Gallery of the Week-Sep.07●

(2007/09/21)



9/4w
スクリーンの中の銀座 伝説の並木座が映す。銀座を遊ぶ。
ハウス・オブ・シセイドウ 銀座

銀座・映画・女優をキーワードに、戦後の昭和時代の銀座を代表する名画座「並木座」を軸として、そこに資生堂をからませ、高度成長期の文化を語る企画展。一階にはミニシアターが作られ、銀座にまつわる映画に関連した展示も行われている。イベントスペースと思えば、シアターを作るのも珍しくないが、ギャラリーとしてはなかなかのアイディア賞といえよう。
二階では、女優・田中絹代の遺品の数々の展示、「NAMIKI-ZA Weekly」とその原画・原稿をはじめとする、並木座に関わる展示、「花椿」と女優との関り、1950〜60年代に作られた資生堂のプロモーション映画の上映等が行われている。
着想はいいのだが、いかんせんテーマが広すぎて、展示自体は散漫な印象をぬぐえない点が残念。銀座と映画、とか、資生堂と女優とか、もう少しピンポイントにスポットライトを当て、凝縮した展示にした方が、限られたスペースでもあり、インパクトがあったと思われる。
映画の中に描かれた銀座は、現実の銀座というよりは、ある種の理想郷都市としての銀座であったことがよくわかる。それはまさに、全国津々浦々にあった「○○銀座」という商店街が、現実の銀座に模倣したのではなく、映画の中にでてくるような「理想型としての銀座」にならって付けたものであることと呼応している。情報流通の貧弱さを、イマジネーションが補っていた時代ならではの産物であろう。



9/3w
納涼現代アート展 〜今年の夏はエロス祭りで〜
ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アート 丸の内

芸術か、はたまた猥褻か。このテーマは、言論の自由ともからんで、古くから議論の絶えない問題である。基本的には、この両者を相対立する概念として、一つの作品がどちらに属するかで、その公開の是非を問うコトが多かった。ところで、この展覧会は、R18規制である。18禁のアートの展覧会。これだけでも、充分興味をそそる。ということで、会期末近くになってから、会場を訪ねてみた。
まあ、結論は簡単なこと。「カゲキな描写」とは書いてあるものの、要は「性器が描写されているからR18」。ただそれだけのことで、作品は間違いなくアートである。猥褻の定義は、「淫らに欲情させる」ところにある。性器が写っていようと、行為を描写しようと、淫らに欲情させなければ、エロではないのだ。
しかし「アートかエロか」といえば、なんといっても、今回もメインにフィーチャーされているアラーキー師匠であろう。まさに、この両者の間を自由に行き来することで、怪人二十面相よろしく、出没鬼没な立ち位置を創造した張本人でもある。女性が、あられもなくダラシなく、垣間見せる無防備な表情をリアルに写し取り、男性の妄想をいやがうえにもかきたてる顔のアップは、写真的には単なるポートレートながら、限りなくエロである。
一方、エロになりがちな「性器モロ」な写真は、「(株)電通宣伝技術局写真部」出身の、昔とった杵柄。ブツ撮りの基本に徹し、ひたすらクールでリアルに描写する。そこにあるのは、まさにカタログ写真であり、エロのエの字も感じさせない。クルマのカタログ写真には、モータスポーツ写真のような躍動感があってはならないのと同じである。これは、今回の彼の出展作品でも貫かれている。
そういう意味では、今回の作品は、ファッションや広告写真でも活躍するヒトが多いせいかもしれないが、どれもクールである。気温が40度を越す砂漠地方では、ハダカの体を触れ合っていた方が、一人でいるより涼しいともいうが、まさにクールなハダカ。もしかして、「納涼」って、そういう意味だったの?



9/2w
キュレーターズ・チョイス 07
東京都写真美術館 恵比寿

東京都写真美術館の所蔵作品・資料の中から、美術館スタッフが、それぞれの思いで選んだ逸品を展示する、キュレーターズ・チョイス。全体像をあまねく見せる、収蔵品の常設展とも、ある特定テーマの元に、収蔵品で構成した企画展とも違う意味で、その美術館らしさを感じさせてくれる展覧会である。今年のキュレーターズ・チョイスの特徴は、なんといっても「メタ作品」とでもいえるような構成を持った展示が目立つ点だ。いわば、美術館所蔵の作品を素材に使って、元の作品とは違う意味合いを持った「組写真」を作ってしまおうというトライアルである。
もちろん、正攻法というか、特定のアーティストや特定の技法など、オーソドックスなスポットライトで、まとめているモノもあるが、とにかく「メタ作品」がおもしろい。ある意味で、もともと写真作品は、被写体の存在がリアルであると同時に、どうにでも後付けのストーリーを作れてしまうところに特徴がある。白夜書房の雑誌で活躍していた頃のアラーキー師匠の作品など、ある種、積極的にこの二重性を活用し、虚実ない混ぜにすることで、オリジナリティーを生み出していた。
今回の「作品」も、そこまで割り切ったモノではないが、元の作品とは違う独自のメッセージが「行間」に読み取れるという意味では、実にユニークで面白い。また、それをさらに面白くしているのが、キャプションである。かつて、これも白夜系の雑誌で、南伸坊氏が「写真に全く関係ないキャプションをつける」というパロディー作品を発表していたが、それに似た感じである。
そういう意味では、こんなことやっていいの、という所まであと一歩、という感じの、実に面白い展覧会になっている。前のキュレーターズ・チョイスとは、全然違う。何か、ここから新しいモノが生まれそうな予感すらする。一度騙されたと思って見に行っても、決して損はない、「ホントに騙されちゃう展覧会」といえよう。



9/1w
佐野研二郎展 ギンザ・サローネ
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

博報堂デザインのクリエーティブ・ディレクター。アートディレクターであり、最近その存在感が光っている、佐野研二郎氏。ギンザ・サローネと題されたこの個展は、そんな彼の世界を、この展覧会のための新作のオリジナル作品と、代表的な広告・グラフィック作品を通して見せる企画展である。
佐野氏というと、シンプル&ミニマルなデザインで、誰にもわかりやすく、親しみやすい作風で知られている。しかし、この「シンプル&ミニマル」というヤツは、簡単そうでいて、実に手ごわいモノである。ゴマカシがきかないし、それだけにハダカの王様になってしまい、ホンネがストレートに透けて見えてしまう。
シンプル&ミニマルなハズなのに、メチャクチャ饒舌だったり、トコトン理屈っぽかったり、という作品にも、最近はよくお目にかかる。クライアントはそれでダマせても、同業者の目はダマせない。この手の作品では、「なぜいいか」を説明しなくちゃならないというだけで、実は予選落ちなのだ。
その点、佐野氏の作品は、極めて透明で、透かしてみてもボロがでない。シンプルさに、ウソがない。これはもう、彼のパーソナリティーが、そういうモノで、それが作品の中にそのまま投影されている、としかいいようがない。マネしようとしても、心は決してマネできない、ワン・アンド・オンリーな存在である。



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