Gallery of the Week-Jan.11●

(2011/1/28)




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早崎真奈美展 『Dear unexpected visitors』 〜親愛なる予期せぬ訪問者様〜
ガーディアン・ガーデン 銀座

ロンドンを中心に活躍する早崎真奈美氏は、切り絵をもちいたインスタレーションの作家として知られている。氏は、『ひとつぼ展』をリニューアルし、2009年より始まった公募展「1_WALL」の第2回グラフィック部門グランプリ受賞者であり、今回の展覧会は、その賞として与えられた権利に基づき開催する個展である。
作品のイマジネーションも、インスタレーションの完成度も、切り絵のテクニックも、どれもすばらしいのはもちろんだが、今回の個展のインパクトは、それだけにとどまらない。個々の作品のテーマやモチーフと超えた、早崎氏の制作する作品の持つ存在感こそ、今回の個展の華といえる。
昨今、家電や映画では、3Dが話題になってる。3Dは、ある意味AR技術の進歩だが、いくら立体的でリアルに見えるといっても、それはヴァーチャルなイメージでしかない。その存在という意味では、通常の2Dの画像・映像と変わりない。氏の「切り絵」は、トポロジカルには2Dの画像と同じはずである。ところが、それがインスタレーションとなったとたんに、3Dのリアルな存在となっている。
アートにおいて、「画材」としてのディジタル・テクノロジが活用されるようになればなるほど、作品の「ヴァーチャル性」が強まってしまうことは否定できない。もちろん、森村泰昌氏のように、それを活用した作品を発表するアーティストもいる。しかし、そうであるがゆえに、「アートとしてのリアル」をどこにクリエイトするかが、21世紀的なアートの大きな課題となっている。
「ヴァーチャルなイメージ」を、「リアルな存在」とする彼女の作品は、まさしく、この問いかけに対してひとつの答えを生み出そうとしている。どこまで意識的にそれを実現しているのかはわからないが、これはスゴい。いまだに、画面上のヴィジュアルインパクトにうつつをぬかしている「ヘタれデジタルアーチスト」は、彼女の爪の垢でも煎じて飲むが良い。



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秀英体100
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

大日本印刷の前身である秀英舎が、現在の明朝体につながるオリジナル和文活字書体「秀英体」を開発して、ちょうど100 年。「平成の大改刻」と呼ばれる、デジタル時代に向けたリニューアルプロジェクトにより新しく生まれ変わりつつある。このような機会をとらえ、「秀英体」という書体に焦点を当てた、ユニークな展覧会である。
一階は、文字のデザインで知られるデザイナー25人の競作による、秀英体をテーマとした新作ポスター展。地階は、活版印刷から電子書籍まで、進化し続けた「秀英体」の100年を、実際に秀英体が使用された書籍、ポスター、広告等の作品により振り返り、これからを展望する。
しかし、デザイン・印刷については、OJTというか「門前の小僧」でつけた知識なので、ぼくが仕事をする以前の時代については、実は体系的にわかっているワケではない。文字の印刷といえば、写植・オフセットが「当たり前」であり、活版は歴史的にあったことこそ知っていても、実際どう使われていたのかまでは知らない。
地下の「秀英体の歴史」に関する展示を見ていて、実は、文字の印刷が、活版から写植・オフセットに替わるところで、デジタル化にも匹敵するような、大きな構造的変化があったことに気付き、大いに驚かされた。それまでの文字印刷は、職人による製版作業が中心だったのが、デザイナーによる版下制作により主導されるものになる。
展示は、電子出版も睨んだものになっているが、まさに電子出版、電子書籍を考えるとき、植字職人的な視点で印刷物を考えるか、デザイナー的視点で印刷物を考えるかが、極めて重要な岐路になっていることに気付かされる。そして、ハード・ソフトとも技術者の視点が、極めて活版的なことも理解できる。過去を知ることは、実は未来を理解することにも繋がる。こういう思わぬ成果もあった。



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shiseido art egg vol.5
藤本 涼展 <かすみをたべて幻視する>
資生堂ギャラリー 銀座

資生堂ギャラリーでは、1919年の開館以来「新しい価値の発見と創造」という理念のもと、今でいうCSR活動として、新進アーティストにギャラリーの門戸を開放し、発表の場を提供してきた。今年で5回目となる「shiseido art egg」も、 そのような活動理念に基づく活動の一環としての公募展である。今年は、藤本涼氏、今村遼佑氏、川辺ナホ氏の三氏が入選し、1月から3月にかけて、順次展覧会を開く。
その第一弾が、「かすみをたべて幻視する」とサブタイトルがつけられた、藤本涼氏の作品展である。デジタルで撮影された画像を合成し、それを銀塩フィルムで撮影した上でプリントし、それを厚いアクリル板に貼り付けるという、独特のプロセスで制作される手法が、氏の作品を特徴付け、独特な幻想的イメージを表現している。
確かに今の時代、写真という技法を用いて「アート作品を作る」ことは、敷居が低い分、逆に極めて難易度があがっているともいえる。「前門の狼、後門の虎」といおうか。一方で、テレビ番組「ナニコレ珍百景」の「たまたま珍百景」ではないが、カメラの機能が上がった分、全く無作為の偶然でも、極めてインパクトとメッセージのある写真が取れてしまう。その一方で、コンピュータグラフィックスの進歩により、作為さえあれば、実体がなくても、そのものズバリをあらわした画像が作れてしまう。
そのような中で、実体のある「撮影画像」から、なんらかの表現を力強く導き出すためには、余程確固とした表現意図と表すべき心象を持たなくてはならない。それがなくては、簡単に埋没してしまう。そういう意味では、ディジタル化の進展は、裾野を広げたことも確かだが、頂点をより高めたコトも確かだ。氏の作品が、どこまでその高みを極めたかはさておいても、その高みに挑もうとする意思は強く感じられる。それが、21世紀の芸術における重要な課題であることはいうまでもないだろう。



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