おたくの煩悩

第三章 鉄道模型


煩悩 その27
カツミ シュパーブライン
この時代の鉄道模型といえば、まず語らなくてはいけないものが、カツミ模型店が発売した日本型SLのスケールモデルだ「シュパーブライン」シリーズであろう。これは、現在は天賞堂を通して販売を行ない、天賞堂ブランドの特製品の製作も行なっている安達製作所が企画し製作していたモノだ。
それまでのHOゲージの日本型といえば、カワイモデルや鉄道模型社に代表される戦前派の模型メーカーによるモノが中心であり、「スケールが小さいんだから、それっぽければ、細かいところは問わない」とでもいいたげな、厳密な意味ではスケールモデルとはいえないようなモノが中心であった。特にSLは、造作がおもてに出てるだけに、その作りの粗さは誰にもわかるものであった。
しかし、当時でもアメリカに輸出するための、アメリカ型のHOゲージのスケールモデルでは、正確な縮尺に基づく詳細な造形がなされていた。つまり技術はあっても、市場がないため、日本型ではそれを活かせなかったのだ。
しかし、ときあたかも高度成長がはじまった。日本人も、高級な鉄道模型を楽しむだけのお金の余裕が出てきた。そして、高級な輸出用SLモデルを作っていた安達製作所が、日本型に参入したのであった。
このインパクトはスゴかった。メカニカルな構造という意味でも、造形表現という意味でも、これ以降の日本型SLスケールモデルのありかたを決めてしまったといってよい。細かいパーツこそ省略が目立つが、全体の造形の構成力は、30年近く経った今も決して見劣りしないものがある。

煩悩 その28
エンドウ 二軸貨車シリーズ
シュパーブラインが当時の最高峰、高根の華とすれば、当時の模型ファンなら誰でも持っていたのが、このエンドウの二軸貨車シリーズだろう。エンドウは、やはりカツミ模型店系列の下請けメーカーで、主として電車などの箱モノをつくっていたが、自社ブランドでも線路や鉄橋、駅舎など、ブリキ製のいわゆる「ティントイ」のような小物を発売していた。
二軸貨車シリーズもこの延長上にあり、ブリキをプレス仕上げでまとめた、ティントイ技術の応用で構成されていた。とはいうものの、全体のアウトラインやスケール感は的確であり、その種類の豊富さもあいまって、フリーのB型電機とかしか持っていないお子様から、それこそシュパーブラインのD51に牽かせるヒトまで、誰もが持っていた。
また、基本パーツはプレス仕上げながら、全体はきちんと半田付けでパーツを組み上げてあるので、技術のあるヒトなら、一旦バラした上で加工して組み立てることも可能であった。基本造形がきちんとしているのは、こういうユーザにも受け入れられる理由となっていた。
今から考えると、手作業で組み立てているのだから、コストがかかってしまいそうだが、当時はまだ低賃金を売り物に輸出ドライブがかけられた時代、組立てより材料費のほうが高かった。今みると、戦後日本の歴史さえ感じさせてくれる貨車だ。

煩悩 その29
KDカプラー
ぼくは、KDカプラーこそ、日本における鉄道模型の趣味のありかたに、最大の革命を起こした功労者だと思う。少なくともぼくの場合はそうだった。あれを単に、自連のカタチをしている連結器としか思っていないとしたら、それは不幸だ。KDカプラーの偉大なところ、それは「ディレイド・アンカプリング」という機能だ。
ディレイド・アンカプリングとは、連結器を外した状態にしておいて、なおかつ推進で動かすことができる機能だ。アンカプラーの上で一回停止させ、一旦開放した上でふたたびくっつけると、カプラーの鍵が開いたままになる。このまま推進して行き、好きなところで機関車だけバックさせれば、車輌をそこに置いてくることができる。他のHOゲージ用連結器ではこれができない。
では、これでなにができるかというと、かなり正確な「貨車の入れ換え」ができる。これは実に楽しい。そして、入れ換えをするだけなら、貨物駅の部分だけを棚の上かなんかに作っておき、そこで楽しむことができる。
だいたいHOゲージは、日本の住宅事情では走らせることが難しい。それだけに、作る楽しみのほうが中心になってしまう。しかし、これなら動きを楽しめる。さらに駅の部分なら相当に精密に駅舎や倉庫などをジオラマ式に作ることもでき、フルディティーリングしたSLなんかも一層はえる。
しかし、この本領をしらないままKDカプラーを使っている、宝の持ち腐れのようなヒトも多いのは悲しい限りだ。

煩悩 その30
ロストワックス・パーツ
日本では、なんとかいっても走らせたり、編成を楽しむなら、Nゲージだ。ではHOゲージの存在意義はなにか。これは、スーパー・ディーティールだ。少なくともNゲージが登場し、模型マニアの中で市民権を得ていらい、このような棲みわけができたような気がする。
もともと日本では住宅の事情もあり、アメリカのようにはいかず、HOにおいては、走らせる部分より作って楽しむ要素が強かった。それだけにこの棲みわけは、ごくごく自然なモノといえるだろう。そしてこの傾向を決定づけたのが、ロストワックス製のパーツの普及だ。もともとシュパーブラインとかでも、エア・コンプレッサとか、一部のパーツにはロストワックス製のモノもあった。
しかし、ここでいうのは、後づけのディーティーリング用に売り出されたパーツだ。その最初のものは、珊瑚模型店が発売した一連のパーツであろう。もともと特製品のC62 2号用の特別パーツとして作られたモノだが、LP42型前照燈やシールドビーム、ATS用補助発電機などはその後すっかり定番となった。
そして、大爆発したのはニワ模型が進出してからだ。ニワのパーツはおよそ考えられるものは、なんでも発売された。ただし一旦売り切れると、次の発売は何年後かなので、気づいたときに買っておかなくてはいけないのが、なかなかつらかった。そういえば、ニワ模型の支店は、ニワ美容室と一緒に、会社の近くのビルの中にあったのが懐かしい。けっこうニワ美容室は愛用したのであった。

煩悩 その31
メルクリン
メルクリンといえば、いわずとしれたドイツの歴史ある鉄道模型だ。線路幅こそ16.5mmのHO規格ながら、独自のシステムを持ち、トータルに「走らせる」ことを楽しめるシステムとなっている。しかし、このメルクリン、日本の鉄道模型マニアからは至って評判が悪い。はっきりいって、かれらはメルクリンを鉄道模型とは認めていない。トミーのプラレールかなにかと同一視しているといっても過言ではないだろう。
だから、日本でメルクリンをやっているのは、子供か「鉄道模型マニアでない模型ファン」かだ。
これはなぜであろうか。メルクリンはドイツ型中心だが、ドイツ型は日本では、外国の鉄道車輌の中では、アメリカ型と並びもっとも人気が高い。それに。かつて日本型を出したこともあるから理由にはならない。
ハイフランジがオモチャっぽいという声もあるが、ヨーロッパ製の鉄道模型は基本的にはどれもハイフランジだ。他のメーカーの製品は、ちゃんと「模型」として認められている。
と絞ってゆくと、どうやら理由は、独自のAC三線式などクローズドなシステムで、他と互換性がないところに原因がありそうだ。そっちが障壁を作っているから、こっちも入れてやらない。こういう心理らしい。まあ、マニアらしい狭量なハナシだが、目糞鼻糞の類ではある。

煩悩 その32
ナローゲージ
ナローゲージとは、むかしの森林鉄道や鉱山鉄道、いわゆるトロッコなどに使われている規格だ。こういう路線では、線路の幅が762mmや610mmといった鉄道がしかれ、軽便鉄道と呼ばれて利用されていた。文字通り車輌が軽いため、大まかに整地した上に線路をおいてしまえば利用できるため、林道とかが整備される前は、日本各地で使用されていた。
10何年か前までは、ユネスコ村とか西武園のところで、実際のナローゲージのSLが保存運転されていたが、西武ライオンズ球場の完成とともに廃止されてしまった。
これを模型にしたのが、ナローゲージだ。縮尺はHO規格が使われ、762mm(2 1/2フィート)の線路を、9mm幅にして製作するのだ。なんせ、もとがもとだけに、模型にしても一般のHOとくらべると、急カーブ、急勾配に大変強く、最低四切のパネルぐらいあれば、丸く線路をひいて走らせることができる。さらに半切のパネルぐらいあれば、山を作って立体交差もできる。おまけにもともと編成も短いので、これでも充分絵になる。
これはなかなか魅力的だ。それに、もとが何十年も前に日本では絶滅してしまったものだけに、リアルに作っても、自由にイマジネーションの趣くまま、世界を再現できる。リアルでも、フリー。これは、スケールモデルにはない魅力だ。したがって、ナローモデルのマニアには、ごりごりの「をたく」は少なく、一般のセンスのいい趣味のような良識人が多いのも特徴だ。

煩悩 その33
エアーパイプ
黒い鉄の塊であるSL。その中でいちばん目立つものは何であろうか。それは、黒以外の色をしている部分のどれかであるのはいうまでもない。真鍮色の汽笛や、煙室扉ハンドル、ランボードのコバ面に塗られた白い帯、火室に塗られた赤褐色の耐熱塗料。ポイントはいくつかあるが、いちばん目立つのは、ボイラ側面でひときわ輝く、磨きあげられた銅製のエアーパイプであろう。
エアーパイプ、正式には空気作用管という。蒸気機関車は、ライト周りと、ATS関係を除けば、電気仕掛のところは一つもない。すべて、物理的な仕掛で操作するようになっている。蒸気の出し入れを制御する加減弁や逆転器など、力のいる操作は、すべて直接テコでリンクしている。手近なバルブは、すべてパイプを運転台に通すことで、直接開け締めする。そして、空転防止用の砂など、どうしても遠隔操作が必要なバルブだけ、圧搾空気で開け締めする。このための圧搾空気のパイプが、エアーパイプだ。
しかし、これだけ目立つものなのに、なぜか模型のSLでは長らく表現されなかった(現在のものはついているものが多い)。戦前は、エアーパイプはボイラーの多いの下を通していて、おもてから見えない場合が多かったからかもしれない。
しかし、実物のSLを撮影するようになると、これがないのはどうにも不満だった。そして試行錯誤の末、0.25mmの燐青銅線を使って、手軽にそれらしく表現する方法を編み出したが、これ以来スーパーディーティールの道に足を突っ込んでしまったのであった。

煩悩 その34
とれいん
どんな分野でも、二大勢力があって、それぞれ切磋琢磨してはじめて進歩が生まれるものだ。しかし、鉄道模型の分野では、ながく権威は「鉄道模型趣味」という雑誌を中心とする一派しかなかった。古い時代においては、模型と工作とか、模型とラジオといった、少年模型誌の世界のモノであった日本の鉄道模型を、模型界から自立させ、鉄道趣味の世界でそのステイタスをつくったという意味では、かれらの功績はそれなりに大きい。
しかし、その後の鉄道模型界の多様化とともに、そのあまりに製作面、技術面に偏ったスタンスは、必ずしも鉄道模型のを背負う、一枚看板の代表としてはふさわしいとは言い切れない面がでてきていた。そんな頃さっそうと登場し、まったく違う視点を与えてくれた雑誌が、松本謙一氏率いるプレスアイゼンバーンから出版された「とれいん」だ。
松本氏自身、日本橋の呉服店「えりえい」の若旦那というだけあって、そのスタンスは「大人のホビーとしての鉄道模型の確立」と「鉄道模型における造形工芸的価値の創造」とまとめることができる。かれらが模型に見せるノリは、カーエンスージアストがクルマやパーツに見せるそれと似ている。ここでは車輌の模型が趣味の目的ではなく、趣味のための手段となっている。当時、このスタンスには大いに共感したものだ。
その後、文字通りカーエンスー向けのムックを出版していたオフィスNekoが、Rail Magazineを出版して鉄道趣味界に新風を吹き込んだが、その起点がここにあったのだ。

煩悩 その35
ウェザリング
完成した模型車輌をどのように仕上げるか、その最後にして最大のポイントは塗装にかかっている。そして、この塗装のやりかたには、大きくわけて二つのやりかたがある。
一つは、模型としてきれいに仕上げるやりかた。これは、とにかくきれいに見せるわけで、実物でいえば完成時の型式写真や、お召列車用の「漆仕上げ」みたいな塗装とか、そういう感じにするのだ。
もう一つは、ひたすらリアルにみせるよう、サビやドロ、汚れなどを徹底的に表現するやりかただ。これをウェザリングという。
ぼくは、後者のほうが好きであった。リアルとはいっても、そのまま実物と同じ色感で、同じように塗ったのでは、あまりリアルにならない。模型と本物は、あくまでも視点や光線状態が違う状況下にあるわけなので、模型としてリアルさを出すためには、いわば模型をキャンバスとして、表現しなくてはならないのだ。
これをやると、実に生き生きとしてくる。しかし、これがほんとうに真価を発揮するのは、Nゲージにおいてだ、Nゲージでは、ディーティーリングしようにも、なかなか小さいし、プラスティック製だし、あるレベル以上の細工は難しい。そこで、絵筆が生きるのだ。パクトラエナメルのつやけし系の色(ミリタリー用の色には、実にいい色が多い)をそろえ、数種類の面相筆を活かし、ぼかしたり、ちらしたりしながら、生気を描く。
工作派のマニアにはわからない喜びであろう。

煩悩 その36
バラキット
工作派のマニアだと、スクラッチビルドに無上の喜びを感じるのだろうが、ぼくにはそこまではできなかった。しかたなく真鍮板から……、というのもやったことはあるが、もともと気が短いので、こういう根気のいる作業はダメなのだ。しかし、かといって出来合いの製品では、造形的なとらえかたに気の喰わない点も多い。ということで、いちばん愛用したのがバラキットだ。
要は部品は全部揃っていて、半田づけで組み立ててゆけばいいのだ。組み立てる途中で手を入れられるので、気に喰わないところに手を加えやすいし、ディーティーリングなんかも、順序を考えてやりやすいときに加工できるので楽だ。
バラキットの双璧といえば、ぼくにとってはアダチのSLと、ピノキオ模型の旧型客車だ。模型なんかやっていた最後の時期には、これらを組み立てるのがその活動の中心となっていた。高校生の頃だ。
本来なら受験勉強しなくちゃいけない時期にも、気分転換と称して、ごそごそ半田付けしていた。半田付けは糸ノコで材料を切るのと違って、音がしないのが、親にばれなくてよかった。
しかし、やはり、自分でも勉強しないとまずい、という状況になってくると、さすがに自粛した。そして、それっきり、模型とは縁がなくなった。だからいまでも実家には、最後に作りかけていたSLやら、客車やらがころがっている。

(93/12)



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