Gallery of the Week-Sep.09●

(2008/10/30)



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曹斐 Live in RMB City★ 住在人民城寨
資生堂ギャラリー 銀座

曹斐は、1978年生まれの中国を代表する新進の若手女性アーティストである。日本や欧米のポップカルチャーの影響を受けた、デジタルを駆使した映像やインスタレーション作品を発表している。この展覧会は、彼女が2009年1月より「セカンドライフ」上で展開する、RMB City Projectの一環として開かれている。RMB Cityという、「セカンドライフ」上の創造活動空間である仮想都市をベースに、2年間にわたって世界各地の美術館・国際展などを巡回し、RMB Cityが成長・変化していく様子をインスタレーション作品とするものである。
もともと、中国の大衆文化というのは、猥雑で、フェイクで、キッチュなものである。表と裏が一体化というか、他国ならアンダーグラウンドでしか生息し得ない生き物が、堂々と大手をふって表通りを闊歩しているようなところが特徴だ。これは、戦前の上海租界のイメージ然り、香港の九龍城然り。また、黒社会の人々が、そのままカタギのビジネスもやってしまうというのも、その延長上だろう。そしてもちろん、あのパクりテーマパークもそうだ。
そういう意味では、大衆文化が大きく開花すれば、その「伝統」を受け継ぐアーティストが、ファインアートの領域で出てきてもおかしくはない。そういう意味では、大衆社会化した中国における、そういったアーティストの嚆矢ということができるだろうし、実験的な試みにトライする意味も理解できる。しかし、このRMB Cityのロゴ。心なしか、某ゲイバーのロゴを連想させてしまうのだが。



10/4w
原耕一アートディレクション展 「もうちょっとだな」
ガーディアン・ガーデン 銀座
クリエーション・ギャラリーG8 銀座

フロンティアがそこここにある時代に居合わせたラッキーなヒトは、突き抜けるパワーさえあれば、存在感を世界に示すことができる。そして、そのパワーを持続できれば、常にトップランナーとして、その地位を脅かされることはない。もちろん、そういう時期は、パワーのないヒトにとっては、生きづらい時代であろう。ちょうど戦国時代の武将がそうであったように、パワーのあるヒトにとっては、これほどフィットする時代はない。
原氏は、そういうパワーにあふれているし、彼の作品もまた、そんなパワーに満ちている。いずれの作品も、原氏の作品であることは一目瞭然だが、作品だけみたのでは、いつの時代のモノかわからない。そこに写っている商品写真を見てはじめて、それが70年代なのか、80年代なのか、90年代なのかわかる。ある意味、ビートルズのアルバムが、リマスタリングされてミリオンセラーになっているのと似ている。
ロックがロックらしかった、70年代初頭。原氏は、実際ロックアルバムのデザインも多くこなしているのだが、そんな時代のパワーを持って今も疾走しつづけている。その時代に生きたことはラッキーだが、同時代を生きてきた凡百な人々と違うパワーは、天才の証。ロックを音楽学校で「勉強」するような時代に育った若者たちに、これらのヴィジュアルはどう見えるのだろうか。それにしても、70年代に青春を過ごせた自分は、つくづくラッキーだったと思ってしまった。



10/3w
山形季央展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

資生堂のコーポレート・アイデンティティーの一つの核ともいえる、アートディレクション。山形季央氏は、その中枢ともいえる制作室長を、この春までつとめていた、アートディレクター、クリエイティブディレクターである。この展覧会は、彼の資生堂のコーポレート・クリエイティブ・ディレクターとしての代表作といえる作品、アートディレクターとして、外部のクライアントのために制作した作品、そして「顔」をテーマにした、今回の企画展のための新作という三部構成となっている。
作品においては、山形氏の持つ、ミニマムな表現で最大の効果をもたらす作風が一貫して感じられる一方、そのシンプルな力強さが、資生堂のデザインアイデンティティーと相乗効果を発揮し、歴史性と現代性を同時に感じさせるものとなっている。それが、資生堂関連の作品だけではなく、オリジナル作品においても一貫して感じられるところが興味深い。
ある意味、こういうカタチで、企業の文化風土が受け継がれ、連続的に時代に合わせた姿を取ってゆけることが、真のコーポレート・アイデンティティーということができるだろう。各人の持つ個性がくっきりと際だった上で、脈々と全体を貫く「らしさ」を失うことがない。100年を越える資生堂の歴史が語る世界感は、もはや、日本が世界に誇る文化の一つとなっている。単なる「モノ作り」ではない企業も、日本にはあるんだ、という存在感がそこにはある。



10/2w
北島敬三 1975-1991 コザ/東京/ニューヨーク/東欧/ソ連
東京都写真美術館 恵比寿

1975年に写真家としてデビューし、1983年の木村伊兵衛賞受賞とともに、その独特のストリート感覚、ライブ感覚が評価されている、北島敬三氏。今回の企画展は、氏の作品の中から、東京都写真美術館の収蔵品により、熱い時代と四つに組んで熱い作品を発表しまくっていた80年代を中心に、75年のデビューから91年までの大型組写真作品により構成されている。
具体的には、1975-80年という、ベトナム戦争終了後の沖縄を捉えた「KOZA」。自主運営ギャラリー「イメージショップCAMP」時代の1979年の「東京」。格闘技のようなスナップショットがセンセーショナルな、1981-82年に撮影された木村伊兵衛賞受賞作の「NEW YORK」。一変して、クールに人物を見つめる作風を切り開いた、1983-84年の「東欧」。ソ連邦崩壊直前のロシアを「記録」した、1991年の「U.S.S.R」。これらの5作品が、広い会場を埋めつくす、多数の大判プリントにより迫ってくる。
どの作品も、たかだか2〜30年前の話。決して古いワケではないし、20世紀末からの時代の停滞感を考えれば、80年代は昔話ではない実感があるのが普通だろう。しかし、なぜか、はるか昔の出来事のように見えてしまうのはなぜだろうか。それはきっと、形は似ていても、勢いやパワーといった内的なエネルギーの大きさが大きく変わってしまったからだろう。バブル崩壊とともに、我々が失ってしまったものは何か。それを気がつかせてくれるエネルギーが、これらの写真の中にはある。



10/1w
平成21年度 東京都写真美術館収蔵展 「旅」第3部 異邦へ
東京都写真美術館 恵比寿

「旅」をテーマとした、今年の東京都写真美術館収蔵品による企画展。いよいよ、その三部作の第三弾の登場である。今回の展覧会は、サブタイトルを「異郷へ」と題し、20世紀の日本の写真家たちが、海外で撮影したシリーズ作品で構成されている。
紹介される写真家は、安本江陽、福原信三、木村伊兵衛、渡辺義雄、桑原甲子雄、名取洋之助、三木淳、林忠彦、奈良原一高、川田喜久治、植田正治、森山大道、小川隆之、深瀬昌久、港千尋、白川義員、並河万里、長野重一氏の各氏という、盛り沢山の内容である。このうち森山大道氏は、第2部に続いての登場となる。
全体は4パートから構成されている。「第1章:異邦へ」は、昭和初期に海外の写真を学び、表現としての写真に、彼の地において挑戦した先駆者たちの作品。「第2章:異邦人としての眼差し」は、1950年代に、海外取材という直接的な使命を帯びて撮影された作品。「第3章:自己探求への途」は、主として60年代から70年代にかけて、武者修行として海外での創作活動に邁進した写真家たちの作品。「第4章:歴史の証言者としての旅」は、80年代〜90年代にかけて、変動する人間社会を被写体とすべく、グローバルな視点から撮影された作品。
このように、写真家にとっての「海外世界」のポジショニングが、時代と共に変わってゆくのを踏まえた流れとなっている。そういう意味では、第1部からの「旅」というまとまりより、今回の展覧会自体が、一つの独立した企画展としてみたほうが完結性が高く、感じるものも多いかもしれない。



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