Gallery of the Week-Dec.13●

(2013/12/27)



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海藻 海の森の不思議展
LIXILギャラリー 京橋

LIXILギャラリーお得意の、自然の美に着目したシリーズ。今回は、なんと海藻である。日本ではその種類も多く、古くから食用をはじめ広く活用されてきたが、学問的な分類・研究の対象となったのは、20世紀以降であるという。そんな明治以降の植物図や標本を、アート的な美という視点から構成し、海藻の持つ妖しい世界を見つめる展覧会である。
この点覧会が、このコーナーにふさわしいかどうかはさておき、海藻の持つ美しくミステリアスな世界は、それなりに独自の美学を持っていることは確かだ。植物の進化の歴史からすれば、我々が眼にする地上の植物より長い歴史を持ち、独自の進化を遂げてきたものが今の海藻である。そしてその生態については、まだまだ解明されていない点が多いという。
私は、理系でも数学や物理はワリと得意なのだが、生物学とか地学とか、理学部でも分類系の世界は極めて苦手である。しかし、こういう色や形の美しさ、面白さということであれば、それは大いに興味を引く。そういういみでは、このようなアプローチは、理学系でもそっちの方の世界がキライな子供たちに対しても有効かもしれない。
確かに、極めて真面目た標本や観察図の展示ではある。しかし自然というのは、何も考えずに眺めるのが一番いいのだ。それは、マクロな視点でもミクロな視点でも同じである。そこからであった発見や驚きを、素直に楽しめればいいではないか。そういうコトまで含めて、いろいろ考えさせてくれるものがある展示だった。



12/3w
国分寺物語 諸国国分寺を巡る旅 -住田コレクションを中心として-
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 新橋

海事史・法制史学者として知られる故住田正一博士は、古瓦研究者としても評価が高い。特に学生だった明治・大正時代から、大学で教壇に立っていた昭和初期にかけて、全国の国分寺を踏査して古瓦を発掘・蒐集を行い、日本一といえるコレクションを築いた。現在そのコレクションは、東京国分寺市に寄託されているが、それらの中から、全国の国分寺跡から発掘された瓦の現物を展示する企画展である。
聖武天皇が四畿五道の各国に国分寺を築いた事実は、どの歴史の教科書にも載っているし、国分寺という地名も、各地に残っている。その割に、京都や奈良の名刹のように、本堂や塔宇、仏像などが残っているわけではないので、歴史の記録という感じで、今ひとつリアリティーが薄い。そんな中では、この古瓦は、実在した建物の存在を占めす数少ない現物資料として貴重である。
しかし、いかに明治・大正時代とはいえ、このような遺跡の埋蔵物を簡単に掘り出し、コレクションとすることができたという時代背景にも驚かされる。まあ、こういう有為の他人しかその価値を知らず、これだけの手間をかける人もいなかったとは思うが、ある意味、その道の先駆者と呼ばれる人の先見性と行動力には、改めて感激する。
しかし、「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」には、あまりそぐわない題材である。確かに、「住田コレクションと鉄道」という一章を設けてはいるが、いかにもとってつけた感じであるそれもそのはず、住田博士は、JR東日本のトップを勤めた住田正二氏の父親なのである。そして、住田正二氏自身も、父親の残したコレクションを世に送り出すべく、出版物化をはじめ、いろいろ骨を折っているという。まあ旧新橋停車場自体が「掘り起こしたモノ」なので、まんざら違和感があるワケではないのだが。



12/2w
路上から世界を変えていく 日本の新進作家vol.12
東京都写真美術館 恵比寿

将来性のある作家を発掘し、新しい創造活動の場を提供すべく、東京都写真美術館が毎年開催している「日本の新進作家」展。第12回目となる今回のテーマは、「路上から世界を変えていく」。写真の歴史と共に、多くの写真作品を生み出してきたストリート。その21世紀的な形を考える、大森克己氏、林ナツミ氏、糸崎公朗氏、鍛治谷直記氏、津田隆志氏の五氏の作品を集めた企画展となっている。
応募ではなく、キュレーター側の企画による選定なので、五氏各々作風や方向性が大きく違う。大森氏の作品は、写真作品というよりは、メディアとして写真を使用した現代アート作品というべきものだろう。元々写真畑の人のようだが、2011年の桜前線という、極めて非日常的な状況を撮るに当って、あえて写真から一歩引いたということだろうか。林氏の作品は、セルフポートレート系の作品に、動的要素を加えたところがユニークである。
セルフで撮るという方法論をとる以上、動的要素を取り入れるのはかなり難しい。それには、ある種の身体能力が求められる。その部分をクリアし、マスターしたからこそ作れる世界であろう。セルフでムービーを撮る方が、よほど楽で楽しいだろう。糸崎氏の作品は、ミクロとマクロの世界を自由に行き来するところに本領がある。特に、写真ジオラマ「フォトモ」シリーズは、そこに繰り広げられるミニチュアの世界で表現するだけでなく、そのジオラマがリアルの世界の中で放つ存在感もまた表現となっている点が秀悦である。
鍛治谷氏は、ある意味70年代、80年代のストリート写真の正統な進化系といえるだろう。70年代から80年代にかけての変化でも、シリアスで硬派な世界から、コミカルでナンパな世界への変化が大きかったが、その究極的な流れとして、もはやジョークとしての色彩もきっちり押えているところが「今」らしい。津田氏の作品では、静止画をディスプレイで展示するという手法がユニークだった。デジタルで撮影したからこそ、プリントではなく、ディスプレイの透過光ならではのリアルさというものがある。これは新鮮であった。



12/1w
トマシェフスキ展 世界を震わす詩学
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

第二次世界大戦前から活動をはじめ、社会主義政権期、鉄のカーテン崩壊後も、ポーランドのデザイン界の第一人者として君臨し、「ポーランド派」の始祖としても知られるヘンリク・トマシェフスキの活躍の後を振り返る回顧展である。1940年代から80年代にわたる活躍のあとを幅広く網羅している。
もちろん、ヘンリク・トマシェフスキという特定のデザイナー・アーティストの作品の回顧展なので、彼の個性や作風が前面に出てくるのは当然だが、そのバックに、冷戦期の東欧のデザイン環境ならではの独特の世界が見え隠れしているところが興味深い。ちょうど先週取り上げた、チェコの映画ポスターとも共通する要素を多く持っている。
まさに純粋デザインというか、市場や競争原理のないところでのグラフィックデザインが、商業美術になりきることができなかったところというか、手法から意味性が切り離され、純粋に手法そのものの面白さを前面に出してデザインに活用されている姿は、余りにユニークなものがある。
ある意味パロディーに見えるものも、実は大真面目だったりする可能性があるし、逆に社会主義体制下で皮肉っぽいジョークになったものが、キレイなデザインにしか映らなかったりする可能性もある。しかし、ある種「妄想力」ともいえる強烈なイマジネーションの広がりは、「商業」でないからこそできたものだろう。そこに東欧的な伝統が重なっているのだから、エキゾチックなわけである。20世紀後半の社会主義圏って一体なんだったのか。その結論は相当未来の歴史学者でなくては出せない問題だろう。




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