Gallery of the Week-Apr.10●

(2010/04/23)



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リクルート50周年記念企画 『時代と、人と、情報。』展
クリエイションギャラリーG8 銀座

週末が5回ある月の、5回目のネタというのは、どうも扱いに困る。月単位で更新している以上、すぐに鮮度が落ちてしまうような感じなので、大ネタは出しにくい。おいおい安易なネタで埋めるコトになる。おまけに、今週からはGW進行に入ってしまう。ということで、このコーナーにふさわしいのか難しいところもあるが、イベントとしては大々的な、このネタを取り上げる。
まさに日本が高度成長にテイクオフする、1960年の4月にリクルートは創業した。その半世紀の歴史は、そのまま、昭和日本、戦後日本が神話になり、そしてギャグのネタになってしまった歴史でもある。その間の日本社会の変化と、リ社の変化を、リクルートの事業の歴史を接点として見せるイベントである。クリエーションギャラリーG8を中心に、リクルート GINZA8ビル1F全体を使っての展開となっている。
こうやって俯瞰してみると、リクルートのビジネスというのは、決して時代を切り開く新しいものではないし、既存ビジネスの既得権と敵対するモノでもなかったことがわかる。まさに、視点や着眼点を変えるコトによって見えてくる「ニッチな隙間」を、ウマく撚りあわせて、大きな市場に育てていくのがウマいのだ。
この強みは、時代や対象、領域などを問わない。その分、あらゆる場面で強みを活かすことができる。リアルタイムで言われたほど、誰の敵でもない。まさに、それこそがベンチャー的な発想だし、既存ビジネスからは理解されにくかった原因であろう。



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椿会展2010 Trans-Figurative
資生堂ギャラリー 銀座

1947年の資生堂ギャラリー再開と共にスタートした、グループ展である「椿会」。k今年は、2007年に活動を開始した第六次椿会の4回目、最終回の展覧会に当たる。今次の椿会は、伊庭靖子氏、塩田千春氏、祐成政徳氏、袴田京太朗氏、丸山直文氏、やなぎみわ氏の6人のメンバーから構成されており、「Trans-Figurative」というコンセプトのもと、過去の椿展の伝統も、各作家の持つ世界をも越える何かを、メンバーのコラボレーションの中から生み出すことを目的としている。
今までの3回の展示会は、このメンバーの中から4人が作品を出展する形式で行われたが、3回で各メンバーが2度づつ出展したのち、最終回である今回だけは、6人全員が出展し、フィナーレを飾ることになる。
今までの展示が、かなり全体としてのコンセプトを重視したものだったのに対し、今回はどちらかというと、各人の「芸風」を活かした「共同展」的な印象が強い。ひとわたりこのメンバーで実験的なコトをやってきて、その成果を自分らしい世界の中に活かした、というニュアンスだろうか。個々の作品のインパクトは良しとして、全体としてのメッセージをどう捉えるかは、けっこう難しいものがあるかもしれない。何かカギがあるとすれば、連作のドローイングということになるのだろうが。



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正岡子規と明治の鉄道
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 新橋

かつて、紀行モノという文学のジャンルがあった時代があった。その時代においては、旅行の移動の王者といえば鉄道であった。そういう意味では、文学と鉄道の親和性は高い。主要な舞台や設定になったり、ストーリー上の重要なエレメントになったりと、その例をあげればきりがない。
この展覧会では、明治26年夏に、正岡子規が新聞「日本」の記者として、東北地方を一ヶ月に渡って取材しルポした旅の紀行文、「はて知らずの記」をベースに、今の東海道線である官鉄線、東北線である日本鉄道線が全線開通し、日本列島が鉄道で結ばれた頃の、旅のあり方と交通のあり方を振り返るモノである。
限られたスペースのワリに、大きなテーマであり、ちょっと中途半端な構成という感じがつきまとう。しかし、鉄道に限らず、当時の郵便制度や、荷物の配達、旅館の予約といった、サービスシステムの面まで視野を広げた点は、こちらの知らなかった情報もあり、なかなか興味をひかれる。
企画展のテーマとしては、なかなかユニークかつ面白い着眼点であり、「鉄道歴史展示室」というあり方にもマッチしている。今後も、鉄道×文芸という路線の企画展を展開してゆけば、けっこう拡がりがあり、東京ステーションギャラリーが復活したあとなどには、差別化の出し方としても面白いかもしれない。



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TDC展 2010
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

毎年春恒例の、東京タイプディレクターズクラブ主催のタイポグラフィー展、「TDC展」。 今年は、国内外から公募されたで3,000以上の作品の中から選ばれた、「東京TDC賞2010」受賞作品10作品をはじめとする、て約100作品の展示である。
毎年毎年、その年ならではの特色が見られるのが、この手のコンテストの面白いところだが、今年の傾向としては「両極化」というのがあげられるだろう。タイポグラフィーが基本にあるので、あくまでも「文字のデザイン」にコダわるのだが、その方向がことなっている。まずひとつは、文字の元来の役割である「テキスト」を強調させるためにデザインを活用するという、極めて正統派といえる方向。もう一つは、文字をテキストから分離させ、いわば「純粋文字」としてのデザインを際だたせるという、文字のある種の機能を否定する方向である。
これは、欧米的な発想だと対立的に捉えられてしまうかもしれないが、決してそうではない。「書道」の伝統がある国ならば、写経のように読みやすいツールとしての面と、書道家の豪快な書のように文章そのものから逸脱した表現という面と、両面が常にあったことを知っている。ある意味、これ自体が「先祖返り」といえる。
そういえば、海外からの参加者には、中国(大中華圏)と韓国のデザイナーが目立った。もちろん、この両国において経済発展をバックに、グラフィックデザインが急速に進歩しているということもあるだろうが、文字に対し、単なる意味を表すツール以上の思い入れを込める伝統が生きているのではないか、と思ってしまう。



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ゑびす大黒 -笑顔の神さま-
INAXギャラリー 京橋

基本的に気候が安定し、土地の生産力も高い東アジアでは、元来来世での救済を説くモノであった宗教も、極めて現世御利益に特化したモノとなる傾向が強い。そういう信仰の象徴ともいえるのが、生産・繁栄の神様としての福の神であろう。福の神といえば「七福神」としてパッケージで登場することも多いが、その中でも特に人気と御利益が高いのが、ゑびす様と大黒天であろう。
いわば、日本の庶民の生活信仰ともいえるこの両神は、庶民が経済活動の中心となった江戸時代以降、人々の日常生活に深く密着した心のよりどころとなっていた。この展覧会は、長年にわたって、人々が手放したゑびす像・大黒像を寄託してきた、滋賀県の市神神社が収蔵するいろいろなゑびす像・大黒像、300体近くを、宝船図など関連する資料と共に展示するモノである。
像は、江戸時代のものを中心に、鎌倉時代のものから明治以降のものまで、幅広く集まっている。内容的にも、それなりの由緒を感じさせるモノから、土産物的な雑多なものまで、まさになんでもあり。この辺の猥雑さも、やはり庶民の日常生活レベルの信仰ならではということができる。それが、これだけの物量になると、ある種のオーラが生まれてくるから不思議だ。
通史的な展覧会にすると、どうしても「美術的な価値」や「歴史的な価値」がキュレーションの核になってしまう。歴史の教科書にしてもそうだ。とはいうものの、人々の生活はそんな教条的なモノではない。そんな、昔の人々の、泥臭い生活感が見えてくる展覧会というのも、ほのぼのとしていいものではないか。



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