Gallery of the Week-Sep.13●

(2013/09/27)



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アメリカン・ポップアート展
国立新美術館 六本木

8月・9月は何かと忙しく、ちょっと非日常的状況だったが、今週から徐々に常態復帰。ということで、ちょっと時間を取って、ちゃんとした展覧会を久々にみることにした。六本木の国立新美術館で開かれている、「アメリカン・ポップアート展」である。この展覧会は、ポップアートに代表されるアメリカの現代美術の世界有数のコレクターとして知られている、パワーズ夫妻のコレクションを紹介するものである。夫妻は、ポップアートの黎明期である1960年代から、パトロンおよびコレクターとしてアート・シーン自体を創り上げるのにも大きく貢献した。そのコレクションがまとまって日本で紹介されるのは、これが初めてである。
一つ目の特徴は、やはり同時代性だろう。コレクションされた作品のほとんどが、1960年代〜80年代に作られたものであり(ごく一部50年代末や90年代のものもあるが)、それらが作られた時代背景は、歴史として学ぶものではなく、リアルタイムな体験として自分なりに感じてきたものであり、呼吸してきた空気感として、生々しく捉えることができる点である。まあ、これはそれだけ自分が年を喰っているということと同義なのだが、やはり過去の作品を振り返ってみるのとは違う、今に繋がるリアリティ^がある。
次の特徴は、これらの作品は、一般的評価というか、ステイタスができてからコレクターの手元に集められたものではなく、作品ができると同時に、いわば生きたまま作者から直接入手したものである点にある。生きた動物を集めた動物園と、いかに希少なものとはいえ、動物の標本や剥製を集めた博物館との違いと言おうか。コレクターであるパワーズ夫妻の作品に対する思い入れの角度が、歴史的名品のコレクションとは異なるし、パワーズ夫妻のコレクションに入ったからこそ、銘品となったということもできるのだ。
最後に、これはコレクションそのものとの関係ではないが、国立新美術館の空間との相性である。国立新美術館の展示室は、かつての工場をそのままオフィスにしてしまった、大崎にあったソニーの昔の本社を思わせる、妙に広くて字余りな空間である。通常の展覧会では、なんか落ち着かないところがある。しかし、「大きいことはいいことだ」的な発想が基本だった60年代のアメリカン・ポップカルチャーとは、このだだっ広さはなんだか相性がいい。当然、ポップアートも伸び伸びと展示・鑑賞することができる。これは意外な発見であった。



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中谷宇吉郎の森羅万象帖展
LIXIL ギャラリー 京橋

入居しているビルの改装工事のため、今年の4月から休館していたLIXILギャラリーが、工事終了と共に9月kらリニューアルオープンした。外装やエントランスは大きく変わったが、ギャラリーのある二階は基本的には大きな変化はなく、変わらぬたたずまいを見せている。そのリニューアル第一弾となったのが、この「中谷宇吉郎の森羅万象帖展」である。
中谷宇吉郎博士は、元々物理学者であったが、雪の結晶の研究、人工雪の研究など、雪と氷の研究で世界的な成果を残し、その名を知られている科学者である。しかし、もともと寺田寅彦博士の弟子にあたることもあり、科学者という以前に風流人としてのセンスをあふれていた。そんな彼の生涯を振り返り、彼の科学や自然に対する視線をを浮き彫りにする展覧会である。
この展覧会では、随筆家としても活躍する一方、研究活動の一環として集めた写真やスケッチ、科学・教育のためのドキュメンタリー映画など多方面に活躍した彼の業績を、限られたスペースながら多面的に見せている。タイトルの「森羅万象帳」とは、師の寺田氏から受け継いだ「形の物理学」を学生に会得させるべく、北海道大学時代に作ったアルバムのタイトルから採ったものである。
世の中で、学生の「理系離れ」が語られるようになって久しい。しかしその原因は、学生の方にあるのではなく、過去の理論の延長上に理屈でしか物事を捉えられないように硬直化した、今の日本の理系のアカデミズムの方にある。その延長上で、美しくもないし、何かを感じさせる要素も持っていないような「サイエンスアート」なんてものまで登場している。自然な発見・驚き・好奇心を失っては、科学は成り立たない。そして、それは美学が感じられるものでさえある。少なくとも、20世紀の前半にはそれがわかっている科学者が日本にいたという事実は、忘れてはならないだろう。



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写真のエステ−写真作品のつくりかた 平成25年度東京都写真美術館コレクション展
東京都写真美術館 恵比寿

平成25年度の東京都写真美術館コレクション展は、写真の美しさをテーマに、「写真のエステ」はと題して3期にわたって館蔵の名作を紹介する。今回はその第2期目であり、「写真のエステ 写真作品のつくりかた」と題して、写真を作品にするポイントについて、実際の名作をベースに紹介する企画展である。
全体は、写真を撮影し作品に創り上げるまでの4つの要素に着目し、「1.アングル」「2.焦点」「3.光のあつかい」「4.暗室作業」の4部構成により、実際の作品の見所を押えつつ、写真の美しさが何によって作られているのかを見せてゆく。写真を写す側、作品を創る側の視点に立った展覧会というのは、写真に限らずあまり例がなく、そういう意味でもユニークな展覧会である。
そういう意味では、実際に写真を撮り、写真作品をクリエイトしている人にとっては、自分が意識的に行なっていること、意識下で行なっていることを、あらためて再認識する場となり、なかなか興味深い。基本的には、銀塩時代から写真作品を撮っている人なら、程度の差こそあれ実に染みついていることなのだが、それを解説してもらえるというのが、嬉しいようなくすぐったいような、不思議な気分である。
特に、オリジナルのコンタクトと作品とを比較できる展示は、そういうチャンスのない人には新鮮な刺激となろう。デジタル以降に写真を撮り始めた若い人と話をしていると、かなり絵心があるにもかかわらず、「トリミングによる作画」という発想がない人がいたりして驚く。スチルはムービーじゃないんだし、そもそもフィルムと印画紙はフレームが違うわけで、こういうのは銀塩時代は常識でも、今では知る機会がそもそもない。そういう若い写真好きにこそ、ぜひ見てほしい展覧会である。



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第9回グラフィック「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

今回はなんかスゴい。たいしたものである。これはもう「グラフィック」を通りこして、「イラストレーションの復権」とでも言った方がいいだろう。イラストレーションといっても、1960年代、70年代の全盛期の復古的なリバイバルということではない。ここ20年のグラフィックアート表現の変化を全て踏まえ取り入れた上で、それを手書きで表現することが可能なことを示す作品が並んでいる。
人間、物心がついてから後天的に受け入れたものは、必要以上に過大評価し、ありがたがる傾向が強い。三丁目の夕日ではないが、60代、70代にとってのテレビ。思春期と普及期が一致した、アラフォー世代にとってのケータイ。その一方で、生まれたときからあった世代は、なんの思い入れもなくそれらを見つめ使いこなす。今回のような、80年代以降に生まれたアーティストにとっては、ディジタルがそうであろう。年寄りとは違い、生まれたときからディジタル化していた世代にとっては、ディジタルも画材の一つに過ぎない。
たとえば、日本ではほとんど西洋美術の代名詞のようになってしまっている、印象派の絵画。その表現法は、写真が発明され広く大衆レベルで普及したことにより、写真的な描写が人々にとって日常的なものになったのを前提として、それをどう取り込みつつ、絵画トしてのアイデンティティーを保ってゆくかという試行錯誤から生まれたものである。美術の外側から現れた変化は、美術の中に取り込まれ、新しい可能性を生み出してきた。
それと同じである。ディジタルだからといって特別視したり、ありがたがったりするのは、8ビットパソコンを知っているような、ジジババだけ。ディジタルが「ケ」の世界で育った世代にとっては、数ある手段の一つに過ぎない。そうであれば適材適所で使えばいいし、それ以上の意味はない。当たり前のことだし、わかっている人にはわかっていることだが、改めて時間軸がもう一つ先へ進んでいることを、感じ取れる場だと思う。




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