Gallery of the Week-Oct.11●

(2011/10/28)



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コレクション展「こどもの情景−原風景を求めて」
東京都写真美術館 恵比寿

東京都写真美術館のコレクション展は、毎年、年間を通じたテーマを設定し、収蔵作品の中から選ばれた作品により構成されている。今年度は「こどもの情景」をテーマとし、春から3期にわたって開催している。この「こどもの情景 原風景を求めて」は、その第3期にあたり、こどもの世界をとらえた約140点の作品を、18の「情景」に分類して展示している。
今までの第1期、第2期が、どことなくこじつけたような違和感の残る攻勢だったのに対し、今回はストレートに「子供の写真」である。「困ったときは、子供か動物」というコトバが業界にあるように、子供の写真というのは、いわば王道で外れがない。そういう意味では、それなりにまとまって、なにがしか世界観が醸し出されて当たり前ともいえる。
しかし、それを越えた部分でメッセージが出てきてしまうのも、写真という表現の面白いところである。それは、ここに集められた写真のほとんどが、「昭和の日本」で撮られたものである、というところにカギがある。子供の写真には、かなりストレートに時代や生活が写り込む。しかし、戦前から80年代まで広がっているその写真に写りこんでいる人々の暮しは、2つのパターンしかない。
その転換点は、戦前・戦後ではなく、高度成長前・高度成長後であるということは、画面からありありと伝わってくる。東京オリンピック当たりから変わりはじめ、70年代に入ると、あきらかに「時代劇」ではなく「現代劇」になっている。政治の問題は、人々の暮らしのあり方とは、基本的には繋がっていないということが、図らずも証明されてしまう。そういう、違った見方もできてしまうということは、それなりにいい構成といえるのではないだろうか。



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発光する港 〜香港写真の現在2011〜
ガーディアン・ガーデン 銀座

1994年からはじまった「アジアンフォトグラフィー」シリーズの第7弾として、香港の9人の写真家を取り上げる。中国の一部でありながら、英国の植民地とされてきた歴史的経緯から、長く東洋と西洋を結びつける都市国家として、世界経済の中心地の一つとなり、独自の経済発展を遂げてきた。その存在感は、中国本土復帰後10年以上たった今でも変わらない。
今から20年以上前の、1980年代。香港から、当時話題になり始めた深センに入ったことがある。その時感じたのは、1997年の本土復帰は、当時言われたように香港の中国化ではなく、中国の香港化のきっかけになるに違いないだろう、ということだった。案の定、歴史はその通り動いたし、今も香港は中国の近未来の姿を描き続けている。
その反面、文化という意味では、所詮英国支配以降に生まれた都市に過ぎない香港は、「4000年の歴史」を誇る、中国にかなうものではない。オーソドックスな写真作品が多かった作品群は、日本、韓国、中国など、いろいろな東アジア諸国のアーティストたちの作風の影響を感じさせるものであった。しかし、それは悪い意味ではなく、その「何でもあり」さ加減が、香港の真骨頂ということなのだろう。
今回の展覧会で、一番インパクトがあったのは、全体のインスタレーションである。ガーディアン・ガーデンの空間が、こんなに高密度な展示で埋め尽くされたことは、今までなかったのではないか。まさに、香港島のあの猥雑なまでに高密度な空間を思わせる。しかし、こういう使いかたができるということは、次回以降の「1_WALL」展では、何かとんでもなくユニークなインスタレーションが出てくるヒントになったのではないだろうか。



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ウィーン工房1903-1932-モダニズムの装飾的精神-
パナソニック電工 汐留ミュージアム 新橋

ウィーン工房は1903年、ヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザー、そして二人をバックアップしたフリッツ・ヴェンドルファーの3名がはじめたプロジェクトで、建築から、インテリア、家具、照明、食器からアパレルやアクセサリのデザインまで、生活の全てを装飾する「総合芸術」を提唱し、企業としてその制作から販売まで行った。
世紀末ウィーンの芸術運動の影響を受けながら、20世紀初頭にスタートし、1920年代以降のアールデコやモダニズムへの橋渡しとしての役割を果たしたウィーン工房は、また、芸術と工芸が一体化し、大衆文化としての「デザイン」が生まれるための揺籃の役割を果たしたということもできる。
今回の展覧会は、ウィーン工房の30年に及ぶ活動の跡を、3つの時期に分けて紹介するとともに、ウィーン工房出身で、その後日本で活躍したフェリーチェ・ウエノ・リックス(上野リチ)の業績を振り返るものである。比較的狭い会場ながら、インテリアやファッション関係の展示物が多いこともあり、なかなか密度が高く見応えがある。
モダニズムへのジャポニズムの影響は、ミニマルな機能主義と、大衆文化としてのアート性という二つの面から、強い関係があるというのは、かねてから筆者の感じているところだが、この世紀初に生まれたウィーン工房の活動を眺めると、そのミッシングリンクがくっきりと繋がってくる。古くもあり、新しくもある、両面性を持った作品群だが、その語る意味には極めて深いモノがある。



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愉快な家 -西村伊作の建築- 展
INAXギャラリー 京橋

文化学院の創設者として知られる西村伊作氏は、明治末期から昭和にかけてマルチクリエーターとして、いろいろな領域で幅広い業績を残した。その中でも、原点といえるとともに、今に伝わる多様な作品を残したのが建築の分野である。また、建築の領域は、彼の文化に対する哲学を、最も具体的に実践した場でもある。
この展覧会は、現存する9件の住宅の紹介をベースに、彼がそこにデザインした生活文化やライフスタイルといった世界観を紹介するものである。海外の最先端の事情にも影響こそ受けているものの、日本の風土における日本人の生活に即した設計は、100年後の今から見ても、西村氏の個性が輝いており、存在感を失っていない。
しかし、財産を持った才能ある人間が、自由に自分の世界を構築できた時代というのは、なんとすばらしい果実を生むのだろう。個々の作品を超えて、西村伊作氏という人間の生き様そのものが、新たな文化を生み出している。得てして、ゼロから何かを生み出すというのは、それくらい自由な人間にしかできないことなのだ。
世の中は、この100年で誰もが豊かになり、とても便利になった。しかし、「天才」が縦横無尽な活躍をできるような空間はなくなり、秀才向きの窮屈な空間しか残されていない。建築も確かにスゴいのだが、人間がクリエーティブになれるというのはどういうことなのかを、原点から考え直す機会としてのほうが、余程得るものは大きいだろう。



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