ヴィンテージ・ギターを買う決断




90年代半ばの円高以降、日本でもヴィンテージ・ギターを取り扱う楽器店が増えてきた。ヴィンテージ中心、ヴィンテージ専門という店も多く、いろいろなヴィンテージ・ギターに実際に触れるチャンスも、それまでとは比べ物にならないほど多くなってきた。ヴィンテージの中でもさらに高価なミントやレアものはさておき、ローンを組めば無理せずとも手に入りそうな出物とでくわすチャンスもけっこうあるだろう。しかしそんな時、「これは果して『買い』なのか」と悩み込んでしまうヒトも多いと思う。確かに、このチャンスを逃したらこんな出物は手に入らないかもしれない。だが、これは本物なのだろうか。買う価値があるのだろうか。この悩みが楽器屋めぐりの楽しみ、といえなくもないが、悶々とするのも体には良くない。実際、多くの方から「買うべきか、買わざるべきか」というお悩みのご相談mailを頂く。しかし、現物を見ていないこちらとしては、実に返事に困る問いかけでもある。そういうワケで、今回は「これなら買いだ」と即決できるための条件について考えてみたい。もちろん、買い物は最終的には自分の判断、自分の責任で行わざるを得ないものだが、自分が決めた結論に納得するためのヒントしていただきたい。

まず最初は、ヴィンテージに金をかける意味について。すなわち、ヴィンテージと現行の新品とは楽器としてどこが違うのかということ。相場としてヴィンテージは新品の店頭価格より高く、いわばプレミアムつきの価格となっている。そのプレミアム分をどう解釈するかという問題だ。これはつきつめれば、ヴィンテージの作られた50年代や60年代初頭と、70年代以降の楽器業界、楽器ビジネスの構造的違いに行き着く。50年代や60年代初頭においては、アメリカといえども、LM楽器は限られたプロやセミプロを相手したビジネスだった。バーストが年産500本とか600本とかいわれているが、これは当時としては決して少ない数字ではない。フルアコなどは一機種10本とか20本とかいうモデルもざらだ。これなら、最上の材を選びに選び、熟練したギター職人がじっくりと手をかけて生産することができる。ヴィンテージギターの第一の価値は、古いからという骨董的な価値でも、数が少ないという稀少価値でもない。それらは二次的な価値だ。楽器として見た場合に、いい材、いい仕事で作られた、いい作品だからこそ価値がある。それは、その時代の少量生産体制に負っている部分が大きい。

しかし60年代に入って、サーフサウンドブーム、そしてビートルズに代表されるブリティッシュ・インヴェイジョンが起きると、状況は一変した。アマチュアの間でバンドブームが起きた。聴く音楽、踊る音楽から、プレイする音楽へ。これと共に、LM楽器はたちまち「売れ筋商品」となった。一機種の年間売上台数が、万の単位に乗る。これでは、今までのようなクオリティーを維持することが難しい。木材の選び方も効率重視になる。作り方も、機械化を進め、流れ作業の工場で大量生産することになる。これでは品質が維持できるわけがない。70年代に入ると、ロックレボリューションと共に、イギリスや日本でもアマチュアバンドが続々と生まれた。もちろんそんなアマチュアプレーヤー達は、安価だった当時の日本製ギターの顧客だったが、ギブソン、フェンダーというブランドに憧れ、アメリカ製の「本物」を求めるユーザーも桁外れに増加した。こうなると、ギターそのものもモデルチェンジし、内部の構造を大量生産を前提としたものに改めざるをえない。これが、70年代のレスポールやストラトキャスターの正体だ。格好は似ていても、中身は似ても似つかない「自家製コピーモデル」。この「商業主義への妥協(笑)」が、結局はヴィンテージギターブームを生むきっかけとなったのだから、皮肉なものだ。

これはギブソンでもフェンダーでも基本的に同じだ。しかしフェンダーはギブソン以上に影響が大きい。フェンダー社は、65年を境にCBSに売却され別の会社になったからだ。CBSは直接楽器とは関係がないが、エンターテイメント業界の関連ビジネスで、成長率が高いということから、投資としてフェンダー社を買収した。彼らは、楽器作りには興味がない。彼らの関心は「金儲け」だけだ。当然、利益や効率が優先され、楽器メーカーとしての良心はないがしろにされることとなる。CBSに買収されてからの、65年以降のフェンダー製品は、もはやそれ以前フェンダーのような「楽器」と呼べる代物ではない。レオ・フェンダーが社長をしていた頃の、いわゆるプリCBSが尊ばれる由縁だ。ギブソンも60年代に資本関係が変化しているが、まがりなりにも楽器業界内での系列化だったので、フェンダーほど悲惨な結果にはならなかった。ギブソンタイプのギターは、製作プロセスでの手抜きがしにくいこともあいまって、質こそ落ちるものの、60年代末まで一応楽器と呼んでいいクオリティーをキープできたのは幸いだったといえるだろう。

では、この楽器としての差が、どう価格に反映されるのだろうか。有名ルシアーによる手作りレプリカやカスタムショップのスペシャルメイドのギターは、新品の量産品よりずっと高い価格で取り引きされている。それは、楽器としての価値が高く、実際に音もいいからに他ならない。単なる稀少価値としてのプレミアムとは違う。そう考えれば、たとえ偽物というのは極端にしても、実際にはヴィンテージとはいえないギターであったとしても、出てくる音が値段だけの価値があれば、買って損はないということになる。結局は、ギターの価値とは音なのだ。判断基準は、自分が納得する音が、納得する値段で手に入るかどうかだ。いい音のする、カスタムショップやマスタービルダーの特注品は、ギブソンでもフェンダーでも最低で60万とか、場合によっては100万以上する。いまではこれが価格の一つの基準になっている。この価格と比べて、「この音なら安い、買いだ」と思えるかどうか考えればいい。

この場合、大事なのは「木の部分」だ。部品については、実際に奏くことを考えれば同等のクオリティーを持った交換パーツも出ているし、金さえかければオリジナルパーツも手に入らないことはない。外見のきれいさも、中身の木そのものとは直接関係ない。使い込まれていても、木の部分が良いギターなら大いに価値はある。だからこそ、リフィニッシュやコンバージョンといった改造をされたヴィンテージギターも、新品に比べればそれなりに高く取り引きされている。それは、塗装を塗り直そうが、部品を変えようが、木の部分は全く変わっていないからだ。だからボディーやネックに関するチェックは、基本的には新品に対するそれと変わらない。それだけでなく、逆に新品より気にしなくていい面も多々ある。ヴィンテージは、もともと材がよく、工作もいい。だからネックやボディーがタフな上に、経年変化で歪みが出切っていることが多い。現状からソリやネジれが進むとか、使用するゲージを変えるたびにネックが変形するとかいう、新品ギターのような心配はほとんどいらない。

気になることといえば、いわゆる「ハズレ」をひいてしまうのではないかという懸念を持っているヒトも多いだろう。ヴィンテージにも「スカ」がないわけではない。ギブソンについては、ほとんどそういう例はないが、フェンダーについてはけっこうある。結局は「個体差が大きい」ということなのだろうが、そのばらつきが、「楽器として許せない」ところまで広がっている例があるということだ。フェンダー社には、創立初期の50年代には、楽器用の木材や木工に関するエクスパートがいなかった。家具職人レベルの技術、ノウハウしかなかったといわれている。実際、ボディーやネックは、家具用の材木を加工し、使っていた。ストラトやテリーのボディーの厚みは、アメリカの標準的なテーブルの表板用材の厚味と同じというのがそれを物語っている。だから、余り音響的なことは考えず、機械的に木取りをし、ルーティング加工をしていた。これだと、ある確率で楽器としては使えない部材も出てきてしまう。おまけに、ボディー、ネックを別々に加工し組み上げる工程を取っていた。両方ともペケの組合せになってしまうと、ハズレの個体ができ上がるというワケだ。

もっとも50年代後半になると、ノウハウも蓄積されハズレも少なくなる。そんな中で、特に「スカ」が多いことで知られているのは、54年のストラトだ。ストラトはボディーの加工が難しいだけに、工程が確立するまでは試行錯誤が多く、これがまたバラつきを大きくしている。詰まったような音で全然ならないという個体がけっこうあるのだ。もちろん、値段はちゃんと高いのだが。これがスゴいミントで、スゴい値段がついていたりすると、泣くに泣けない。もっともそういうのを買うヒトは、純然たるコレクターで、自分では奏かない場合が多いので、それはそれでウマく収まっているといえないこともないが。しかし、この問題は対処が簡単だ。奏いてみればすぐわかるからだ。ヴィンテージギターだ、と舞い上がることなく、落ち着いて奏けば「何だこりゃ、鳴らないぞ」とすぐわかるだろう。個体差の大きさゆえ、ヴィンテージこそ試奏が大切なのだ。

「プレーヤーズコンディション」をどう評価するかという問題もある。ミントコンディションのものより、弾かれてボロボロのものの方が音はいい、という神話を信じている人も多いだろう。バーストとかは、ミントでも実によく鳴るので、これは必ずしも真実ではない。だが、全く関係ないかというと、これはそうでもない。ある種の影響がある場合もある。それは、そのギターが音が良かったゆえに、プロミュージシャンの愛器となっていた場合だ。いい音のヴィンテージギターは、プロに愛用されていた可能性が多い。愛用され、ツアーとかで酷使されれば当然傷んでくる。まさにプレーヤーズコンディションとならざるをえない。だが、逆は真ならず。外観がボロボロで、楽器としてもボロボロという不幸なギターも存在する。要はハズレだったから、粗末に扱われたというものだ。こんなのはどう調整しても使えない場合もある。塗装面とかは汚くても、楽器としての機能を決める部分は、きちんとしていなくては意味がないのだ。

つまり大事なのは、使い込まれているけどよくメンテされているかどうか、という点だ。たとえば、ネック折れはもちろん重大なトラブルだが、その後のリペア次第で、音的にはかなり挽回することができる。プロが使っていた音のいい愛器なら、この点、充分にメンテされ、見栄えはさておき、機能には問題がないはずだ。それだけでなく、レコーディング等でも活用されていたギターなら、フレットもよく調整され、現代的な視点から見ても安定したピッチで使えるようセッティングされているだろう。フルオリジナルのヴィンテージギターだと、シンセやサンプラーとの間で、どうしてもピッチが合わないというものもある。これも、きちんと調整するにはけっこうメンテ費用がかかるものだ。こういうギターなら、ヴィンテージギターを「奏こう」という意気込みのヒトには、絶対に「買い」だといえる。

さて、ヴィンテージギターを選ぶときいちばん大事なことは、スペックに騙されてはいけないということだ。日本人はどうしても情報過多になりたがるという悪い癖がある。本物を見る前に、いろんなメディアでまず「勉強」しがちだ。そうすると、素直な眼・耳で接するより前に先入観ができてしまい、理屈で考えてから接することになる。これが大きく選択を狂わす。何年もの、材質、パーツの種類、角度や寸法、シリアルナンバー、どこの工場で作ったか、等々。確かに年代ごと、ロットごとに違うといえば違うが、それが同じだから同じ音にはならないのが、楽器という生き物のいいところだ。おまけにヴィンテージは、今の大手の楽器工場と違い、熟練職人が手工で作った部分が多い。理屈で見ていると、共通部分にばかり目がゆくようになり、個体差のいい部分、面白い部分が見えてこなくなってしまう。たとえばバーストでも、寸法やカーブの具合を「測定」せずとも、奏いてみれば音で本物かどうかすぐわかる。鑑定する上では、こっちのほうが知識よりよほど重要だ。

問題なのは、ヴィンテージギターを扱う楽器店のスタッフにも、けっこうこういう頭でっかちで机上の知識ばかりの「耳年増」が多いという点だ。ほんとにいい耳と見識を持っているヒトは一握り。たとえば、のべ十本以上バーストを奏き込んでいる店員のいる店など、国内でも数軒しかないだろう。だから、あまり店員のいうことを鵜呑みにすると恐いことになる。自分で違いもわからないくせに、やれネック角度だ、やれPAFだと偉そうにのたまう。はじめていったギターショップで、けっこう心ひかれる一本を見つけたとき、こういう蘊蓄を傾けられてしまっては悩みが増えるもとになる。そういうノイズは無視して、結局は自分の責任で判断するしかない。だが店については、最低限押さえておくべきことがある。それは、店がウソをついていないことと、自分の価格に責任をもっていることだ。昔、自分で売ったヴィンテージギターを、買い換えるときにも下取りしてくれないという店があった。P誌とかにけっこう大きな広告を出していた店だ。こんなところは、とても信用できないのはいうまでもない。

ギター選びは結局、自分の音楽性や、やりたい音楽がどんなものかわかっているかどうかに尽きる。これが見えていれば、自分のほしいギターの音、自分にとっていいと思うギターの音が明確になる。ヴィンテージギターは、どれもいいギターではあるが、一本一本の個性が強いのも事実だ。万能という意味では、現行モデルのほうが、ずっと幅広い音楽性に対応しやすくなっている。純粋なコレクターとして、レアカラーを全部集めるとか、マイナーチェンジのバージョン違いを全部集めるとか、そういう目的があるならそれはそれで明確だし、いいと思う。しかし自分がいい音でギターを奏きたくてヴィンテージを買うのなら、それを聞き分ける耳をまず養うことだ。ヴィンテージギターを、高い金を出して購入するかどうかの決断は、結局音が気に入るかどうかにかかっている。

きちっと気にいた音が出て、その音相応の値段で手にはいるなら、それが本物かどうか、パーツがオリジナルかどうかという問題はどこかにいってしまう。偽物を本物と称して、騙して売るのは言語道断だが、それなりにきちんといい音が出て、価格が妥当なら理屈は抜きに買いだろう。そっちのファクターのほうが大きいし、それで納得できるヒトでないと、ヴィンテージは勧められない。ヴィンテージは個体差が大きい。三台あれば、どれもよく鳴ることはよく鳴るにしても、その個性は三つとも違う。音楽性の違うヒトなら、三人三様で違う個体が気に入るかもしれない。単にいい音というのではなく、自分の好きな音が出る、というところまで納得しているならば、それは値は張っても、けっして「高い」買い物とはならないだろう。

なお、このコラムを書くに当ってヒントとなった質問のmailをいただいた、渡辺さんには、この場を借りてお礼を申しあげたい。




「ヴィンテージギターに関する書きもの」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる