Gallery of the Week-Apr.12●

(2012/04/27)



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会津−江戸の旅・近代の旅−
旧新橋停車場「鉄道歴史展示室」 新橋

旧新橋停車場「鉄道歴史展示室」では定番となった、鉄道開通以前の江戸時代の旅と、鉄道開通以降の旅の姿を対比して捉えるシリーズ、今度は「会津」がテーマである。会津地方といえば、戊辰戦争の鶴ヶ城と白虎隊、猪苗代湖、磐梯山、野口英世の生家など、そこそこ観光資源もあり、特に関東地方の人だと、修学旅行や校外学習などでも定番となっているエリアだ。
とはいうものの、他の大観光地に比べると、やっぱり地味なのだ。だからこそ、学校行事に向いているということもいえるのだろうが。そんなこんなで、古くから旅行のディスティネーションとなり、人々を集めていたワケではないというところが、どうしても弱い。結果的に、江戸時代の部分は、街道による参勤交代と名産品の輸送というところに終始してしまっている。
苦肉の策ではあるが、旧新橋駅、汐留貨物駅の南側が、元会津藩中屋敷の跡などどいうネタまで動員して、なんとかまとめた感が強い。それに引っ張られたのか、後半の近現代の部分も、岩越鉄道の開通から説き起こした磐越西線の歴史、というところに終始してしまっている。
まあ、Nゲージ模型の展示や、ED77形式のナンバープレート部分の展示など、鉄道よりのところは一応押えているが、なんか中途半端な感はぬぐえない。これ、やっぱりテーマ設定に無理があったのではないかなあ。まあ、東京ステーションギャラリーの復活も近いので、「鉄道歴史展示室」の展示は、もっと濃いヤツにしちゃってもいいんじゃないの。



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原弘と東京国立近代美術館 デザインワークを通して見えてくるもの
東京国立近代美術館 竹橋

さて、東京国立近代美術館開館60周年を記念した企画として、「原弘と東京国立近代美術館」展が同時開催されている。近代日本デザイン界の創始者の一人ともいえる原弘氏は、美術館が開館した昭和27年から23年間にわたって、ポスターや印刷物などのアートディレクションを一手に手がけてきた。その足跡から、戦後日本のデザインの流れと、近代美術館の発信したメッセージを振り返る企画展である。
内容も興味深いし、ゴールデンウィークも近くなり、コンテンツの更新がイレギュラーになることも考慮して、別建てで掲載することとした。原弘氏といえば、東京府立工芸学校の製版印刷科の第一期生という経歴からもわかるように、日本において「デザイン」というコンセプトがうまれ、デザイナーやアートディレクターという職種が生まれる最初の世代に属する。いわば、無から日本のデザイン界を創り上げていった世代である。
それだけに、高度成長期以降の活動は、デザインワークよりも、デザイン業界の大御所としての存在感の方が目立ってしまう。しかし近代美術館のアートワークにおいては、最後期まで、「原流デザインワーク」を形にし続けていたことがわかる。それは原点ともいえるタイポグラフィーから発した、シンプルな色と形へのこだわりである。
作品をよくみると、昭和40年代のモノでも、タイトルについては、その展示会の内容に合わせて、手描きのレタリングで、オリジナルのタイポプフェイスを創っているものがある。全体のトーンは、その当時の時代性を反映しているのだが、その手描きのタイポフェイスは異質である。しかしそれが、近代美術館のデザインであるからこそ、そここだわりがそこに感じられる。それだけ、特別な仕事だったということだろう。



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生誕100年 ジャクソン・ポロック展
東京国立近代美術館 竹橋

アメリカ現代美術を代表するアーティストの一人、ジャクソン・ポロックの生誕100周年を記念して行われる、日本初の回顧展。日本でも知名度の高いアーティストだけに、国内に収蔵されたほとんどの作品を集めるとともに、ポロックの日本初見参となった1951年の第3回読売アンデパンダン展に出展された2作品や、テヘラン現代美術館で先進国初出展となる作品など、世界的に見ても今までにない幅広いラインナップで迫っている。
日本ではポロックというと、彼のスタイルが確立した後の「ポーリング」や「ドリッピング」を駆使した、独自の世界を打ち出した作品があまりににも有名になっている。しかし、彼も、この時代活躍した現代アートの先駆者と同様、そのオリジナリティーあふれる作風を打ち出すまでには、大いなる迷いと試行錯誤があった。そういう初期のスタティックな作品からは、一番表現したいモノが画面から伝わってこない焦りと苦しみが、逆に伝わってきてしまうのが面白い。
やはり、そこでボトルネックになっていたのは、パフォーマンス的な時系列的に沿った心の動きを、どうやって平面の作品の中に表現するかという点にあったようだ。単に代表作を一覧するというだけでなく、その「悟り」にいたる道のりを振り返る、という視点から全体の流れが構成されているのは、キュレーションのウマさであるが、「心の動き」がキーワードなだけに、このキュレーション自身が「メタな作品」になっているということもできる。
そこで改めて思うのは、「ポーリング」や「ドリッピング」による「時間軸の固着」と、書道、墨絵といった、筆と墨を使う表現形式の類似性である。書の世界は、平面表現でありながら、最初から時間軸の要素が入っている稀有なスタイルである。書の世界を知ってか知らずか、出来上がった作品や、作品から作者の心を読み取るリテラシーは極めて近いものがある。もしかすると、これが日本でポロックの人気が高い理由かもしれない。



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TDC展 2012
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

去年は大震災で中止になったものの、今年もまたTDC展の季節がやってきた。今年の入賞作には、海外からの参加作品とこのコンテストの原点ともいえるタイポグラフィーが目立つ。世の中の流れを反映して、実態としてそうなのか、それともある種の意図的な結果なのかはわからないが、ある意味それが時流を感じさせるポイントとなっている。作品としても、企画で狙ったものより、正攻法のデザインが目立っている。そしてまた、国内作品も、海外作品も、同じ地平で肩を並べている。
思い起こしてみれば、昭和40年代ぐらいまでは、表現が絡むモノは、全て欧米のそれがリファレンスになっていた。もちろんデザインもその例に漏れず、欧米風に仕上げるのが、当時のコトバでいえば「カッコいい」ものだった。こういう仕事をしだした頃、先輩から聞いた話では、その頃は、一回海外に行ってネタを仕入れると、それのパクりだけで一年仕事ができたという。まあ、今の中国もこんなノリなんだろう。
その後80年代に入り、日本が経済力をつけるとともに、日本流に対する自信が生まれ、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれたバブル期においては、ガラパゴス化こそが先端的でファッショナブルというイメージに大きく転換した。もう欧米に学ぶものはなく、欧米の方が周回遅れになっている。もちろん、こういう「精神的自立」が、パクりではない、日本の独自性をはぐくんだコトも確かである。
そして、日本のバブルが崩壊し、20年たってアメリカもヨーロッパも経済危機を経験するに至って、どっちが上でも下でもない、単に個性とテイストの違いに過ぎないという、「真のグローバル化」が実現した。今回の作品をみていると、そんな実感がある。BRICSなど新興工業国の経済成長を、日本にとっての脅威と捉える向きもあるが、どうしてどうして、日本はちゃんと一足先に次のコーナーをまわっちゃってるじゃないの。それを、実感させてくれる展覧会であった。



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