Gallery of the Week-Oct.10●

(2010/10/22)



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ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現
東京都写真美術館 恵比寿

東京都写真美術館では、興味ある展覧会をダブルでやっていたので、二週分連続利用して紹介する。98年11月から99年1月にかけて東京都写真美術館行われた、「ラヴズ・ボディ ヌード写真の近現代」。ヌード写真に、エロスや造形美以外の社会的な表現を読み取ろうという企画展であった。当時の印象は、「Gallery of the Week-Dec.98」に記してある通りである。
今回の展覧会「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」は、エイズを抱えた多くのアーティストがエイズに向き合い制作した作品を通して、セクシュアリティや身体表象、政治などの問題を、自分たちの問題として捉えるよう問いかける企画展である。AAブロンソン、ハスラー・アキラ/張由紀夫、フェリックス・ゴンザレス=トレス、エルヴェ・ギベール、スニル・グプタ、ピーター・フジャー、デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ、ウィリアム・ヤンという、8名のアーチストの作品が展示されている。
テーマがテーマだけに、作品も内省的、個人的な表現が多く、ある意味難解である。多分、そのモヤモヤとしたモノを共有できるヒトには、極めて共振を引き起こす。しかし、それは力づくで揺さぶるものではない。それだけに、共振のなかったヒト、弱かったヒトも、なにか不思議な気分にさせるのであろう。



10/4w
二十世紀肖像 全ての写真は、ポートレイトである。
東京都写真美術館 恵比寿

例年のように、3回の展覧会を通してワンテーマを追う構成とは一味違えた、今年度の東京都写真美術館館蔵作品展。ポートレイトをキーワードに、それぞれ独立した3つの写真展として構成されている。今回は、その3回目。「二十世紀肖像」と題され、写真史上に残る有名作品を含む、200点近い20世紀のポートレイト写真による展覧会である。
全体は、芸術写真としてのポートレイトの誕生を捉える、序・モダニズム。記録を超え時代の象徴としてのポートレートを捉える、Part1「時代の肖像」。報道写真やドキュメンタリーの被写体の中にも人間の表情を捉える、Part2「ドキュメンタリーの中の人間像」。私小説的な表現を象徴する家族ポートレイトに着目する、Part3「家族へのまなざし」。ポートレイトの形式は取るものの、それを超えた表現を目指す、Part4「想像の身体」の5パートから構成される。
写真の持つ客観性は、写真家の予想しなかったような情報も、画像の中に定着させてしまう。さらに、人間の顔、そしてその表情の持つ情報量には、恐るべきものがある。ポートレイトには、その莫大な情報量が凝縮されている。写真と肖像の蜜月の中から、相手の顔を見ることが、人間にとっての認識の基本であるという事実に、改めて気付かされる。



10/3w
夢みる家具 森谷延雄の世界 展
INAXギャラリー 京橋

20世紀初頭という、アートやデザインの変革期を、文字通り怒涛の勢いで駆け抜け、33歳という若さで夭折した森谷延雄氏。独自の世界と哲学を持った、家具・室内装飾デザイナーとして知る人ぞ知る存在である氏の業績を、INAXギャラリーらしくコンパクトに振り返る展覧会。
この時代は、世界的にアールヌーボーからアールデコ、そしてモダニズムへとデザインがめまぐるしく変化すると共に、現代音楽や現代美術など、20世紀ならではの前衛的な表現が生まれた時期である。それだけでなく、日本では大正デモクラシーからエログロナンセンスに続く、エネルギッシュな大衆文化が花開き始めた時期でもある。
そんな10年弱のうちに、家具デザインに関し、研究、執筆、教育だけでなく、実際のビジネス化まで、膨大な仕事を成し遂げた森谷氏は、まさに時代のただ中を生きたことがわかる。装飾性、合理性、ファンタジー性が微妙にバランスしたその世界観は、ある意味、日本の近代文化、大衆文化のいい面だけを結晶させたような味わいがある。20世紀に希望があった時代、その時代だけを生き抜き、燃え尽きた森谷氏だからこそ、その作品は永遠の生命をもっているといえるだろう。



10/2w
海と山と新村則人
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

瀬戸内海の小島、浮島に生まれ育ったデザイナー新村則人氏は、海と山に囲まれた大自然の中で少年時代を過ごしたライフヒストリーを具現するかのような、自然をテーマとし、またモチーフとしたユニークな作風で知られている。今回の展覧会では、1階は「海」、地階は「山」をテーマに、過去のポスターを活かしつつオリジナルのインスタレーションを展示している。
その結果、全体としては、ギンザ・グラフィック・ギャラリーでは珍しい、アーティスティックな展示になっている。その中に、ポスターなどのグラフィックデザインの作品が、見事にハマり、全体としてのトータルなイメージをかもし出しているところがなんともユニークである。
それでいながら、個々のポスターは、作品のための作品ではなく、ちゃんと広告や商業デザインとして成り立っているというところが、なんともスゴい。ここが、新村氏の新村氏たる由縁だろう。自然を使っているのでもなく、自然を装っているのでもなく、まさに、新村氏自身が自然なのだ。こういう存在感は、あっさりと論理を超越してしまう。



10/1w
第3回写真「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

『ひとつぼ展』をリニューアルし、2009年からスタートした「1_WALL」展も、今回で3回目。回を重ねる毎に、グラフィック、写真の両部門とも、「1_WALL」展らしい作品、というトレンドが生まれてきつつあることを感じさせてくれる。それは、今回の写真「1_WALL」展でも共通している。それは、展示される個々の作品を超えた、インスタレーションという「メタ作品」としての存在感である。
この主客が転換した、作品の展示を効果的にするためのインスタレーションではなく、インスタレーションという究極の作品を作るパーツとして個々の作品が展示されいてる、という流れが、どうやら「1_WALL」展が生み出しつつある可能性のようだ。これは写真でもグラフィックでも共通に見られる傾向だ。
もちろん、今回もオーソドックスな意味での「写真作品」も出品されている。しかし、山野浩司氏やいしかわみちこ氏の作品は、明らかに違う地平にある。「写真を使ったアート作品」であることは間違いないが、この作品性は写真という部分にあるかといえば、明らかに違う。
森村泰昌氏や森万里子氏が、作品の手段として写真を活用したのが、写真への現代アートの侵入の第一段階とすれば、これらの作品はその第二段階を予想させる。今後、この流れの中からどういう作品が生まれるか。写真もグラフィックも飛び越え、インスタレーションとパフォーマンスを融合したものかもしれないが、なにかスゴいことが起こりそうな期待を感じた。



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