Gallery of the Week-Oct.13●

(2013/10/25)



10/4w
「海の道 アジアの道」 (常設展示)
九州国立博物館 大宰府

今月は、続けて地方巡業シリーズ。太宰府天満宮のさらに奥の院のような位置に鎮座する、九州国立博物館を訪ねてみた。4番目の国立博物館として開設されて、はや7年目。中々行く機会がなかったが、福岡にいったついでに、ちょうど時間が取れたので訪問できた。そういうことで、今回は展覧会の評というより、博物館自体のレビューという感じになってしまうが、お許し願いたい。
とにかく、スケールがスゴい。都市部の公園にあるその他の国立博物館とは大きく違う。東博はもちろん、京都、奈良も何度となく見に行ったが、ここは「所蔵する」ではなく「見せる」施設となっている。館自体がシアターだったり、イベントだったりするような感じがするのだ。新しい時代に、新しいコンセプトで作られた博物館だけのことはある。
常設展は「文化交流展示室」の「海の道 アジアの道」と称し、九州の立地と歴史をベースに、「アジアの歴史の中での日本」「日本の歴史の中での九州」という視点から、考古資料をもって定説をもう一度見直すことを主眼に構成されている。かつては「東洋史」という考えかたがあったが、戦後は世界史と日本史になってしまい、アジアを全体として見る視点は失われてしまった。境界で領土を考えるのは西欧的な考えかたであり、中国文化圏においては、「まつろう民」と「まつらわない民」という人に結びついた見方が基本だった。そういう意味では、こういう視点からモノを見ることは、アジアの時代となった今だからこそ重要であろう。
常設展ではあるものの、頻繁に展示替えを行い、館蔵資料だけではなく、いろいろなところからふさわしい資料を借りて展示するなど、主張とメッセージにあふれた展示となっており、なかなか見所が多く充実している。また、展示も美しく見やすい。ただ、構造的に動線が作りにくい建物なので、かなり全体像がわかっている人でないと、自分でどう廻ればいいか判断できない。もっと「順路」を考えた展示構成にしたほうがいいのではないか、という点が唯一残念である。



10/3w
こもんじょ ざんまい -鎌倉ゆかりの中世文書-
神奈川県立歴史博物館 馬車道

今回はちょっと趣向が変わるが、横浜に行ったついでに神奈川県立歴史博物館で行なわれている特別展「こもんじょ ざんまい」を見学する機会があったので、これを取り上げたい。神奈川県は鎌倉幕府ゆかりの地でもある。そういう流れから、武家文化発祥の地である鎌倉を中心とする東国社会が生み出した古文書にスポットライトを当てた企画展となっている。
しかし、中世の文章というのは、実はかなり縁遠いものである。平安時代までの文章となると、そもそも残っているものが限られるし、その内容が歴史的・文学的に貴重なだけでなく、書という視点からも重要な作品が多く、目に触れる機会も多い。一方近世の文章となると、その数が余りに多く、内容的にも近現代に続くものが多いだけに、これはこれで触れる機会は多い。
一方中世の文章は、政治や行政が文章主義で行なわれるようになった分、かなりの資料が現存しているが、内容が事務的形式的なものも多く、一部の歴史上の偉人の書を除くと、比較的目にする機会が少ない。こういういわばマイナーなテーマをとりあげ、300点近い資料を展示する企画は、ある程度の規模を持つ地方博物館ならではの展覧会といえよう。
とにかく、知らないことが多いので、大いに好奇心をくすぐられる。こういう研究は、どちらかというと博物学者のような、地道な積み重ねをいとわない方がやっておられるのだろうと思うが、その意義は大いに感じられる。常設展示も、県立の歴史博物館としては、かなり充実していた。



10/2w
第9回写真「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

恒例の「1_WALL」展も9回、今度は写真である。今回はポートレートというか、人物写真というか、人間を被写体とした作品が多い。主催者側も解説でそう標榜しているので、これはかなり意図的な方向性なのだろう。この1・2年、大きい意味では写真は原点回帰というか、テクノロジーまで駆使して作りこむより、その瞬間をどう切り取るかという方向に寄ってきている。そういう意味では、人物を被写体とするというのも、その延長上で捉えることができるだろう。
しかし、そこで共通して感じるのは、「顔のインパクト」が昔より減っている点だ。目力にしろ、表情にしろ、かなり漠としているのをそのまま写しこんでいる感じだ。日本の若者が茫洋としているというのならわかりやすいが、韓国の若者とか、在日ブラジル人とかを被写体としている作品でもそうなので、ある種これは21世紀のグローバルな傾向なのだろう。
逆にいえば、そういう「時代の表情」があるからこそ、オーソドックスな形式を用いても、今という時代を表現する作品たりうるということもできるだろう。原点回帰はある面、デジタル化が進むところまで進み、別段デジタルだからどうこうということを感じさせないぐらい、自然で透明なモノになってしまったことにより引き起こされているが、同時にその間の時間の流れは世の中の基調を変え、オーソドックスな手法でも違うものを伝えられるようになっていたことも影響しているのだろう。
このところ、歌舞伎町や二丁目三丁目など、夜の新宿の繁華街を歩く機会が多い。しかし、「これがあの新宿なの」と思ってしまうほど、まったりとした空気が流れている。マセた高校生だったので、リアルな70年代の新宿の空気はよく知っているが、その頃のスリリングな緊張感があふれた街とは、全く様相が違っている。まさに21世紀のポートレートも、そんな感じである。今の時代しか知らないヒトたちが、オーソドックスな手法で、今しか撮れない作品を撮る。それはすばらしいことではないか。



10/1w
写真のエステ−コスモス 写された自然の形象
平成25年度東京都写真美術館コレクション展
東京都写真美術館 恵比寿

毎年恒例の、館蔵コレクション展。今年は「写真のエステ」をテーマに、すでに2回行なわれ、これが3回目の最終展となる。今までの二回が、どちらかというと写真作品を作る側の着眼点や問題意識をテーマに、著名な作品からそれを読み取るという構成だったのに対して、今回は純粋にテーマ別の館蔵作品のコレクション展という構成になっている。それも、出品作品の7割が館内初展示の作品という、コレクション展らしいコレクション展となっている。
全体は、中国の古い思想を源にしながら、今もなじみ深い木・火・土・金・水という五つの「元素」をキーワードに、それぞれをイメージさせる作品を構成する手法で展示されている。「五元素」がいいかどうかはさておき、見たことのない作品を体系づけて見せてくれる、という意味ではなかなか興味深い。とはいうものの、やはりムラはあり、特に「金」はちょっとくるしいところもある。その「金」のところには、臼井茂信氏の蒸気機関車の写真もあり、こういうものまでコレクションにあったのかと驚いた(確か、回顧写真展はここでやったはずだが)。長野工場式集煙装置をつけたD51(信越本線か)の写真だったので、昭和30年代ということは趣味者ならすぐわかるが、時代考証をせず「昭和戦後」となっていたのはご愛敬。
基本的にいままで見たことのない作品ばかり展示されているため、どれも先入観なく素直かつストレートに見ることができる。これはこれでなかなか新鮮である。そこで気付いたのは、オリジナルプリントであれば、ほぼ5〜10年ぐらいのスパンであれば、作品が制作された時期を読み取れてしまう点である。まさに時間と空気を切り取ってくる写真ならではという感じもするが、初見の作品でキャプションを見ずにそれがわかるいうのは、ちょっとした発見だった。
そういう流れの中で作品を見て行くと、昭和40年代というのは、銀塩モノクロ写真にとっては頂点の時代だったということが、改めてよくわかった。カメラやフィルムといった機材、撮影や暗室のテクニック、写真家のクリエイティビティーやアイディア。この3つの面が、それぞれ高いレベルで調和し、高度なモノクロの作品を創り上げている。その時代の空気をリアルタイムで感じ、その時代にリアルタイムで写真を写せた幸せを改めて実感した(魔手にハマったともいえるが)。




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