Gallery of the Week-Nov.14●

(2014/11/28)



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「荒木経惟 往生写集−東ノ空・qARADISE」
資生堂ギャラリー 銀座
天才アラーキーこと荒木経惟氏が、資生堂ギャラリーに登場。この組み合わせには、何かワクワクさせるものがある。この展覧会は、豊田市美術館、新潟市美術館、資生堂ギャラリーの3館合同で開催する企画展である。自身の病気や愛猫チロの死、東日本大震災など、この5年ほどの激変する環境を踏まえて作られたの中で作られた新作により構成される。
源信の「往生要集」にヒントを得たタイトルの「往生写集」が示すように、生と死をテーマにした写真展であり、「東ノ空」「銀座」「qARADISE」の3つの組写真により構成されている。これらは3館合同の企画展のエピローグとして、「死」から「再生」に向かっていく新たなたびをイメージした作品という。
まずその謎を溶くカギは「銀座」だろう。今年の夏撮りおろしたこの作品は、あえて銀塩モノクロで撮影されている。そのトーンや作画法は、ほとんど荒木氏が写真家としてデビューした、1960年代末から70年代初めにかけてのそれである。今の銀座を写しているにもかかわらず、70年頃(確かにその頃流行った)の街頭スナップによる組写真に見えてしまう。
そう思ってみると、「qARADISE」もグロテスクな耽美さよりも、70年代頃のポップアートのキッチュさ(これは銀塩では出せないトーンで、デジタルで初めて可能になった)だし、「東ノ空」のワイドレンズの使いかたも、やはり70年代を思わせる。そういう意味では、これは再生という以上に、原点回帰宣言なのであろう。その時代を肌で感じて表現した経験は、知らない奴が逆立ちしても付いてこれない。これはまさに、その時代を知る世代にとっては、またとないエールとなろう。



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グラフィックデザイン展<ペルソナ>50年記念 Persona 1965
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
東海道新幹線50周年、東京オリンピック50周年と、50周年もののイベントが目白押しの昨今だが、確かに1960年代中盤から後期というのは、今に続く「現代の日本」が生まれた画期としてとらえることができる。当然、グラフィックデザインにおいても、同じような変化がうごめいていた。そんな1965年に、松屋銀座で開催されたのが「ペルソナ」展である
これは粟津潔氏、福田繁雄氏、細谷巖氏、片山利弘氏、勝井三雄氏、木村恒久氏、永井一正氏、田中一光氏、宇野亜喜良氏、和田誠氏、横尾忠則氏という、その後ビッグネームとナル11名の若手デザイナーと、亀倉雄策氏、ポール・デイビス氏、ルイス・ドーフスマン氏、カール・ゲルストナー氏、ジャン・レニカ氏という5名の招待デザイナーによる、新しい時代のデザイン宣言であった。この展覧会は、当時出品された作品により、この歴史的な「ペルソナ展」を回顧する企画展である。
これらの作品は、当時としてもエッジで突き抜けていたし、その後のグラフィックデザインに与えた影響も間違いなく大きい。しかし、それはその一方で、当時の平均的な「図案」や「意匠」を大きく越えていたことを意味する。それを対比させる形で、なぜそれまでの「常識」だったそれらの手法が息絶えてしまったのか、それを知ることも大事である。
当時をリアルタイムで生き、時代の空気を知っている我々のような人間にとっては、それは自明のものであるが、その時代から学ぶものがあるとすれば、それが最大のものであろう。今こそ、当時と同じような意味で、パラダイムシフトが求められているのであり、パラダイムシフトとは、何が絶滅し何が進化するのかを知る機会としては、その当事者の声が聞けるという意味で、この時代を知ることがなにより大きなチャンスとなるからだ。



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第11回写真「1_WALL」展
ガーディアン・ガーデン 銀座
グラフィックがくれば、次は写真。というわけで、第11回「1_WALL」展、写真編の開幕である。この2〜3年は、グラフィックも写真も、ディジタルが当たり前で「ケ」になった時代に入って、平面表現の「次」を模索する場としての色合いが強くなった。というか、意識的にそういう選考をするとともに、そういう作品を呼び寄せているのだと思われる。
今回も、表現の目指すところや方向性は各々大きく異なるものの、今という時代だからこそトライできるような、新しい地平を目指そうという意欲を感じる作品が集まっている。ポストディジタルの時代は、リアル・バーチャルに代わって、可触的か被可触的かというのが、本質的な意味性を分ける基本的な境界線になる。言い方は悪いが、アート作品は基本的に非可触的な存在だという割り切りが基本にあるのを強く感じる作品が多い。
表現の幅や可能性を広げるという意味では、その方向でのトライアルは多いに意味があるのは間違いない。しかし、その「実験性」が過ぎると、またディジタルが登場した時のように手段が目的化した「習作」が、作品でございと大手を振って横行するようになってしまう危険性もある。
そういう意味では、そろそろ写真でも「内面を可触化」するような作品が生まれてきてもいいという気がする。確かに、グラフィック系はその地平に向かって進み出している。しかし、これは元来の絵画表現への先祖帰り・原点の確認ということでもある。写真においても、そこに感じたものを、感じた通りに込めて「撮影」するという、原点へ回帰するような作品がそろそろ出てきて評価されるのではないだろうか。そんな気がする。



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東京オリンピックと新幹線
江戸東京博物館 両国
今年は、第18回東京オリンピック開幕から50周年、東海道新幹線開通(モノレールその他主要インフラも)からも50周年ということで、記念イベント、関連イベントが目白押しである。特にオリンピックは2020年東京開催が決まり、みんなでバブルよ再びと盛り上がりつつあるし、新幹線も北陸新幹線が来春開通するとともに、北海道新幹線も再来年には開通と久々の新線ブームである。そんな時期を捉えた企画展である。
会場はその名の通り、大きく分けて「高度成長期の暮らし」、「新幹線コーナー」、「オリンピックコーナー」から構成されている。新幹線コーナーは、東海道新幹線の建設から開業までを中心に、その後の新幹線網の広がりまでカバーしている。基本的には、江戸東京博物館らしく、実物資料による展示が中心であり、どちらかというと地味な資料、マニアックなコレクションもけっこう紛れている。
スペース的にメインになっているのが、Oスケールの新幹線や在来線特急列車の編成展示である。さしものOスケールも、単体だと博物館展示にはちょっとインパクトにカケるサイズではあるが、編成にするとなかなか存在感がある。逆にいえば、普通の家の中では展示不可能ということになるが。オリンピックコーナーも、同様に各種関係資料の実物展示が中心であるが、よくぞこんなものを取っておいたものだ、と思わせるものも多い。
みんながゴミと思ってしまうものも、後生大事に取っておくとマニアックなコレクションになるというよい例であろう。しかし、東京オリンピックは国立競技場に行って、生で競技を見ているんだよね。改めて自分の年齢を感じてしまった。ぼくは同級生を誘って一緒に見に行ったのだが、この時代をリアルタイムで体験した人には、ぜひ同世代の仲間を誘って見てほしい展覧会である。まあ、自分の年齢を改めて実感することにもなるのだが。しかし、パラリンピックって東京が第一回なのね。知ってた?




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