Gallery of the Week-Jul.13●

(2013/07/26)



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和様の書
東京国立博物館 上野

古代の日本は固有の文字を持たなかったので、中国の漢字を使って記録を残してきた。このため、その書法も中国の影響を受けて発展してきた。しかし平安時代に入ると、中国における唐の衰退等もあり、和歌など文芸を中心に日本独自の国風文化が広まった。それとともに独自の表音文字である仮名が利用されるようになり、書法においても仮名と漢字が融合した新たな動きが生まれた。これが「和様の書」である。
この展覧会は、平安中期以降に生まれたこの「和様の書」にテーマを絞り、それが生まれた平安時代から、現代の書道に通じるスタイルが確立した江戸時代までの秀作を集めることで、その全体像を見せてくれる特別展である。展覧会全体は、「第1章 書の鑑賞」「第2章 仮名の成立と三跡」「第3章 信仰と書」「第4章 高野切と古筆」「第5章 世尊寺流と和様の展開」という五部構成となっている。
とにかく、出展数150点のうち80点が国宝・重要文化財という、重量級の展覧会である。個々の作品については、今までに見たことがあるものも多いが、それらが時系列的に一同に会するという迫力はただならぬものがある。さらに、期間中の展示換えも、例を見ないほど多く、大放出の物量作戦である。おまけに、巻物であれば惜しげもなく全巻を拡げて展示するなど、書に興味のある人にとっては、またとない機会であるといえよう。
例によってお客さんが少ないであろうタイミングを経験的に予測し、そこを狙って入場したので、会場は比較的ゆったりと見られた。しかしその分、お客さんは書道をたしなむのであろう熟女・超熟女の皆様ばかりで、食い入るように鑑賞するので、列の進みかたが通常の展覧会に比して以上に遅いのが妙に目立っていた。そういえば、東博からは鶯谷も近い、などと不謹慎なことも脈略なく思ってしまった。まあ、鶯谷には「台東区立書道博物館」もあるのだが。



7/3w
2013 ADC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(会員作品)・クリエイションギャラリーG8(一般作品) 銀座

毎年恒例の、ADCの季節である。広告を中心とするグラフィックデザインは「ナマモノ」なので、意識するとしないとに関わらず、微妙にその年その年の傾向を反映している。今年はやはり景気も底を打った感があるせいか、全体に元気がある。妙に小手先の小ワザに走らず、堂々と正面から勝負の作品が多い。それも、得意技決めまくり的な王道感がある。
このあたりは、この数年の海外の広告賞と比較してみると、際立った違いがある。海外では妙な「ソーシャル感」が跋扈していて、ある種の公益性を前面に出さないと、時代遅れのような雰囲気になっている。実はこれには強烈に違和感を持っているのだが、今回のデザインの王道感は、これに対する強烈なアンチテーゼという感じで、なかなか気分がいい。
日本のマーケットがガラパゴス化していると切り捨てるコトは容易だが、コトは送り手側の論理では決まらない。デザインが純粋芸術ではなくコミュニケーションを目的としたものである以上、受け手の側がどう感じ、意図したコミュニケーションが成り立っているかという視点がなくては、正しい評価はできない。そういう意味では、日本では一歩先んじて、不特定多数のマスを対象としたコミュニケーションはなくなっている。
デザインの役割は、現代日本では、コミュニケーションのターゲットたる特定のクラスタに刺さるかどうかにある。そうであるなら、普遍性よりは個別性である。たとえば「高級感」であれば、その高級感に付加価値を感じ、そこにお金を払ってくれるお客さんにだけ伝わればそれでいいのだ。その枠組みで考えれば、今の日本のデザインの進む道は、それはそれで正しい進化といえるのではないだろうか。



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ミン・ウォン展 「私のなかの私」
資生堂ギャラリー 銀座

シンガポール出身で、現在ベルリンをベースに活動しているアーティスト ミン・ウォン氏は、有名な映画をベースとし、いろいろな要素を複合させた上で、自らが出演してリメイクするというスタイルで、オリジナルの映像作品を発表している。この数年は特に注目を集めており、今やシンガポールを代表する現代アーチストのひとりとなっている。
彼の作品の特徴のひとつとして、人種的・文化的・言語的に多様性を持つ人工的な都市国家であるシンガポールならではのハイブリッド性がある。今回もその多様性を生かすべく、日本映画をテーマに、日本映画を代表する「時代劇」「現代劇」「アニメ」の3ジャンルのショートムービーを、新作として日本で制作し発表している。
キャラなりきり系のパフォーマンスをベースに、セルフポートレートの写真作品として発表する形態は、森村泰昌氏以来すっかり現代アートのジャンルとして定着し、そこからいろいろなアーティスト・作品が生まれている。それだけでなく、写真の一ジャンルとしても定着しており、アマチュアのセルフポートレートのBlogなどを見ても、写真というよりこちら系の現代アート作品として評価した方が適切な作品も生まれている。
彼の作品は、そのようなセルフポートレート系アートを、スチルから動画に置き換えたものと見ることもできる。しかし、その意味ではとてもチャレンジングな実験的作品だと思う。しかしスチルとは違い、範をとっている映画自体が、いわばバーチャルな世界を提供している存在である。スチルに範をとる限りは、リアル対バーチャルという構図が担保されるが、動画はバーチャル対バーチャルというガチになってしまうのだ。この構造的問題をどう乗り越えてゆくかが、今後の作品の課題であろう。



7/1w
上を向いて歩こう展 奇跡の歌から希望の歌へ
世田谷文学館 芦花公園

ビルボードトップに輝き、今も世界で親しまれる名曲、「上を向いて歩こう」。この曲が世界で歌い継がれてきた歴史を縦糸に、この曲を生み出した「六・八・九トリオ」の活躍を横糸に、この曲にまつわる世界を拡げてみせる企画展である。まだ存命の関係者も多いため、本人や遺族から提供された現物資料をふんだんに展示している。
世田谷文学館は、初めて訪問した。家も世田谷区内であるが、ほとんど東の端から西の端へ移動する感じで、世田谷区の大きさを実感する。これなら、銀座や池袋といった都心部に向かう方が、ずっと楽で速い。県の人口ランキングでも、40位。最下位の鳥取から、島根、高知、徳島、福井、佐賀、山梨までゴボウ抜き。三茶と芦花公園では、同じ区内とは思えないほど雰囲気が違う。
さて、縦糸・横糸の広がりがあるモノの、今回の展覧会がクローズアップしているのは、単なる作曲担当のみならず、音楽プロデューサーとしてこの曲をクリエイトした中村八大氏の軌跡と業績である。そういう意味では、本来であれば「上を向いて歩こうと中村八大」といったタイトルで、もっとこの面を掘り下げた企画展になっていれば、もっと充実していたかもしれない。
「六・八・九トリオ」とはいうものの、中村八大氏がリーダーシップを取らなければ、永六輔氏も、単なるニヒルな評論家で終わってしまったかもしれないし、坂本九氏もあまたのロカビリー歌手の一人で終わっていたかもしれないことがよくわかる。しかしどちらかというと、中高年・シニア層が、昭和の高度成長期を懐かしむ展覧会、というかたちでお客さんが来ていたので、まあ、これはこれで仕方ないかも。




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