ギターの良し悪し





ギターを選ぶ時には、雑誌や楽器店の伝える「情報」より、自分の耳を大事にするのが当たり前だと思う。しかし、それができない人の方が多いのが現実のようだ。嘆かわしいことだが、それがいまのギターファンの平均的レベルであることは、事実として受け入れざるを得ない。そういう状況の中でいかに「正しい」主張を「啓蒙的」に広めようとしても、反発を買うだけというのも仕方ないかもしれない。だが、それでも地球は回っている。いうべきことをきっちり発言していた事実は、あとになってからこそ評価されるだろう。

ぼくは、プロのギタリストではないが、ギターとの関わりはあくまでもプレイヤーであるというのが基本スタンスだ。という以上に、自分の好きなギターで自分の奏きたくないこと奏くのは耐えられないから、プロにはならなかったという方が正しいかもしれない。だから、かえって自分の好きな音で鳴ってくれるかどうかへのこだわりは強いだろう。その線でいうならば、ヴィンテージのレスポールの音は好きな音だが、最近のレスポールの音は、中には気に入ってるものもあるが、絶対数からいうならばどちらかというと好みでない個体が多い。

それは非常に気になることだし、気になりだせば今度は「なぜ違うのか」ということが気になる。もっとも違うのは事実だが、そのどちらが好きかというのは、単に好みの問題だ。そこはヒトそれぞれ考えがあっていいと思う。ただ違うという事実だけはわかっていてほしい。そう願うだけだ。違いを知ることはそんなに難しいことではない。耳さえ確かなものを持っていれば、あとはヴィンテージを奏く経験をどれだけ積むかにかかっている。そういう経験を積むプロセスとして、あくまでもぼくの個人的な経験だけから得た、極めて主観的な感想ではあるが、この小文を何かの参考として役立てていただけたら幸いだ。

レスポールの「本物」とは

バーストを「本物」というのなら、確かに今売っている新品のギブソン・レス・ポールは、そのグレードに関わらず「本物の音」ではない。ここで大事なのは、何を持って「本物」と言うかだ。バーストと現行品は違うギターだ。どっちが良い悪いではない。自分の好みで考えればいい。「本物」が良くて、「本物」でないから悪いという問題ではない。このようにヒストリックにしろ、40thにしろ、これから出るかもしれないスーパーリイッシューモデルにしろ、ヴィンテージバーストの代替品ではない。バーストの音がほしいなら、バーストを使うしかない。ヒストリックにはヒストリックなりのいい音があるし、それを生かして使ってこそギターが生きる。バーストの本物は1500本ほどしかないわけだが、ヒストリックの本物、40thの本物というのも、それぞれ存在しているということだ。たとえばヒストリックでも、よく「アメリカ仕様」「山野仕様」とマニアの間でいわれるが、よく鳴るアタリの個体と、鳴らないハズレの個体があるのは確かだ。言い訳するわけではないが、山野楽器が輸入したヒストリックでも、スゴくアタリのを何本も見ている。その意味でヒストリックの中でのいいタマ、悪いタマは確実あるともいえる。アタリのヒストリックはいい。だが、それはヒストリックの中でいいギターなのであって、アタリのヒストリックとバーストは、それぞれ違ういいギターと考えるべきものだ。

エリック・ジョンソンは、ライブで通常の無印スタンダードの92年頃のを使っている。90年代製の新品だ。これはとりもなおさず、無印スタンダードでもアレだけ音にこだわる彼が納得する音が出るということだ。彼に限らず、海外のアーティストで現行の無印スタンダードを使っているヒトは多い。彼らはヴィンテージの音ではなく、コンテンポラリー・レスポールの音として使っているのはもちろんだが、それはそれでいい音を出している。新品でもいいものはいいのだ。ヒストリックやリイッシューでなくても、良い音のするものはあるということはわかってもらえるだろう。いいモノを見分けるポイントは、新品のレスポールはヴィンテージとは違う楽器と考えること。その発想が、違う魅力を引き出すことにつながる。ましてやそれなりにいいヒストリックなら、音も相当にいいし、活躍の場はいろいろある。たとえばぼくの場合、93年のシール付きゴールドトップは、バーストと音が違うからこそ持っているといえる。実際の演奏において両者を使い分けるニーズがあるから、どちらも所有しているということだ。典型的なのは、スライド奏法の場合。バーストでスライドだと、音が暴れすぎてウマくコントロールしきれないこともある。しかしヒストリックなら、スライドでもコントロールしやすい。だから使う局面は少ないが、スライドが必要な時には迷わずヒストリックを使う。これはどちらが上でどちらが下という問題ではなく、個性の違いなのだ。

メイプル

はっきりいって、本物のバーストには絵にかいたような「奇麗なトラ」は少ない。写真ではいちばん杢の出ている構図が使われるので勘違いしてしまいがちだが、本物を目の前にして、そういうバリトラを見たくても、なかなか杢が出てくれないのが現実だ。これは声を大にしていいたいのだが、ヴィンテージに使っているトップのメイプル材は、どんな深い杢でも、照明や見る角度によって「ほとんど杢が消える」ポイントがある。どっからみてもトラが出まくりということはありえない。その手の好事家には有名な、デュエイン・オールマンのでも、ゲイリー・ムーアのでも、本物である以上、現物を手にとって眺め廻してみれば、トラがほとんど薄くなる角度がある(なければレプリカ(笑))。これが、本当の意味でのハードメイプル(アメリカ北東部産)の特徴だ。反対に、プレーンに見えても、角度や光線によってある程度の杢がでるのも特徴だ。音のいいプレーンにはなぜかトラが出てくることを経験的に気付いている人も多いと思う。プレーントップは音がいいのが多いというのは、ハードメイプルが使われているものが多いからだ。プレーンといわれていても、うっすらと、ちょこちょこトラが出ているならハードメイプル。こういうギターなら、かなりの確率で音の良い一本に出会える。

反対に常に深いトラ杢が出ていて、角度を変えても消えないトップ材は、ソフトメイプルと見ていい。お店が勝手に格付けしてAAA、AAAAAとか称しているものでも、どこから見てもトラ杢がバリバリで目が痛いようなのはソフトメイプルと考えていいだろう。名前はどう呼ぶかという問題だけなので、時代や場所によって定義が変わることもある。店頭のプライスタグで唄われている「名前」にだまされてはいけない。問題は、同じ種類の材かどうかということだ。マグロといっても、黒マグロと鉢マグロでは全然違う。大事なのは名前ではなく中身だ。ヴィンテージのバーストに使われていたようなメイプルでなくては、バーストの音は出ない。ソフトメイプルでは全然コシのない音になってしまう。これが音に影響するのだから、困ったものだ。はっきり言って、「トラマニア」で眺めて楽しめればいいのなら、ソフトメイプルトップのを選ぶべきだし、それでなにも問題がない。音で選ぶなら、トラは捨ててハードメイプルのプレーントップを選べばいい。困るのは、勘違いして二兎を追おうとするヒトだ。いつも言っているようにそれはかなわぬ夢なのだ。それだけは割り切って欲しい。

マホガニー

いい音のレスポールがほしいなら、マホガニーにこだわるべきだ。レスポールの良し悪しを決める上で、マホガニーはもっとも重要なポイントだ。なにせ、ネックにしろ、ボディーにしろ、振動する木部のほとんどがマホガニーからできている。また構造材として、弦の張力を受け止めるのもマホガニーがメインだ。音に大きい影響がないわけがない。俗に言われるレス・ポールの3大ウッド・ファクターの中でも、もっとも重要なのがマホガニーということになる。ところがこのマホガニー、トップのメイプルや指板のハカランダに比べると表から見えないせいか、一般にはイマイチ重視されていない。そのせいもあって、実にクオリティーが下がっている。ホンジュラス・マホガニーが入手できなくなっていることもあり、アフリカやアジア産の「マホガニー」を使っている。これがまた、似て非なる木材なのだ。

ホンジュラスマホガニーには、実は「木目がある」。こればかりは本物を見てもらわないことにはイメージがつかみにくいのだが、いわゆる「南方材」というのっぺりして粗っぽい感じよりは、普通の木材で導管が多少目立つという程度の材だ。それだけではない。なんとトラ杢入りのマホもあるのだ。一方フィリッピン産の「マホガニー」の中には、どう見ても日本で「ラワン」といってベニアにしている材にしか見えないものもある。廉価モデルのバックによく使われている。カタログにはマホガニーと書いていあるのだが。これは木目がなく、導管だけが目立つ。わかるヒトには一目瞭然なのだ。塗装のない状態で、生の材で見れば、色も違うしその高級感の差は一目瞭然だと思う。メイプルのトラのあるなしよりも、マホガニーの違いの方が、材の違いという意味では大きかもしれない。これで同じ音を出そうという方が、どだい間違っている。

ハカランダ

これはよく言われる指板の材料でも同じことだ。ハカランダとホンジュラス・ローズでは違うといえばもちろん違う。入手困難ということでは、ハカランダがギター用木材の中でも白眉かもしれない。なんせワシントン条約の対象だ。これがあるがゆえに、ヴィンテージギターは、いちいち製造年の証明をつけて輸入許可を取らなくてはならない状況だ。そんなこともあって、一般のギターファンの間でのハカランダ神話は、実態以上に神格化されすぎているきらいがある。もちろん、厳密に言えば指板の材料により音は変わってくる。コンポーネントギター用のネックを差し替えて試してみれば、確かに違う。しかし、それがクリティカルな違いになることはあまりない。ボディーやネックそのものと違って、もし張り変えたとしても、全然鳴らなくなるというワケではない。それは、指板は主要な構造材ではないからだ。

実は、ネック材やトップ材とは違い、指板の材料は、ハカランダでなくては絶対にあの音がでないということではない。ハカランダの部材は薄い上に、フレット打つための切れ目が入っている。それだけでなく、すぐ下にもっと重いロッドが入っている。色々な要素を考えあわせてみれば、いわゆる「ギターの個体差」を多少踏み外す程度の違いである。鳴らないギターの指板をハカランダに張り替えても、鳴らないものは鳴らない。逆に鳴るギターなら、指板をローズウッドに変えたとしても、それなりには鳴ってくれるはずだ。たしかに違いはあるのだが、この違いはぼくの好きな表現で言えば、「アンプのトーンの一目盛」というヤツだろう。

工作

良い木材が使えるのならば、カギは工作の良し悪しということになる。この領域になると専門性が出てくるので、よくわからないことも多い。しかし、レスポールタイプのギターは、ストラトタイプのコンポギターと違い、アコギが作れる、特にフルアコが作れるルシアーでないと作れないのではないかと思う。中子の精度とか、材の張り合わせとか、アコースティックギター同様の工作力とクオリティーが求められる所も多い気がする。中子も、形としての「ディープジョイント」よりも、ハメただけで抜けずに持ち上がるかのような、きっちりとした工作精度が重要であり、そういう「いい仕事」ができるヒトでなくては作れないということだ。

あと、そのルシアーがバーストでなくてもヴィンテージを触ったことがあるヒトかどうかというのも重要なポイントだ。リペア出身のヒトなら、多かれ少なかれヴィンテージに触れ、ヴィンテージの鳴りとはどういうものかカラダで知っていると思う。しかし、大手ギターメーカー系のヒトの場合、そういう体験を経ずにギター作りをしている場合もままある。これが海外のメーカーに比して日本のメーカーが決定的に劣っている点だ。バリトラのトップなど、銘木の使用で知られるアメリカの某新興ギターメーカーが、OEM生産先をもとめて日本の大手工場と交渉した際、結局まとまらなかった理由がこれだという。もっともベーシックモデルのレベルだと、基本的にはすべてNC削りだしなので、どこで作っても同じというのも確かなのだが。

そういう意味では、マスプロ製品よりは、きちんとわかっているルシアーがノウハウを活かして作ったギターの方が、いい楽器になる可能性は高い。このような文脈で考える分には、有名ルシアーの作った「レプリカ」の人気が高いというのも、それなりにはうなずける。日本でもヒストリックよりはずっと安い価格で、ずっといい音のレスポールタイプのギターを作ってくれる工房もある。こういうルシアーにカスタムオーダーする場合、重要なことは発注者の求めるポイントをいかに的確に制作者側に伝えるかということだ。たとえば、その工房の作ったギターで気に入ったヤツがあるなら、話は簡単だ。作るほうも、それを基準にできるからだ。また、こういう感じにしてくれという見本になるギターがあるのも話が早い。いちばん困るのは、コトバで、それも「勝手な思い込み」を語る場合だという。トラブルの原因にもなりやすい。もっとも、こういうコミュニケーションの問題は、何をする場合でも問題になるのはいうまでもないが。

生音

レスポールを選ぶポイントは生音にある。もちろんレスポールに限らず、生音はすべてのエレクトリックギター選びの原点といえるが、特にレスポールタイプの場合はその差が大きく、かつギターの良し悪しのほとんどを決めてしまうからだ。生鳴りが良くなくては、いい音はしない。そしていい音がしなくては、表情豊かなプレイはできない。レスポールの場合、テクニカルなプレイより、一音一音の表情を大事にした、感情豊かなプレイに使われることが多い。従って、プレイヤーの指先の機微にどれだけ反応してくれるかがクリティカルな要素となる。また、レスポールの構造もこの問題を重要なものとしている。レスポールタイプのギターの場合、木の材質、工作の良し悪し、仕上げの良し悪し、そのすべての要素が生鳴りに影響する。まさに「アコースティック・ギター」と同じだ。

基本的にエレクトリックギターは、生音がいい音で、表現豊かでなければ、ピックアップでフォローしようにもどうしようもない。ブルージーなプレイで、太く歪んだ音を出すには、エフェクターで「造った」歪み感では表情がでない。元の音がすでに太く歪んでいて、それをそのまま増幅させなくてはいけないのだ。バーストをヴィンテージマーシャルにつなぎ、フルテンにして奏いてみればこの感じはすぐにわかる。同じポッドのセッティングであるにも関わらず、ピッキングの具合で、クリーントーンから、ブリブリにねちっこいディストーションサウンドまで、自在に奏き分けられる。エフェクターで歪ませたのでは、こうはいかない。これがレスポールサウンドの醍醐味でもある。こういう使いかたができないのなら、レスポールを使う意味はないといってもいいだろう。どこにでもあるようなコンポーネントギターで充分だ。

こういう奏法をするには、ギターの側がそれを受け止めるだけの度量を持っていなくてはならない。そのギターの度量を見分ける、いや聞き分けるポイントは、生鳴りでギュインと図太い、腹に響く低音が出ていることに尽きる。特に低音が出ていることが大事だ。生音が太ければ、リアピックアップでも太く粘っこい音が出る。そうすれば、クリーントーンでリアとフロントを切り替えても、遜色のない音量と音圧が得られるようになる。これがセコいギターでは、フロントはいいけど、リアがペンペケの薄い音になってしまう。これではセンターのミックスがいい音になるわけがない。ジミー・ペイジが得意とする、あのセンターポジションの音が出ないとお嘆きの、レスポール使いのギタリストは多いと思う。その理由はここにあるのだ。この点に関してはダメなギターはダメ。ピックアップを交換しても無理だ。あっさり手放して買い換えた方がいい。とはいうものの、最近は音の良し悪しでもプレミアムの付きかたが変わるようになってきた。手放すなら早いほうがいいだろう。

レリックと汚し

40thモデルでは、レリック仕上げのモデルも人気が高い。しかし、新品のギターを中古品のように「傷つけた」ものをありがたがるというのはどうかしている。ウェザーチェックだって、クラックだって、フェイドだって、手で細工したのでは所詮は偽物だ。それで楽しいのだろうか。幸せになれるというのだろうか。このような再現技術は、ヴィンテージのリペアをしたとき、修理部分と元の部分の差が出ないようにするために開発された手法だ。トム・マーフィーが、リペア部分を、オリジナル部分と寸分違わないように塗装を仕上げた「いい仕事の逸品」を見たことがある。その技術を、ニセのヴィンテージである「レリック」を作るために流用したに過ぎない。おまけに変なことに、レリック好きな人に限って、自分が奏き込んだり、ぶつけたりして傷を付けるのを気にしたりする。これはどう考えても逆だ。使い込んだのがいいなら、自分でそのギターを奏きまくって、自然なスレや傷で年期を込めればいいではないか。

おまけに、傷だけでは物足りなく、いろいろ汚して喜んでいる人もいる。趣味の話なので、とやかくいえるものではないが、ぼくは疑問を感じる。それはそもそもギターには汚れは大敵で、ココチよく使うには常にメンテが必要なものだからだ。ヴィンテージでも、本気でギターとして使おうと思えば、徹底的なメンテが必要だ。塗装部分や指板の手垢を全部取り切る。プラパーツも、汚れからくる劣化を避けるべく、もっとも細かいコンパウンドで磨いて汚れは取る。金属パーツは磨いてサビを徹底して取り除いた上で、防錆剤を塗る。全体もレモンオイルとかで磨くだけでなく、場合によっては金属磨きやコンパウンド使ったりバフかけても汚れの層を取り去って、つるつる・ぴかぴかの状態にする必要がある。そうでないと、そのギターの本当の音は出ない。いわば汚れでミュートがかかっている状態で、いい音がするワケがないではないか。

それだけでなく、汚れはギターの傷みを早める働きもある。ギターそのものを傷めてまで、みてくれを汚す必要があるのだろうか。実際、フェンダーカスタムショップのレリック仕様の初期のモデルや、国内のショップカスタムのレリック仕様で、普通に使っていたのではこうはならないというぐらい、その後の経年変化でぼこぼこになってしまったものも見たことがある。そういういみでは、ギターを傷つけたり、汚したりするのは、ぼくは耐えられない。一度プロの愛器をじっくり見てみると言い。ほんとにメンテナンスがいい。ある意味では、ヴィンテージとしての価値を犠牲にしても、楽器としてのコンディション維持を優先する。あのジミー・ペイジのNo.1 バーストなんて、10年に一度ぐらいは、徹底的にパーツ交換でリビルドして、リフィニッシュまでしている。キレイにしておかないと、ちゃんと奏けない。古いモノなら古いほどそうだ。それが楽器というものなのだ。概して、いい木を使って、いい音のするギターがレリック仕様になっているのは、どうにも悲しい。多分アレを本当に使おうと思ったら、一度リフィニッシュしなくてはならないのではないか。どうにも本末転倒に感じるのは、ぼくだけだろうか。

重さの問題

ヴィンテージには軽いものが多く、4kg以下の個体が多いのは確かだ。70年代以降のギブソンのレスポールスタンダードにしろ、各社のコピーモデルにしろ、この水準からするとかなり重めの個体が多い。そういうこともあって、「レスポールは重い」と思ってるヒトも多い。しかし、4kgというのは、やはり70年代以降のストラトと同じぐらいの水準で、決して重くはない。レスポールが重いというのは、偉大なる勘違いだ。そういう印象を変える意味では、「ヴィンテージは軽い」というのは重要な情報だとは思うが、それが独り歩きしても困る。軽ければ何でもいいというわけではない。なぜか最近、そう信じている人が多いようだが。

バーストでも4.2kg以上ある重めのヤツも見たことがあるが、それでもよく鳴る。ヴィンテージであれば重さは関係ないといってもいい。初期モノに限られるが、重目のヒストリックにも関わらず、よく鳴るギターも見たことがある。過度に重さにこだわるのは、はっきりいって意味がない。これはストラトだが、90年代のはじめ頃、某楽器店のオリジナルで、フェンダージャパン製の「ライトウェイトのストラト」が発売されたことがある。これは確かに軽いのだが、音という面では通常のフェンダージャパンを越えるものでなかった。結局は「軽さよりは音」で選ぶべきなのだ。確かに重さによって出る音の傾向が違うのも確かだが、これも好みとしかいいようがない。確かに軽い方がよく鳴りやすい。しかしいつもいってることだが、メタルをやるなら重い方が向いている。要は個性の違いだ。この面でも正解はない。

塗装

塗装の問題もよく語られる。同じ個体なら、ポリウレタンの厚い塗装を剥がして薄いセルロースラッカーに塗り替えれば、当然鳴りは良くなる。しかし、これはポリウレタンとラッカーとどちらの仕上げが良くて、どちらの仕上げが悪いということではない。ポリウレタン仕上げの鳴るギターもあるし、ラッカー仕上げの鳴らないギターもある。仕上げは、鳴るか鳴らないかの本質ではない。めちゃくちゃ暴れる木材をボディーに使う場合、かなり厚くポリエステルのシーラーを塗ることで、倍音を落ち着かせるというテクニックもある。要は目的と利用法次第なのだ。どういう音にしたいか、そのためにはどうすればいいか。それがわかっていれば問題はないだろう。材のよくない鳴らないギターは、塗装を剥がして極薄ラッカー仕上げにしても、結局は鳴らないままだ。

当然、いい木を使って、いい工作をした「鳴るギター」ならば、より薄い塗装仕上げの方が一般的には望ましい。しかし、アメリカではシンナーの自然乾燥が公害防止の州条例により規制され、ラッカー塗装が難しい州もある。たとえばギターのメーカーや工房の多いカリフォルニアとか、ニューヨークでは、工場でのラッカー仕上げは事実上できない。ということで、現状のアメリカ製ギターではラッカー仕上げが減ってきている。だが、ポリエステル仕上げになってからのフェンダーでも、いいギターが作られていることを考えれば、それがクリティカルな問題とはいいきれないだろう。

ヒストリックの買い時

95年頃のことを思い出してほしい。ヒストリックに人気が出て、リイッシューの相場が下がった。限られたコレクターしかいない日本の市場で、みんなが買い換えに走ったんだからたまらない。これでは相場は暴落してしまう。あまりに安くなったので、逆にアメリカから買いに来たというオチもある。しかし、このバカ安のときアタリのリイッシューを安く手に入れたヒトは、その後ものスゴく得したはずだ。今、同じようなことが起こっている。40thを買うので、ヒストリックを手放す人も多い。ヒストリックの相場はかなり下がっている。新品在庫も見切り価格で売っている。もしかすると、新品で98年モデルの在庫を抱えていた店が、いちばん相場低下の被害をこうむったかもしれない。

ヘッドの形。ネックの継ぎ位置。etc.。たしかに93年以降のヒストリックやリイッシューと、99年モデルでは、細かい形が違うといえば違う。しかしどちらにしろ、いいギターはいい。大事なのは、その1〜2mmの違いではない。自分にとって魅力的なポイントを持ったギターかどうかだ。音で選ぶもよし、トラで選ぶもよし。そこが気に入れば問題ないではないか。自分の気に入った一本に出会ったら、それがチャンスだ。些細なスペックの違いなどどうでもいいことと気付くだろう。おまけに安いときている。気に入ったギターを見つけたら絶対に買いだ。躊躇せず売約を入れよう。こういうリーズナブルな値段で、お気に入りの一本を買えるチャンスは、また数年間は来ないだろうから。



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