Gallery of the Week-Jun.12●

(2012/06/29)



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第5回写真「1_WALL」グランプリ受賞者個展
清水裕貴展「ホワイトサンズ」
ガーディアン・ガーデン 銀座

第5回写真「1_WALL」グランプリ受賞者である清水裕貴氏が、その副賞として開催権を与えられた個展である。氏の作品は、抽象度の高い写真に、散文詩のようなコトバを組合せ、観念的な世界を具体的にカタチにするという、独特のインスタレーションが特徴である。今回も、ニューメキシコで撮影した画像を中心とするスナップ的に撮影した写真と、ファンタジー的なストーリーを組み合わせた作品となっている。
面白いのは、けっこう見ている側が、どこに視線を寄せているかというポイントである。ストーリーという意味では、この作品は、圧倒的にテキストの存在感が強い。画像は、新聞小説のさし絵である。それがわかっている人は、最初から視線がテキスト中心である。ところが、写真展と思って写真中心に見ていた人も、いつしかテキスト中心に「読む」ようになる。そこにひきつけてしまうところが、この作品の力だろう。
しかし、写真がそこに写された現実からも、それを撮影した作者の意図からも切り離された上で、純粋に画面上の情報を解体-再構築するというプロセスは、カメラ付きケータイが普及し、画像がベタな存在となった今世紀では、非常に日常的なものとなった。フェイスブック上などでは、もともとけっこうシリアスな意図を持ってアップロードされた写真が、コミカルなキャプションを付けられることで、お笑いネタとして広く流通してしまうことも多い。
表現としての写真の歴史は、常に創発的に、それまで予期せぬ方向が偶然に生まれることで進歩してきた。そういう意味では、今はまた、大きな転換点にさしかかっているということができる。清水氏の作品は、そういう中で、画像の持つ「写真性」を換骨奪胎することで、新しい表現を創造する試みとして捉えるべきであろう。確かに、これはコロンブスの卵である。



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ジヤンピン・へ フラッシュバック
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

ジヤンピン・へは中国出身のグラフィックデザイナーで、現在はベルリンのデザインスタジオ「hesign」をベースに、デザインビジネスとデザイン教育の両面で、中国とヨーロッパをまたにかけた国際的な活躍をしている。今回の展覧会は、「フラッシュバック」というタイトルをコンセプトとし、彼の15年間の業績から、代表的な作品50数点を選び、彼の世界を紹介するものである。
中国というと、特にデザイン・意匠関係では、このところ「パクり」の話題を聞かない日はないが、アーティスティックな創作という面では、もともと欧米より長い歴史とオリジナリティーを持っている国である。そして、着実にその伝統を受け継ぎ、独自の世界を築くことでグローバルに活躍するアーティストやデザイナーもたくさんいる。
そういう中国文化の奥深さを、改めて感じさせてくれる展覧会である。それにしても、縦にも横にも斜めにも、イザとなったら逆向きでも読める、東アジアの文字文化を受け継いだ国々の生み出すタイポグラフィーは、アルファベット一辺倒の世界とは明らかに違う。それを、自律的にふまえて作品に生かしている点は、さすがに「中国四千年の歴史」の誇りである。なかなか深く、興味をそそる作品群である。
それにしても、「ジヤンピン・へ」は、ちょっと何とかしてほしい。彼の名前、拼音で「ジエン ピンg ホー」でしょ。正しくは資料がないからわからないけど、音からすると「何建平」さんなのかな。英語読みでも「ヘ」はないよなぁ。まあ、中国の人は、日本人の名前でも、漢字は中国語読みで読んじゃうから、ローマ字で読んじゃうってコトなのかもしれないけど。「空へ」じゃないんだからさあ(笑)。



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鉄橋日和 伊藤理恵写真展
ニコンサロンbis新宿 新宿

これまた不思議な写真展である。作者の伊藤氏は、音大出身で、書と写真のコラボレーション作品などを発表しているアーティスト。この数年は、鉄道の鉄橋を主題にした写真を撮っており、その作品を集めた写真展である。ということで、写真は表面的には、鉄橋を渡る電車を写したものである。それも特徴ある橋梁なので、ある程度以上の経験を持っている鉄道ファンならば、撮影地は一目瞭然である。
しかし、この写真は鉄道写真ではない。橋梁写真であり、主役は橋。鉄道車輛は、その橋を引き立たせる脇役なのだ。日頃、鉄道趣味の世界から鉄道を見ている者としては、この違いは中々新鮮である。構図のとり方が違うし、シャッターのタイミングが違う。列車が美しく見えるカットと、鉄橋が美しく見えるカットとは別物ということを、改めて発見できる。
確かに最近は、鉄道趣味の領域でも、周辺の趣味者からの、越境というかコラボレーションが多くなっている。その典型的なモノが、「廃線マニア」であろう。もともと乗り鉄の一ジャンルである「鉄道全線乗りつぶし」が、国鉄末期のローカル線廃止により不可能になったため、せめてその跡を踏破しようとして始まった廃線マニア。今では、産業遺産マニア、廃道マニア、廃墟マニア、隧道マニアなど、多様な人種を飲み込んで大いに盛り上がっている。
それと同じ文脈で、新たな視点から、鉄道やその施設に興味を持つ人が増えてくるというのは、趣味としての健全な発達という意味では、非常に喜ばしいことである。ここで広がった新たな切り口から、新しい視点がさらに生まれてくることを期待したい。もっとも、個人的にはジオラマ屋さんでもあるので。土木構造物や建造物をそれ自体として美しく見せるという発想は、大いに理解できるし、思わぬヒントも得られた。



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没後50周年記念企画 報道写真とデザインの父 名取洋之助 ― 日本工房と名取学校
千代田区立日比谷図書文化館 内幸町

昭和時代の前半、戦前から戦後にかけて、日本の商業美術の黎明期において多方面の活躍と貢献を残した名取洋之助氏の足跡を偲ぶ回顧展。会場はかつての日比谷図書館が改組された「日比谷図書文化館」の展示室。わりといろいろな展覧会場に足を運んでいる方だとは思うが、この会場ははじめての訪問となった。もちろん、このイベントも偶然知ったものである。
展示は大きく三部構成となっている。第一部が、ドイツ留学からメッセージを持った独自のスタイルを確立し、写真家としての名声を築いた、主として1930年代半ばまでを中心とする「名取洋之助の写真活動」。第二部が、そのグローバルなセンスを活かし、グラフ雑誌「NIPPON」など、ビジュアルを通じたコミュニケーションを発信した、終戦までの活動を紹介する「日本工房」。第三部が、戦後の活躍をまとめた「名取学校-週刊サン・ニュースと岩波写真文庫-」である。
基本的に、創成期のファウンダーというのは、自らがその世界の全体像を構築しただけに、その活動はどこか特定の領域にとどまるものではない。そういう意味では、彼の活躍は、フォトグラファーでもあり、アートディレクターでもあり、プロデューサーでもあり、そのどれかにとどまることなく、日本のビジュアルデザインの世界自体をクリエイトしたところに本質がある。
ある意味、音楽でもスポーツでも、そのジャンル自体を創り上げたヒトは、才能にも財産にも恵まれた、真の意味での文化人であることが多い。何もないところから、新たに世界を立ち上げることができるのは、そういう状況下での、そう立場の人が活躍できたときだけかもしれない。経済が右肩上がりの時期は、そういう人たちが思う存分暴れまわれる機会を与えたのも確かだ。昭和レトロのノスタルジーも、そのエネルギーが牽引力となっているのかもしれない。



6/1w
Lineament さわひらき展
資生堂ギャラリー 銀座

さわひらき氏は、ロンドンをベースとして活躍する、若手の映像アーティストである。彼は高校卒業後、イギリスの大学へ留学し、彫刻・立体造形を学ぶが、卒業後は映像作品に転向という個性的な経歴を持ち、この10年ほど世界的な活躍を繰り広げている。資生堂ギャラリー全体を使ったインスタレーションは、大型スクリーン2面、中型、小型スクリーン各1面という構成で、ギャラリーが映像ホールと化している。
その様は、あたかも80年代の科学万博を頂点とした「博展ブーム」の中核となった、大型映像パビリオンを思い起こさせる。そういう意味では、77年生まれのさわ氏は、大型映像も、環境映像も、プロモーション映像も、全てが常識化し「ケ」の世界となってから物心ついた世代である。その映像観が上の世代と大きく違うことは、容易に想像できる。
そういう理由から、彼が映像で表現しようとした世界も、彼が作り出す映像そのもののほうが、より興味を惹かれる。どの映像も、その制作にあたっては、最新のデジタルテクノロジを活用した映像技術が駆使されている。しかし、それらがこれ見よがしに表に顔を出すことはない。常に技術と密接な関係を持つ映像という領域だからこそ、最新のテクノロジと表現の関係はここまで来たのか、と感心させられる。
思えば、その科学万博の頃は、siggraphなどに、最新技術のデモ映像でしかない習作が、「CGアート」と称して出品され、それなりに反響を呼んだ時代があった。それだけでなく、ごく最近でも、そのレベルの表現ですらない作品が、アートの名の元に語られている。しかし、もはやそういう時代ではなく、表現の陰に完全に隠れた裏方としてテクノロジを位置づけられるアーティストが現れる時代になったことを、改めて感じさせてくれた。



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