であり、1968年にメキシコの経営者から、新築ホテルのロビーの壁画を依頼され、現地で描きあげた作品である。メキシコといえば、壁画の本場だけに、そのスケールは一筋縄では行かない。しかし経営状況の悪化から、ホテルは開業せず放置され、壁画も幻の作品となっていた。これが2003年に発見され、日本で復元、公開となったものだ。
太郎氏の作品のスゴいところは、作品の主題やテーマに関わらず、作品からあふれてくるエネルギーやパワーが、それを通りこして直接見るモノにアピールする点にある。この作品も、「核の恐怖」をテーマにしているのだが、見ているとそんなことはどうでもよくなり、あふれるエネルギーで単純に幸せになってしまう。ちょうど、ブルースが、元来悲しい唄であるはずなのに、そのなみ外れたエネルギーで、聞くモノを興奮させ、ハイにさせてしまうように。
それにしても、毎日見ているが、老若男女を問わず、かなりの観客を集めている。もちろん、日テレのプロモーションもあるとは思うが、岡本太郎氏の持つ、大衆に通じる独特なインパクトの大きさを、改めて実感してしまう。それもやはり、前頭葉で捉える、理詰めのテーマやモチーフとは別のところにある、意識下に直接働きかける、おどろしげな情念のなせるワザであろう。



7/3w
不思議ちゃんのアイデアル展[Level.1]
Star Poets Gallery 三宿

デザイン・イラストレーションから、編集、ライティング、そして最近ではヒーリングまでこなす、ファカルティ ワークスの主催者でもある三竹さやか氏の、2回目、4年ぶりの個展。実は、会期は7月18日までであり、既に終了しているため、このコーナーの本来の趣旨には合わないのだが、作者が知人というコトで、例外的に扱わせていただく。
前回の個展は、「カエル歯」というキャラクターをベースにしたモノだったが、今回もまた、「不思議ちゃん」というキャラクターが主役となっている。メインの作品は、「オラクルカードとして会場でも販売されていた「不思議ちゃん」の連作イラストレーション。一枚一枚のカットなのだが、セリフや擬音のついた「ひとコマ漫画」のようでもあり、静止画のワリに動きに満ちてもいる。なんと呼んでいいのかわからないが、今までに見たことのない表現創作物となのだ。
ヒーリング関係の品物も並べられているだけでなく、作者の「部屋」がしつらえられている。なぜか、西野達氏のエルメスのインスタレーションを思い出してしまったが、こっちはそこで作者が仕事もしているという念の入れよう。まさに作者の分身ともいえる「不思議ちゃん」を通して、会場全体が三竹氏のインナーワールドのテーマパークと化した、不思議な空間となっている。
三竹氏のパーソナリティー同様、マルチでユニークでオリジナリティーにあふれたその世界は、「百聞は一見にしかず」ではないが、幾百の言葉を並べても表現しようがないもの。まさに、ビジュアルクリエータとしての面目躍如というべきか。そういう意味でも、会期が終わってしまっているのが、つくづく惜しまれる。



7/2w
キュレーターズ・チョイス
東京都写真美術館 恵比寿

まだ、ガーデンプレイスがビアステーションだった頃、その脇にあった「準備館時代」から写美を見てきたモノにとっては、写真美術館の収蔵コレクションの充実度の高さはよく知られている。しかし、ここは常設展をやっていないので、その作品が我々の目に触れるチャンスは限られている。
今回の展覧会は、そんな東京都写真美術館のコレクションの中から、学芸員等の専門スタッフが、それぞれの視点から「お気に入り」の作品を選び、展示するという、ユニークな企画展である。館長をはじめ、16人のスタッフが選んだ作品は、作家、テーマ、時代、手法、モチーフなど、それぞれの基準で集められ、展示されている。
その中には、見たことのある写真も、ない写真もあるし、なるほどと納得する写真も、えっと驚く写真もある。その多面的な拡がりが、写美のコレクションの幅広さや深さを示してくれるという意味では、なかなか面白い企画といえよう。
素人ウケする派手さはないかもしれないが、自分で写真作品を作ったり、写真作品が好きだったりするヒトにとっては、それぞれ自分なりの見方で見れる分、充分に楽しめる。レギュラー的に、こういう企画を手を変え品を変え行って、収蔵作品の「虫干し」をしてくれるとうれしいのだが。



7/1w
2006 ADC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー クリエイションギャラリーG8 銀座

今年も、ADCの季節である。広告というもの自体、時代を反映しているので、広告のトレンドは、毎年毎年、その年の空気を表してくれる。統計値と同じで、一つ一つの作品を個別に見ても、それはあまり強くは感じられないが、その年を代表する作品、と呼べるモノを(基準はともかく)、ずらりと並べてみると、はっきりと流れは見えてくる。そういう意味で、去年を振り返り、今年を占う意味では、なかなか実りの多いイベントだ。
今年の特徴は、なんといっても、「グラフィック作品として、レベルが高い」というところにあるのではないだろうか。実験的な作品というニュアンスをこめて、そのために作ったモノはもちろん、一般の広告やデザインとして作られたモノも、完成度が高い。その裏には、「いいモノを創りたい」ことに関する、クライアントとアートディレクターの共犯関係というのが、強く感じられる。
その分、どの作品も、あたかもデザインや広告の教科書のケーススタディーに取り上げられそうなほど、コンセプトやイメージから作品までのリニアリティーが強く感じられる。だが、こと広告という分野については、それがプラスに出ているものと、そうでないものとの違いは、全体の完成度が高いだけに、明らかだ。それは、一般のキャンペーン作品であろうと、いわゆる「賞取り」作品であろうとを問わない。
とても斬新だし、とても美しいのだが、そこにクライアントとアーティストはいても、訴求対象となるべきターゲットが影すら見えない、というものも明確にある。これはけっきょく、クライアントか、アートディレクターかどちらかが(両方なら最高だが)、作品の向こう側にターゲットを見通しているかどうか、というところにかかっていることがよくわかる。アドマンなのかアートマンなのか、その両方なのか。また、その立ち位置が問われる時代になっているということなのだろう。



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