Gallery of the Week-Apr.08●

(2008/04/25)



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第3回企画展 三宅一生ディレクション 21世紀人
21_21デザインサイト 六本木

21_21デザインサイト第3回の企画展は、3人のディレクターの一人である三宅一生氏のディレクションによる展覧会。「21世紀人」である。これは、参加作家として、関口光太郎氏、鈴木康広氏、ベン・ウィルソン氏、nendo、デュイ・セイド氏、三宅一生氏、ISSEY MIYAKE Creative Room、特別出展作家として、イサム・ノグチ氏、ティム・ホーキンソン氏、ロン・アラッド氏という、10組のアーティストの共演により、アーティストそれぞれの視点から、21世紀らしさとは何か、21世紀の表現とは何かを問いかけるものとなっている。
さて、この21_21デザインサイトというスペース。各ブロックが極めてインスタレーション向き(というか、それを前提とした設計)になっている分、それぞれの作品が、ウマい具合にハマりやすい。その分、一般的な展示スペースとして使えるように設計された、真ん中の大きく四角なスペースをどう使うかが、展示プロデュース上のキモとなる。前回の佐藤卓氏の回では、「反復」を利用することで、スペースをウマく使っていた。その分今回は、他のインスタレーションのインパクトが大き過ぎることもあって、ちょっと中弛み感があることも否めない。
見に行った日には、この展覧会が実質的なデビューとなる関口光太郎氏が、会場での実演パフォーマンスを行っていた。養護学校の教師をしながらアーティストとしても活動する関口氏は、新聞紙とガムテープを駆使して大型のインスタレーションを製作するという、独特の作風を持っている。日常的な材料から、イメージがカタチになってゆく様は、まさに「創造主」のイメージ。作品のパワーもさることながら、マジックのようにカタチが現れてくる様子は、パフォーマンスとしてもかなりのインパクトがある。昔、帽子でパフォーマンスする早野凡平という芸人がいたが、それより全然面白い。クリエーティビティーと面白さ、これを両立させるパフォーマンスとしてみても、かなりレベルが高い。これは、作品だけ見たのではもったいないといえよう。



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第30回グラフィックアート『ひとつぼ展』
ガーディアンズ・ガーデン 銀座

今回もひとつぼ展、されどひとつぼ展。いつも期待を持って見に行っても、事前の思いとは違う何かを与えてくれるから面白い。そういう意味では、今度の第30回ひとつぼ展には、実にユニークな要素がある。どの作品も、このシリーズでは希に見るほどオーソドックスなマテリアルや手法に基づいているにもかかわらず、極めて新鮮な印象を与えてくれる。
それは、どの作品も作者の芸風を真正面からぶつけて勝負に来ているからだ。ギミックを一切排した、剛速球。作者の力量こそ問われるものの、それを軽くクリアし、見るモノに迫ってくる。これもひとつの時代性なのだろうとは思うが、新しいモノほど陳腐化が速い時代ならではの現象かもしれない。
昔のsiggraphとか、ジャギーが目立っていた頃のコンピュータ・グラフィックスに代表されるように、新しい画材や技法が現れると、その表面的なインパクトに頼る作品が増えてくる。そして、それらは素人にも新鮮に映るので、時代の旗手としてもてはやされてしまう。それぞれの時代に「ハイテク」といえるモノを取り入れたアートは、多かれ少なかれその傾向がある。
しかし、それでは本質的な表現になっていない。いつも言っているが、それは新しい技法を取り入れるための習作ではあっても、アートの「作品」ではない。誰もが知っている素材、誰もが知っている技法を使っていてもなお、新鮮でインパクトのあるものが表現作品なのだ。そういう意味では、今回の「ひとつぼ展」は、この何年かでもっともインパクトのある秀作ぞろいということができるだろう。



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紫禁城写真展
東京都写真美術館 恵比寿

東京都庭園美術館で開かれていた「建築の記憶 -写真と建築の近現代-」においても、目玉の一つとなっていた、明治の写真師小川一真氏の撮影した紫禁城の記録写真。1901年という世紀の替り目に、清朝最末期の故宮の姿を記録したその作品を、国立博物館に保存されていたオリジナルプリント、約70点で紹介する。また同時に、現代中国の写真家侯元超氏が、ほぼ同じ構図で、今の故宮の姿とらえた作品も展示されている。
小川一真氏がとらえた故宮の写真は、建物や内装全体を撮影したモノと、装飾意匠や建築構造を撮影したモノとがあるが、今回の展示は全体像をとらえた作品が中心となっている。大型のガラス乾板で撮影されたその画像は、微細なディティールまで細密にとらえており、100年を越えた今でも、当時の様子を生々しく伝えてくれる。
もちろん、まだ現役の宮殿だった頃の故宮が、どういう雰囲気だったかという点も興味を引くが、広場に雑草が生い茂り、あちこちに手入れの至らない点の目立つ、斜陽の帝国の姿には、大いにインパクトがある。歴史の本を読めば、列強に侵略された個の時代の清国のポジショニングを「理解」することはできる。しかし、それが実態としてどういうモノだったかは、勉強からでは今ひとつ理解しがたい。
それが、ある種まざまざと伝わってくるところが、時代の空気まで写し込んでしまう写真のパワーでもある。もっとも、かつては神聖な場で、一般臣民の入れる場所ではなかった王宮の中を、外国人である日本の写真家が撮影し、日本の建築家が調査下という事実自体が、中国皇帝の地位の低下を、何よりも示してはいるのだが。



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服部公太郎展『物(モノ)』
ガーディアンズ・ガーデン 銀座

昨年4月に開催された第28回グラフィックアート『ひとつぼ展』で、グランプリを受賞した服部公太郎氏が、その副賞として開催権を得た個展である。彼の作風は、存在感とリアリティーのある「物」を、元来のポジショニングから換骨奪胎し、別のオーラを発するオブジェにしてしまうところにある。今回は、このような服部ワールドを感じさせる作品を、いろいろな角度から積み上げ、会場全体を一つのインスタレーションのようにした展示である。
最近の「お笑い」のカギは、視点とタイミングである。極めて真っ当で重みさえある言葉であっても、TPOと切り離されて出現すれば、強烈なギャグになる。いや、元の言葉が重過ぎれば重過ぎるほど、その違和感は笑いを誘う。しかし、一つ間違うと、何も面白くない独り言になってしまう。アナグラムとかもそうである。単に、並べ替えて別の言葉にするだけでは、スクラッブルの練習でしかない。
一発屋は比較的やりやすいが、コンスタントにあてることが難しい理由はここにある。少なくとも、今回の個展で見る限り、彼の「作風」は一貫してあるレベルの「らしさ」を放っており、ファーストステージは見事クリア、というところだろうか。今回の「物」と「作品」のズレを、たとえば90度とすると、120度とか、180度とか、はたまた誰も完全には理解し切れない143度とか、自在にコントロールするようになると、ポピュラリティーを持って大ブレイクするのではないだろうか。



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