Gallery of the Week-Dec.08●

(2008/12/19)



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ランドスケープ 柴田敏雄展
東京都写真美術館 恵比寿

イージー、2週分まとめて固め打ちとなったが、そろそろ年末進行に入るということでお許し願いたい。二発めは、特異な風景写真家、柴田敏雄氏の個展である。柴田氏は、絵画出身であるが、オーソドックスな技法に基づく写真作品を主たる活動の場としてきたアーティストである。8×10の大判カメラを使い、自然の景色とその中の巨大な人工物の対比を詳細に捉え、これを超大型のプリントとして作品化するのが特徴である。
大判での風景写真というと、アンセル・アダムスの名が浮かぶ。アンセル・アダムスの作品は、アメリカ人好みだが、じっくりみていると、じっとりとした重苦しさが拡がり、心を病んでしまいそうになるほどの存在感がある。7等星、8等星まで写っている天体写真と同じで、細かいディティールの間に、自分が押しつぶされてしまうような気持ちになるからだ。
しかし、柴田氏の写真は、精細度という意味では同じでも、決してそういう重苦しさはない。視線をマクロ的な方へ強く誘導する何かがあるからだ。それは、ある種のリアリティーではないだろうか。現実の景色をみる時、人間は目のデジタルズームを駆使して、ある一点を詳細に見つめることはあまりない。最も広角側によせて、全体を味わうのがふつうである。その習性を引き出すための大判カメラであり、超大型プリントなのだ。
これはある意味、スーパーリアリズムを目的とするのか、手段とするのかという違いに似ている。別の視点でいえば、細かい作り込みなしで、模型の写真にリアリティーを与えるにはどうしたらいいかというのとも似ている。柴田氏の写真というと、社会性やメッセージ性を指摘する声もあるが、実は、この「みる側のズーム機能の自在なコントロール」というところにこそ、そのマジックがあるのではないだろうか。



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甦る中山岩太 モダニズムの光と影
東京都写真美術館 恵比寿

中山岩太氏は、東京美術学校臨時写真科の第一期生であり、日本における「近代芸術としての写真」の嚆矢となった写真家である。美術学校を卒業後渡米し、ニューヨークに写真スタジオを開き活躍した後、パリでプロカメラマンとして活躍するとともに、先進的なアーティストとの交流も深めた。そういう意味では、写真家のみならず、現代美術家としても先駆的な存在といえる。
昭和に入り帰国した後は、「芦屋カメラクラブ」を結成したり、写真雑誌『光画』を創刊するなど、写真を通して昭和モダニズムを牽引し、戦時中、多くの美術家、写真家が、理想を追えない状況になる中でも、戦後48年に亡くなるまで、一貫して前衛的美術の旗手として活躍してきた。とにかく、昭和初期に、こういうヒトが日本にいた、ということ自体が、美術の歴史なのだ。
その作風は、常に新しいフロンティアを追い続けるところが特徴となっている。未来派ではないが、時代感覚がそれまでにない速さで疾走するなかで、それより速く、時代をぶっちぎって走ろうという意欲にみなぎっていた。その分、実験的な作品も多く、今の時代から振り返ってみると、後から登場したアーティストの方が、より完成度の高い作品を残している感じもするが、これはフロントランナーたる由縁でもあろう。
今回の展覧会の特色は、単なる回顧展というだけではなく、保存されている原版や、それからニュープリントを作るプロセスも展示されているところにある。ぼくらの世代だと、ハイアマチュアやセミプロであれば、暗室作業は「できるのが当たり前」であり、そのプロセスも含めて「作品づくり」であった。しかし、いまは写真学校とかでたヒトでないと、そういう体験をしていないという感じもする。写真作品づくりの半分は、ポストプロということを(これはデジカメでもほんとうは同じ)実際に見せてくれる場というのは、今の時代だからこそ意義があることではないだろうか。



12/2w
デザイン満開 九州列車の旅
INAXギャラリー1 京橋

ドーンデザイン研究所を主宰する水戸岡鋭治氏と、JR九州の、20年を越えるコラボレーションを振り返る展覧会である。九州島内においては、国鉄時代からすでにバス路線との競合が激しかった上、島という特性上、他のエリアとの間では、常に飛行機や船との競合も激しかった。それだけに、民営化されJRとなってからは、「お客さまを集める」という視点を強力に打ち出してきた。
そういう中から生まれたのが、「サービス商品としての鉄道」のプロダクト開発である。明確なコンセプトに基づき、列車内外のデザインはもちろん、車内でのアコモデーションデザイン、提供するサービスのデザインも含め、トータルな開発を行ってきた。つばめ、かもめ、九州新幹線をはじめ、数多くの人気列車をつくり出したパートナーとなってきたのが、ドーンデザイン研究所と水戸岡氏である。
ある意味、旧国鉄においては、最も遅れていた部分であるだけでなく、国鉄末期においては、巨額の赤字から、新しいことをやりたくてもできない状態が続いていた。それだけに、民営化して一番効果がでた部分ということもできる。
実際、JR九州の列車は、それに乗ること自体が旅の楽しみの一つとなっており、常識的に考えると、採算性に極めて疑問符がつく、ローカルエリアだけの新幹線の部分開業においても、観光客を中心にそれなりの集客を果たしていることからも、その成果を知ることができる。INAXギャラリーは、「技術や工学」と「デザイン」の接点といえるようなテーマが得意だが、そういう中でも、デザインが優位に立って、理系だけではできないブレークスルーを作った実例を、わかりやすく見せてくれる機会といえよう。



12/1w
OYKOT WIEDEN+KENNEDY TOKYO:10 YEARS OF FUSION
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

その日本への登場と共に、日本の広告業界にセンセーションを呼び起こし、新しい波を業界に引き寄せたワイデン・アンド・ケネディー。それだけでなく、クライアント筋の「過剰なる期待」と「大いなる勘違い」から、今も語り継がれる、笑いとペーソスあふれるアドマンのテーブルジョークの数々まで生み出した。もっとも、その具体的内容については、触れたい気持ちはヤマヤマだが、こういうオフィシャルな場で語るべき中身ではないので自粛する(笑)。これは、その日本ローンチング10周年を記念して、今までの足跡と、「今」の姿を見せるイベントである。
ワイデン・アンド・ケネディーが日本に進出した90年代後半は、日本の企業も、メディア・コミュニケーション環境も、社会も、大きく変化しつつあった時代であった。当然、マーケティング・コミュニケーションも大きく変化し、広告のあり方についても悲観・楽観大きく入り交じっているものの、「このままではいけない」という認識だけは共有されていた。その頃に比べれば、最近の変化など、たかが「燃えかす」である。
そういうなかでは、欧米のクリエーティブ・エージェンシーのビジネスモデルから、いろいろ参考にさせてもらったコトも多い。その結論としては、「機を見るに敏なだけの『秀才アドマン』はさておき、『天才アドマン』は今後も生き残れるし、その必要性はますます高まるだろう」というものであった。これは、別に広告業界に限らないことだが、凡才と秀才は不要で、天才だけが必要になるのが21世紀なのだ。
ところで、その気になっている「王様」を満足させつつ、わかるヒトには「王様はハダカだ」とわかってしまうコミュニケーションスキームを創れるというのは、アドマンならではのコンピタンスである。クライアントに対して素直でなければ、広告屋はつとまらない。そして素直な広告は、素直な心をもった生活者に、クライアントのホントの姿を正しく伝える力を持っているのだ。正の増幅力というか、ピュアでいいものは、それを何倍にも大きく見せることができる。だが、それと同時に、その中に含まれる「ヨコシマ」なモノも、それ以上の倍率でくっきりと見せてしまう。この力がある限り、広告の役割は安泰だし、社会的責任も大きいことになる。この10年前に思ったことを、もう一度原点から思い出させてくれるイベントでもある。



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