Gallery of the Week-Apr.14●

(2014/04/25)



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TDC展 2014
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

出版や広告をはじめ、今の日本において、印刷デザインが関わる領域で仕事をしているヒトにとっては、字体=写植という発想はほぼ常識になっている。GUIになってからのコンピュータの画面やプリンタの出力も、写植をベースにした「フォント」を基準にするようになり、この傾向は一層確固なものになっている。何か表現したいとき、「どんなフォントがあるか」からスタートする発想を疑う人はいないだろう。
しかし、こういう「常識」が生まれたのは、1960年代以降である。それ以前の印刷においては、活版の活字か、イラスト同様に直接手書きで原稿を作るレタリングか、どちらかしかなかった。そして写植の発想自体が、その時代の高度なアナログ技術をベースとして成り立ったものであることま間違いない。多くの分野でそうであるように、デジタル技術が進めば、アナログ技術が利用される前の「本来の世界」がよみがえってもおかしくない。
今回のTDC展は、それを非常に強く感じさせる場だった。アートや音楽など、いろいろな表現メディアにおいて、デジタル技術の進歩が、中途半端に画一的なアナログ的大量生産システムにとってかわり、それ以前の個性と多様性を持った手作りの文化と大量複製の生産技術を直接結びつけた。同じコトが、タイポグラフィーの場でも起こりつつあることが、強く齧られた。
確かにパソコンが普及し始めた80年代、デジタル技術が進み、フラット&オープンな環境が実現すると、「足を靴に合わせろ」的な、アナログな大量生産技術は過去のものとなり、個別性と生産性を両立させる世界がやってくるだろうと語られていた。デジタルネイティブな世代が育ってくれば、写植的発想は、いかにもアナログ時代的なアナクロなものと見えるのだろう。そしてもはや、その時代に半分足を突っ込んでいるのだ。

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椿会展 2014 -初心-
資生堂ギャラリー 銀座

資生堂ギャラリー伝統のグループ展である、「椿会」展。昨年からは、赤瀬川原平氏、畠山直哉氏、内藤礼氏、伊藤存氏、青木陵子氏の5名からなる第七次椿会がスタートした。今年は、第2回目のグループ展を開催する。去年の第1回のときにもレビューに書いたが、ルーツも手法も違うベテランアーティストの競演という異種格闘技戦性は今回も特筆すべきモノがある。
絵画、写真、立体作品、インスタレーションと、作品のスタイルもそれぞれ違う。今回の展覧会のための新作を展示する人もいれば、過去に発表した作品から今回の展覧会にふさわしい作品を選んで展示する人もいる。その多様さが、この展覧会の特徴となり、他にない「らしさ」を生み出している。
前回は、ツカミというか、顔見世的な要素も感じられたものが、すっかり多様性の主張というメッセージになっている。このあたりは、それぞれ実績をもってかつやくしているアーティストが集まって行なっているグループ展ならではの存在感だろう。
多分、今後も多様性は変わらないものの、回を重ねるたびに、見る側のほうになにかそれらの間から通底するメッセージが感じられてくるということなんだろう。しかし、本題ではないが赤瀬川さんのドローイング。絵そのものは写真雑誌の連載時に見たことがあるのだが、原画がこんなに強烈なメッセージを持っているとは思わなかった。ちょっとびっくり。



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世界文化遺産登録1周年記念 「富士山と鉄道」
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 新橋

「富士山」の世界文化遺産登録1周年を記念して、近代の富士山歴史を交通史の観点から、鉄道との関わりを中心に見せる展覧会である。とはいうものの、実質的には富士山の写真展と、富士急行の歴史にからめて、首都圏から交通至便になるとともに、信仰の地から観光の地へと変化した跡をたどる展示である。
写真展は、大月市主催で行なわれている「秀麗富岳十二景写真コンテスト」の、歴代入賞・入選作と、富士山の撮影で知られた二人の地元カメラマンの作品が展示されている。まあ、富士山の写真というのは、CMに子供や動物を出すのと同じで、どう撮ってもそれなりにインパクトが出てしまうので、ちょっと反則という気がしないでもない。
富士山とかかわりのある鉄道といえば、まあその名も「富士急行」が代表的であることは間違いないが、御殿場線やそこに乗り入れている小田急線、山麓をぐるりと走る身延線なども切っても切れない縁があるが、こんかいはバッサリ富士急行一本である。富士急行線・中央本線 直通運転60周年記念なんてうたっているが、JR東に関係あるのはこれだけ、と言い切ってしまったほうがいさぎが良かったかも。
富士急行線については、前身である富士山麓に張り巡らされていた馬車鉄道の頃からの歴史を追いかけている。しかし、籠坂峠を越えて御殿場まで馬車鉄道が通じていたというのは、ある種驚きである。ぼくが免許を取った40年前は、籠坂峠越えは国道ではあったものの、けっこうマイナーでマニアックな道で、交通量もごくわずかだった。ましてや明治時代などどんなだったのだろうか。。



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第10回写真「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座

恒例の「1_WALL」展、今度は写真である。このところの数回は、現代アート作品ではあるモノの、オーソドックスな写真作品としてのスキームにも入っている作品が多く見られたが、今回は打って変わって北極と南極。極めてエッジなところを攻めてくる作品が集中した。ある意味、これは選者の側のバランス感覚なのであろう。
一方の極、構成材料として写真は使われているものの、表現作品としてはミックスドテクスチャーのインスタレーションの形態になっているものである。とはいえ、このタイプの作品は、現代アートの作品としては比較的おなじみなモノである。それが「写真」のコンペティションに出てくるというところが、ある種の個性となっている。
もう一方の極、これはちょっと難しいのだが、作者の心象を表現していない写真を作品として掲示するコトで成り立つ作品とでもいえようか。写真のジャンルとしては、報道写真や記録写真に代表されるように、作者の表現性を排除することで画面が成立するものが歴史的に存在している。そういうタイプの写真を使用して、アートとしての作品を成り立たせようという試みである。
と読み取ったのは、受け手であるぼくの方であり、作者がどういう意図を持ったのか、写真作品が語らない以上わからない。しかし、自分が写真作品を撮る人間には、その違いが強烈に見えてきてしまう。もっとも、アニュアル報道写真展みたいなのが行なわれる以上、一般人からすれば、表現性を持たない作品も鑑賞の対象にはなるわけで、そこまで深く考えても意味がないのかもしれないが。




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