Gallery of the Week-Apr.09●

(2008/04/24)



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椿会展2009 Trans-Figurative
資生堂ギャラリー 銀座

1947年の資生堂ギャラリー再開と共にスタートした、グループ展である「椿会」。60年の歴史の中で約80名の作家が参加し、今次は、第六次として2007年に活動を開始した。今回は、その3回目の展覧会に当たる。第六次椿会は、「Trans-Figurative」というコンセプトのもと、過去の椿展の伝統も、各作家の持つ世界をも越える何かを、メンバーのコラボレーションの中から生み出すことを目的としている。
第六次のメンバーは、伊庭靖子氏、塩田千春氏、祐成政徳氏、袴田京太朗氏、丸山直文氏、やなぎみわ氏の6人からなっており、この中から4人が作品を出展する。3回目となる今年の出品作家は、塩田氏、袴田氏、祐成氏、伊庭氏の4人である。4人組での出展は、これで一巡したことになり、来年は6人全員での出展になるという。
今回は、資生堂ギャラリーの「二つの空間」を活かした、インスタレーションの対比がポイントになっている。小さい方の空間は、祐成氏と塩田氏のオブジェ的な作品が埋めつくす一方、大きい方の空間は、袴田氏と伊庭氏の絵画作品を展示した、オーソドックスなギャラリー的な展開になっている。この静と動というか、沈黙と饒舌というか、不思議なコントラストそのものが作品である。
最近の資生堂ギャラリーでの展示は、その空間自体をインスタレーション作品のベースとしてどう活かすか、というところがポイントとなっている感が強い。もともと、そのあたりは、かなりアーティストを挑発するように作られている会場だけに、だんだんと場を提供する側とクリエイトする側とが噛み合ってきたということだろう。今後に、一層期待したいところだ。



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09 TDC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

毎年春恒例の、東京タイプディレクターズクラブ主催のタイポグラフィー展、「TDC展」の季節が、今年もやってきた。おなじみの会員からの参加に加え、公募作品や年々増える海外からの参加など、一段と幅が拡がり、国内約2000作品、海外約1000作品から選ばれた、約100の作品が展示されている。
今年の傾向としては、何よりも「生身のゆらぎ」をどう表現するか、というポイントがあげられるだろう。近代化の過程が、画一化、機械化の美学となり、人為的なゆらぎを排することに様式的な美しさを見出してきた。近代産業社会におけるデザインは、モダニズムとしてその追求に邁進してきたのもまた歴史的事実である。
情報社会が、近代社会に取って代わった21世紀。その変化は思わぬところからやってきた。デザイン作業におけるディジタル化の進展により、誰でも容易に機械的・画一的なモチーフを扱えるようになった。これにより、コペルニクス的転換ガ起った。ディジタルの世界においては、「生身のゆらぎ」こそ実現の難しい付加価値であり、ヴィジュアルインパクトとなるのであった。
もともと、漢字文化圏においては、書道のように、文字の中に意味性以上の感情を込める表現が伝統としてあった。ディジタル的な世界に、「生身性」を持ちこむ上では、東アジアのタイポグラフィーの原点ともいえる「文字魂」をよみがえらせるのが一番である。展示された作品をみていると、この数年の動きが、第一弾の到達点を迎えた感じがする。そういう意味では、インタラクティブ作品がグランプリというのも、それなりの必然性があるといえるだろう。



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国立トレチャコフ美術館展 「忘れえぬロシア」
Bunkamura ザ・ミュージアム 渋谷

4月に入って、気候も落ち着いてきた感じがするが、日常のパターンもちょっとは落ち着いてきた感じがする。ということで、ちょっと時間をとって、久々に普通の美術館の企画展に足を伸ばしてみる。それならば、得意な分野より、好奇心をくすぐられる領域を、と思って選んだのが、これ。19世紀半ばから、20世紀はじめにかけての、帝政ロシア末期の絵画を集めた展覧会である。
ソヴィエト連邦成立以降の美術なら、それなりに知識も関心もあるが、この時期のロシア美術というと、あまりよく知らない。それだけに、一体どんなものなのか、それが同時代のヨーロッパ他地域の美術とどういう関係があるのかなど、純粋に興味をそそられる。それに、個人的にはヨーロッパともアジアとも違う、「ユーラシア」としてのロシア的なものは、けっこう好きだったりする。
さて、トレチャコフ美術館は、帝政ロシア末期の実業家であったトレチャコフ氏が、同時代のロシア画家の作品を精力的にコレクションし、私設美術館としてスタートしたものが、のちにモスクワ市に寄贈され、ソヴィエト連邦成立後、国立美術館化されたものである。それだけに、この時代のロシア人作家の作品については、まさにリアルタイムで収集したものであり、質・量ともに圧倒的な存在感がある。
この時代のロシア美術の作風は、ディティールまで描き込まれた精細な描写と、一コマ漫画的なストーリー性との両立にある。これは、茫洋とした印象派的描写の影響が現れても変わらず、際立った特徴である。この虚実の両立は、フィクションでありながら、極めてリアルな「宗教画」に通じる。中世以降、西欧圏とはことなる独自の文化発展を遂げたロシアならではの持ち味であり、他のロシア的な嗜好とも通じるモノを感じる。個人的にはけっこう趣味に合うところも、当然である。



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林田摂子展 「箱庭の季節」
ガーディアン・ガーデン 銀座

ただでさえ忙しい今日この頃なのに、今週は、まさに期末・期首。おまけに、プライベートでもいろいろたてこんでいる週なので、時間的には危機的状況。はっきりいって、銀座周辺でついでに立ち寄る以外、時間が取れない。ついに、今週は「ごめんなさい」をして、穴を開けちゃおうか、とおもってギャラリー情報をみると、今週から新しい出し物。助かった、というワケで、相変わらずのお手軽パターンだが……。
この企画は、「ひとつぼ展」入選者688人の中から、各分野で活躍中のヒトに、個展の機会を与えるという、「The Second Stage at GG」シリーズとして開かれた、2006年写真「ひとつぼ展」入選者である、林田摂子氏の個展である。彼女は一貫して、母親の実家である、長崎・島原の寺とその周辺、そしてそこに生活する人々のスナップを、作品として発表し続けているが、今回の作品もその延長上にある。
彼女は、キャリアからすれば写真家であるが、その作品は、あたかもはじめて写真を撮影するヒトのような、シンプルでプリミティブな視線から撮影されている。構図も、なかなか意図的には撮れないぐらい「普通」である。そういう作品群からは、ミニマルなウネりがにじみ出てくる。
なんというか、なんでもなく、淡々とした日常を淡々と描写しているからこそ、妙に気になるBlogがある。背伸びもせず、格好もつけず、等身大のありのままだからこそ、ヒトを惹きつける。彼女の作品は、そういう魅力がある。同じテーマにコダわりつづけるのも、繰り返しの中で、より日常を日常として、そのままに描けるから、ということなのだろうか。



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