Gallery of the Week-Nov.08●

(2008/11/28)



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「SMOKE LINE―風の河を辿って」 津田直
資生堂ギャラリー 銀座

景色を切り取ることにとどまらない、独特の風景写真をクリエイトする写真家、津田直氏が、3年をかけて、中国、モンゴル、モロッコを旅する中から製作した、新作で構成される個展である。「風」そのものを視、写真とすることで、世界の普遍的な構造を写真で表現することを目指した作品である。
確かに、景色を写すのでもなく、作為を入れた作品を創るのでもなく、あくまでも心象に合致した景色を読み取るなかから作品を創りあげてゆく作風は、違う国々の違う景色を被写体としていても、そこに一貫した世界を創り出す。これこそが、作者のいう普遍性ある存在としての「風」なのだろう。
資生堂ギャラリーでの写真展というのも珍しいが、空間ともよく調和し、資生堂ギャラリーならではのインスタレーションとなっている点も、まとまりがあって好ましい。ところで日本人は、すぐ「山が好きか、海が好きか」という二者択一をしたがるが、実は世界には「地平線が好き」という選択もあり得る。というより、そういう平原、丘陵が延々と続く大陸のほうが多いのだ。
これらの写真は、ほとんどが、その「地平線」的な風土で撮影されたモノである。ぼくもそうなのだが、「地平線好き」にとっては、なかなか気分がいい。日本人の多くは、その祖先が、万里の長城の北側からやってきた人たちである。その証拠に、日本語はウラル・アルタイ語系の構造を持ち、それらの地域の西の端のトルコ語とさえよく似ている。そういう、ひそかなDNAがさわぐ世界ともいえよう。



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M/M (Paris): The Theatre Posters
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

ミカエル・アムザラグとマティアス・オグスティニアックにより1992年に設立されたM/M(Paris)は、パリを拠点にインパクトある作品を発表し続けているデザインチームである。この展覧会は、1995年以来一貫して制作に携わり、M/M(Paris)の特徴が最も発揮された評されている、「CDDB ブルターニュ演劇センター・ロリアン劇場」のためのポスターを集めたモノである。
ヨーロッパ各国のデザインの特徴を比喩すれば、ドイツはもちろん「整数」の美学。わかりやすく、シンプルな合理性が魅力である。一方、イタリアは「分数」の美学。分数は、無理に小数で表そうとすると循環小数となかってしまう数も、1/7、1/13というように、極めて合理的に見せることができる特徴がある。ある意味、整数よりも合理的でさえあるが、奥深さも合せ持っているところが、単にわかりやすいだけではない。
これに対して、フランス(固有)のデザインは、「無理数」の美学である。πとかeとかいった、無限小数の世界だ。はっきりいって、それ自体は全然合理的ではない。その「ためにする」無意味さにあえて価値を見出す、ニヒルな美学である。そういう意味では、これらの作品は極めてフランス的だし、フランスの美意識を究極まで極めたモノといえる。 しかしその分、形而上的にしか「味わえない」美ともいえる。日本の大衆社会は、もはや本能でしか価値を語れないところまできている。そういう世界に住む日本人から見れば、オリジナリティーある独創的作品としての評価はできるものの、作品としての味わいを語ることはできない世界である。そういう意味では、もはや日本はフランス固有のモノから学べるものはなくなったといえるのではないだろうか。世界のギャラリーとしての一覧性はさておいて。



11/2w
タイムトンネルシリーズVol.27 福田繁雄展 「ハードルは潜(kugu)れ」
クリエーションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン 銀座

銀座にあるリクルート社の2つのギャラリーを連動し、日本を代表するベテランアーティストの軌跡を振り返るタイムトンネルシリーズ。その第27回は、独自のユーモアあふれる作品で国際的に活躍する、グラフィックデザイナー、福田繁雄氏である。クリエイションギャラリーG8では、おもちゃの連作や小型彫刻などの立体作品、ガーディアン・ガーデンでは、福田氏が選出した「ポスターベスト50」が紹介されている。
福田氏というと、最近では「トリック・アーティスト」としての側面がクローズアップされることも多いが、ポスターデザインでは、70年代から国際的評価の高いグラフィックデザイナーである。それだけでなく、アーティストとして着目されたきっかけは、立体造形であった。また、パブリックアートや環境デザインといった、モニュメンタルな作品にも名作が多い。
このように際めて多様な活躍としているにもかかわらず、どのジャンルのどの作品を見ても、福田氏の作品ということが一目でわかるように、個性が際だっている。それは、ユーモアにあふれたユニークな発想を、極めて正統的な方法論で作品化している点だ。トリックアートも含め、手法はとてもシンプルかつシュアであり、ギミックが一切ない。トリッキーだったり、コミカルだったりするアートが、ともすると手法のギミックに走りがちな昨今としては、これは個性として際だっている。
よく考えて見ると、この「ユーモアあふれた発想を、正攻法でカタチにする」というのは、もっとも古典的かつ基本的な広告の方法論ではないか。このところ「面白い広告」というと、「おやじギャグ」的な目先の方法論に頼ったモノが多い。しかし、広告の面白さは、発想自体の面白さに基づかなくてはいけないものではなかったか。妙なカタチで、広告の原点を思い返させてくれたのも、ベテランの巨匠らしさといえようか。



10/1w
Vision of America 第三部「アメリカン・メガミックス」
東京都写真美術館 恵比寿

三部構成で、アメリカと写真の170年の歴史を振り返る、東京都写真美術館の館蔵コレクション展「Vision of America」。いよいよラストの第三部、「アメリカン・メガミックス」の登場である。名実ともに、アメリカが世界の文化と芸術の中心となった1950年代から、冷戦が崩壊し20世紀を席巻してきたスキームが崩れる1980年代まで、1957年から1987年までの30年間が、今回の対象である。まさに、世界もアメリカも、単一のイデオロギーや価値観から、多元的な構造へと変化した時代を扱う。
第三部においては、これを反映して、歴史的な流れではなく、「1.路上」、「2.砂漠」、「3.戦場」、「4. 家」、「5, メディア」という、5つの象徴的な場をテーマとして設定し、それぞれの視点から、アメリカの20世紀後半へのインサイトを構築する手法をとっている。全体像ではなく、ピンポイントでの視点の提示は、対象とするような複雑な時代を取り扱うには適当だろう。
この時代、写真はそれまでの時代とは異なり、その軸足を完全にエンターテイメントやアートの世界に置いた。本当の意味で、この時代における写真のポジショニングを完璧に示すためには、広告写真や美術作品としての写真などを基軸として見せなくてはならないはずである。ところが、今回展示されている作品は、この時代としては例外的に、ジャーナリスティックでクールな視線を持つモノが多い。
これは憶測だが、あえて、それ以前の時代の写真の視線と共通な作品を取り上げることで、この時代におけるアメリカ人やアメリカ社会の変化を浮き彫りにしようとしたのであろう。アメリカンドリームが消え、内向化し、守りに入ったアメリカ。昨今、アメリカ経済の低迷とともに、米国一国中心体制の崩壊が語られるようになったが、ヴェトナム戦争の敗北と共に、実はかつてのアメリカが持っていた能天気な楽天的信念はきえてしまっていたのではないか。改めてそう感じさせるものがある。こればかりは、企画そのものというよりは、世界経済動向の創発的な影響ということなのだろうが。



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