Gallery of the Week-Aug.07●

(2007/08/24)



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「昭和」写真の1945-1989 第3部 高度成長期
東京都写真美術館 恵比寿

平成19年度の東京都写真美術館の収蔵品展、「「昭和」写真の1945-1989」。今回は、その4部構成の第三回目。「高度成長期」と題し、主として昭和30〜40年代にかけて活躍した写真家の、代表的な作品にスポットを当てた構成。全体は、[パート1]高度成長期の風景-時代の光と影、[パート2]写真表現の世界-戦後派(アプレ・ゲール)、[パート3]写真表現の世界-ブレボケ・コンポラ・私写真という3部構成からなっており、今回もまた130点以上の作品が出品されている。
けっこう有名な作品も多数展示されており、ぼく自身がその作品の初出を記憶しているモノも多い。どちらにしろ、ぼくが生まれてからあとの時代に撮影された写真なので、個人的な思い入れは、今までになく強いものがある。
今回の展示の対象となっている昭和30〜40年代は、ある意味どういうジャンルでも、「写真」が時代の尖端を行くパワーを持っていたし、写真家も社会的にもっともトンガっていた時代である。それだけに、写真展としての存在感は、第一部、第二部を凌ぐものがある。
それにしても、この直裁的なサブタイトルはなんとかならないだろうか。確かに「高度成長期」に撮影された作品であることは確かだが、作品のテーマが高度成長期なわけではないし、昭和の高度成長期を懐かしむ、ノスタルジックな内容でもない。それなら、「写真家」の時代、とか、もうちょっと内容面を反映したモノだともっと良かったと思われる。前回もそうだが、この点、何とかして欲しいモノだ。



7/4w
第29回 写真「ひとつぼ展」
ガーディアン・ガーデン 銀座

半年ぶりの、写真「ひとつぼ展」である。毎回そうだが、今回も全体を流れる顕著な傾向が面白い。それは、本人にしか意味のないような、極めて私的な世界を描く作品ということと、映像的な、時間のシーケンスを感じさせる作品が多いということである。しかし、表現芸術としての写真の辿ってきた道を考えると、これはけっこう重大な問題といえる。
確かに、極めて個人的な世界を、可視的に定着させることや、時間の流れを切り取って、永遠に固定することは、写真の重要な機能である。いや、市井の「普通の人々」(プロであろうとアマチュアであろうと、表現者出ない人々)にとっての写真の存在意義は、圧倒的にそこにある。そういう意味では、カット数からいえば、世の中の写真の大部分を占めることになるだろう。
そのワリには、今までは、敢えてそこに背を向けることで、写真表現という世界が成り立っているという事情があった。従って、普通の大衆が、普通の生活の中で撮ったカットのような写真にタイトルが付けられ、作品として発表されるということは、ある種のパロディー的な場合を除いて、忌避されてきた。
今回の傾向は、意図的にその「一線」を踏み越えてしまおう、という動きと思いたい。ある意味、デジタル=コモディティーという時代であり、デジタル化したものは、安直でありふれたモノ、というイメージでとらえられる時代になった。これも、写真が銀塩のアナログから、デジタルになってコモディティー化したからこそ起った、新しいムーブメントということなのだろう。



8/3w
ワルシャワの風1966-2006 ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞受賞作品展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

1966年から開始された、ワルシャワ国際ポスター・ビエンナーレは、世界のポスターコンクールのなかで、最も古く、有名で権威のあるコンクールとして名高い。途中、80年代の初頭には、政治・経済的な理由から開催中止となったこともあったが、2006年には第20回を迎えた。日本人の入賞者も多く、日本でもよく知られている。
ポーランドの持つ、独自のポスター文化にも支えられ、ビエンナーレの会場であるワルシャワ国立美術館分館ヴィラヌフ・ポスター美術館は、文字通り「ポスターの聖地」といわれている。この企画展は、同館の所蔵するポスター作品の中から、歴代の金賞受賞作品を紹介展示することで、同ビエンナーレの足跡を辿るものである。
金賞は、イデオロギー部門、商業部門、芸術文化部門の三部門にそれぞれ与えられる。この三部門の名称からして、このコンクールが、まだ鉄のカーテンがあった時代から続くモノであることを感じさせてくれる。金賞にも日本人は多く、1/3近くが日本人デザイナーの作品である。全体を見ると、この日本人の入賞作が、このコンクールの金賞の流れに、重要な存在であることがわかる。
ヨーロッパの持つ独自のポスター文化、旧ソ連にはじまる共産圏特有のポスター文化との交錯が、全体のベースとなっている。そこに、日本の大衆消費文化的な時代性が加わっているのだ。これにより、圧倒的に「時代感」が高まっている。そう思うと、日本のグラフィックデザイン固有の立ち位置というものがあらためて実感できる。これも、彼の地の人たちが見ると、今様のジャポニズムなのだろう。




8/1w
鉄道のデザイン 〜過去から現代・未来へ〜
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 新橋

先々週まで、東京藝術大学美術館で、第2回「企業のデザイン展」JR東日本展として開かれていた「鉄道のデザイン 〜過去から現代・未来へ〜」が、一週間の間をおいて、主催を東日本鉄道文化財団にかえて、鉄道歴史展示室での開催となった。巡回展が、関東地方の中、複数の会場で行われることはままあるが、23区内で、会場と主催をかえて、ほぼ続けて開催されるというのは珍しい。
展示の主眼は、国鉄からJR東日本へのデザイン戦略の歴史にある。JNRのロゴ(黒岩保美氏のデザインだったっけ)とJRのロゴというCIに始り。新幹線開通時の意匠等で過去を振り返る。現在のJR東日本については、駅構内のサイン計画や駅ナカ、券売機等による、駅空間のトータルデザイン。地域開発と一体化した、駅の再開発。各種新型車輌のデザインスタディー等が展示されている。
日本においては、公共財のデザインが意識されることはまれで、高速道路のように、全く機能中心で色気がないか、ハコモノ行政のように、デザインがわからない分ムダな意匠に金をたれ流してしまうか、どちらか両極端が多い。旧国鉄も、戦前にコストだけかかって機能には関係ない「流線型車輌」を作ったりと、「官」のやることよりは、多少デザインを気にする体質はあったし、民営化してからは、かなりコンシャスになるようにはなった。
しかし鉄道は、デザインによるイメージアップが付加価値の最大の源泉という業種ではないため、改善されたとはいえ、まだまだやるべきコトは多い。そういう意味では、現状のレビューにこそなっているものの、もっとこれからの鉄道事業におけるデザインの意味を問いかけるような視線が欲しかった気もする。



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