Gallery of the Week-Aug.08●

(2008/09/26)



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キムスージャ展 「A Mirror Woman : The Sun & The Moon」
資生堂ギャラリー 銀座
韓国出身でニューヨークで活躍中の、女性現代アーチストキムスージャ氏が、資生堂のバックアップにより製作した映像作品、「A Mirror Woman : The Sun & The Moon」を中心に据えた、ヴィジュアル・インスタレーション。表題の作品は、インドのゴアで太陽と月と海をひたすら撮影した映像シーケンスであり、これを会場の4つの壁面に投影すると共に、関連写真作品を組み合わせて展示している。ここでも、彼女の作品の主要なテーマである、陰陽思想における二元論が表現されている。
られる。
それにしても、大自然の力はスゴい。アンセル・アダムスの山岳写真ではないが、じっと見ていると、どんどん自分の存在が小さくなる。この中に一日閉じこもっていたら、気の弱いヒトなら、鬱になってしまうのではないだろうか。会場係のヒトの精神状態が、心配になってしまう。この、大きさと狭さの妙こそ、このインスタレーションの醍醐味といえよう。
しかし、ビジュアル・インスタレーションとしてみた場合、例の「踊り場」に何のシカケもないのは、つくづく惜しまれる。通り過ぎがてら、映像がチラリと見えてしまうだけに、ここには何かワザが欲しかったところ。まあ、全景が他人事のように眺められるというのも、それはそれで面白いと考えることもできるのだが。



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デザインの起点と終点と起点 平野敬子
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

すべての作品を通して、自身の持つユニークな世界を構築するデザイナー、平野敬子氏。この10年間の、平野氏の作品から、その世界を振り返る個展である。竹尾の紙「ルミネッセンス」で、理想の白を「デザイン」することを追求したように、世に言うデザインを大きく越えたスケールのデザインを発想する「平野ワールド」が、ギンザ・グラフィック・ギャラリーのスペースの中で繰り広げられる。
シンプルでプリミティブなグラフィックデザインでありながら、限りないインパクトを内に秘めた作品。その秘密は、グラフィック作品であっても、平面ではなく、空間をデザインしているからだということができる。紙の上に現れたモノは一見シンプルでも、もう一つ、深みを持った軸がある。これが、ある種の「妖気」をかもしだす原動力となっている。
プロダクトデザインのような、立体造形も手がけるが、極めて完成度は高くととのった作品ではあるものの、グラフィック作品のような「マジック」が漂っているワケではない。これは、グラフィック作品ではヴァーチャルだった軸が、表に出てきてしまう分、タネもシカケもネタバレしてしまうということだろう。



9/2w
北京故宮 書の名宝展
江戸東京都博物館 両国

日中平和友好条約締結30周年を記念して開かれた、北京・故宮博物院の所蔵する唐代から清代までの書の作品を集めた企画展。予想以上の人気を集め、老人力が炸裂し、開場時が一番混雑するというウワサを聞いていたが、なるほど、昼過ぎに行ってもなお、両国の駅からして、中高年・老年の特に女性がいっぱい。会期末近くとはいえ、なかなかの動員力である。
展示された作品は、目玉の王羲之「蘭亭序」(八柱第三本)をはじめとする、唐・宋・元代の作品を含む65点だが、中心は、明・清代の作品である。北京の故宮博物院は、台湾のそれとは違い、行けば主要作品が見られる、というスタイルではないので、まとまったカタチで所蔵作品が見られるチャンスはありがたい。
出展されている書家は、日本でのポピュラリティーとはちょっと傾向が違うところもあるが、これは、中国と日本での人気や受け方の違いと、収蔵作品のそもそもの由来によるところであろう。それも含めて、見るチャンスの少ないモノを見れるということも確かである。
さてよく考えると、件の「蘭亭序」は、今の言葉でいえば「コピー品」である。その他にも、古い作品にはオリジナルであることが疑わしいモノもある。流石は、コピー大国、中国。千数百年の昔からコピー品が作られ、それが大切に伝世してきたのだ。というか、コピー品であっても、それなりの品であれば、皇帝も愛でてしまうというのが、中国の伝統なのだ。そう考えると、実に深いものがある。



9/1w
Vision of America 第二部「わが祖国」
東京都写真美術館 恵比寿

収蔵作品を通して写真術が発明されて以来のアメリカと写真の170年を振り返る、東京都写真美術館の館蔵コレクション展「Vision of America」の第二部は、「わが祖国」と名付けられ、アメリカが世界の大国としてプレゼンスを発揮し出した、第一次世界大戦後の1918年から、第二次世界対戦後の繁栄の絶頂にありベトナム戦争の屈折にまみれる前の1961年までの、約40年間が対象となっている。まさにアメリカが陰りを知らず、アメリカンドリームが素直に輝いていた時代が対象である。
第二部は、アメリカらしい表現手段として、写真がその地位を確立してゆくプロセスを振り返る「1.アメリカのモダニズム」。写真が一躍マスメディアの主役となり、大衆国家アメリカの新しい求心力となってゆく足跡を追う「2.グラフ誌の黄金時代」。写真がアメリカという国ならではの、感動と共感を共有する手段としてのポジショニングを築いた流れを見つめる「3.ドキュメンタリー写真」。という、時系列的に並行した3つのパートから構成されている。
この時代においては、ジャーナリズムやドキュメンタリーといった、社会的なテーマが主題となる作品も多く、私的な視点より、社会的な視線が目立っている。これは、20世紀前半の写真の機能としては世界共通なものであり、ヨーロッパでも、日本でも少なからず見られる傾向である。そこで驚くのは、ヨーロッパや日本の「社会派」作品が、極めてクラく悲観的な視線をともなっているのに対し、アメリカの作品は、どんなに悲惨な被写体を捉えていても、そこには明るく楽観的な視線が見出せる点である。
確かにこの時代は、戦争も恐慌もあり、人種差別もあり、アメリカでも貧しいヒトは貧困にあえいでいたコトは確かだ。とはいえ、ある種の夢と希望が、本当に社会的なコンセンサスになっていたという事実を、改めて見せつけられる。それは、日本人やヨーロッパ人の撮影したカットでも、同様の「明るさ」がにじみ出ていることからも伺える。それはまた、かつてアメリカは、モンロー主義と呼ばれたように、世界最大の「井の中の蛙」だったからこそできたことだったのだろう。



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