おたくの煩悩

第四章 旅客機


煩悩 その37
DC-6B
ぼくが最初に飛行機に乗ったのは、小学校1年生か2年生のとき。東京から、大阪までだ。そのときの機種がDC-6Bであった。DC-6Bといえば、戦後復活した最初の国際線用の旅客機として導入された機種だ。このころは、2軍落ちして、国内線用に使われていたのであった。
この飛行機は4発のプロペラ機で、その基本は戦前派のDC-4にある。そのエンジンを換装して、胴体をストレッチした機種だ。もっというと、基本的にDC-6というのはDC-4から発展した貨物機として設計されたものであり、これを旅客化したのがDC-6Bだ(もっというと、もともとDC-4自体が軍用輸送機のC-54を旅客化したものではある)。
DC-3のような尾輪式ではなく、今の旅客機と同じ前輪式なので、乗ってみた基本的な感じは、現代のプロペラ旅客機とそんなには変わらない。じっさい、中米あたりでは、充分現役だ。
で、そのときの印象だが、はっきりいってあまり記憶にない。「飛行機に乗れる」っていう部分の期待が大きすぎたせいかもしれないが、なんかとてもうるさかったことと、スチュワーデスが飴をくれたことだけしか、覚えていない。そのあとで、大阪についてから宝塚にいった部分なんかは、とてもよく覚えているのだけれど。
まあ、初体験というのは、概してこういうモノなのかもしれない。

煩悩 その38
Boeing737
じつは、今でもそうなのだが、ぼくの一番好きな旅客機というのが、このBoeing737だ。それも、オリジナルの100シリーズが一番美しいと思う。そもそも、ぼくは造形的には、機械や道具に関しては、まるっこくてころっとしたものが好きなのだ。これは、なにについてもけっこう一貫していて、クルマとか、楽器とか、なんでもこの美意識を貫いている。
その反対に、ひょろりと細長いものは、どうも苦手だ。モノを書くにしても、細長い鉛筆より、ある程度の太さのある昔のモンブランの万年筆みたいな筆記具のほうが、ずっとイメージがわく。どうしても鉛筆というなら、ある程度使い込んだ短いヤツがいい。この辺がこだわりだ。
さて、その737、駐機している姿が、じつにいとおしい。となりにジャンボとかいると、片翼の下にすっぽり入ってしまいそうな感じがするほど、可愛らしくたたずんでいるのがいい。また、タイヤそのものが完全には引き込まれない主脚も、子犬の足のように短くてかわいい。ちょこちょこっと滑走路を走って、すっと飛び立っちゃうのも、これまたかわいい。
もともと、707シリーズと胴体部品の共有を考えた結果のデザインといわれているが、このボディーの大きさが、アニメのいわゆる2.5頭身的なプロポーションの愛敬を生み出しているわけだ。と考えると、それで「をた」ウケがいいのであろうか。

煩悩 その39
DC-8
はっきりいって、DC-8は嫌いだ。そもそもBoeing737のところでいったように、こういう細長い物体は、ぼくの好みのデザインではない。特に、後期の62シリーズとか72シリーズとか、主脚の長さをいいことに、どんどんストレッチした機種がでてきてからは、細長さが極端になってきて、どうにも許せないプロポーションになってしまった。
こういう生理的な理由もさることながら、DC-8が嫌いなもう一つの理由は、むかし、あまりにありふれていたからだ。つまり、「犬の糞」化してたのだ。
当時、日本の国際線は、日本航空の独占状態であった。そして、日本航空はこの時期、国際線はDC-8中心で使っていた(初期においてはコンベア880をアジア線に使用し、70年代の中ごろからは、Boeing747が多くなってきた)。
つまり、そのころは日本の航空会社の国際線といえば、その機種は即DC-8だった時期なのだ。子供の絵本にでてくる飛行機もDC-8なら、懸賞広告でバックに使われているのもDC-8だ。さすがにこれでは飽きがくるというもの。
ありふれてしまったものには、マニア心はくすぐられないのだ。その証拠に、50代や60代の鉄道マニアの中には、D51がごときどこにでもある機関車にこだわりをもっては、一流のマニアとはいえない、という、昔気質を今も保っている人がいる。まあ、これと同じコトだろう。ちなみに、ぼくがDC-8にはじめて乗ったのは、中学だかのとき、アメリカにいくときのコトであった。

煩悩 その40
フォッカーフレンドシップ
この時代の国内線というと、まだまだ地方の空港の整備はおくれていて、まだプロペラ機全盛の時代であった。そして、需要に合わせて、いろいろな小型のマイナーな機種が使われていた。バイカウントなんていう、妙な格好の窓をしたイギリス製の機種もあったが、実はこれは乗ったことがない。これは、どちらかというと大きめで、準幹線に使われていた。当時の全日空のローカル便の主力といえば、やはりオランダ製のフレンドシップであろう。
フレンドシップの特徴、それはとりもなおさず、高翼配置というその設計にある。つまり、胴体の肩のところから翼がついているのだ。このような設計は、クラムシェルドアを持ち、直接砲や戦車などを積み込む必要のある戦術輸送機には、ロッキードC-130や、川崎C-1を例にひくまでもなく良く見られるものだ。したがって、戦術輸送機をベースに改良した旅客機にも、高翼配置が良く見られる。
しかし、そんなコトよりお客さんにとって高翼配置のメリットは、翼が視野の中にないぶん、どの席からも景色がよく見えることだ。とくに、フレンドシップは窓が大きく、飛行高度も低い飛行機だったため、その眺望は最高といってもよい。ぼくが乗った中では、大阪-熊本便で、瀬戸内海の上をとんで行く間、ずっといい天気で、なんとも得した気になった日のことを、今でも覚えている。
フレンドシップの後継機であるフォッカー100は、現在中日本航空が二機持っていて、名古屋-富山便に使われている。この便は北アルプスの真上を飛んで行く。なんとも、天気のいい日に一度乗ってみたいものだ。

煩悩 その41
Boeing 727
昭和40年代の国内線の幹線の主力といえば、なんといってもボーイング727だ。JALでも全日空でも使われていた。ついこの間までは、ローカル線落ちしたとはいえ、全日空で現役だったが、いまは過去の機体になってしまった。しかし、もと全日空の機体が、大韓航空で使われているので、ローカル空港ではたまにみることができる。
それだけ使われていれば事故にあうことも多く、東京湾で落ちたり、自衛隊機と空中衝突したり、赤軍派に乗っ取られたり、昭和史の映像の中にも頻繁に登場している。
727が主力だった頃は、日本の空もすいていて、飛び立ってしまえばほぼ無管制状態で、航路さえ守れば自由に飛べたらしい。その中でも727は、機体のわりにエンジンパワーがあり、もっともスピードが出しやすかったらしい。
ということで、バリバリ全開で飛行することも多く、当時は機長たちがスピード記録を競っていたそうだ。なんでも記録は東京→大阪間でなんと29分というのだそうだ。当然最高速度はマッハ領域だ。727自体設計上超音速対応だし、実際に試作機のテストは超音速を出しているので、まんざら嘘ではないことがわかる。航空マニアの間では有名な話だ。
しかし、29分はいまでも競争力がある。これならのぞみがこようがリニアがこようが、商売になる。しかし、現在の東京→大阪間は朝夕の中央線並の並行ダイヤなので、遅い飛行機にあわせなくてはならないのがつらいところだ。

煩悩 その42
羽田空港
かつては、空港といえば羽田空港であった。国際線も、国内線もすべて羽田で済んでいたのだから、それだけ便数が少なかったということだ。さすがに、もう記憶も薄くなってしまったが、学生時代の何回かの海外旅行は、羽田から飛行機にのったのであった。
当時は、今みたいに「国内>海外」という状況ではなく、海外のほうがなにかにつけて上であった。イメージ的に、海外に近いところほど何か文化的な香りがした。当然国際空港などはその筆頭だ。
今は成田なんて行っても、文化度でいえば高速道路のサービスエリアといい勝負だ。これは、その国の民度と関係あるかもいしれない。韓国みたいに先進国になった国は、空港のイメージは日本と同じだ。至って事務的、日常的だ。北京あたりだと、まだちょっと特別な場の感じもあるが、あと数年であろう。バンコクあたりまで行って、やっと昔の羽田空港を思い出した。
ところで、この間台湾に行くので久しぶりに「羽田からの国際線」にのった。いやあ、近いというのは便利だ。勝新もハワイ行くのに中華航空を愛用したわけだ、と妙ななっとく。しかし、新ターミナルができても、32、33番のゲートだけは、廊下を板でふさいで昔のビルが使われている姿は、なつかしくも哀れであった。
おもえば、昔は海外は遠かったのだ。
しかし、台湾は、羽田からだと近かった。JTAの石垣島行く便より時間はかからないのであった。

煩悩 その43
Boeing747
旅客機の話をする以上、悲しいかな747の話をさけては通れない。それほど、いたるとことジャンボばかりだ。しかし、それはとりもなおさず趣味性が薄いということにほかならない。だいたい飛行機に乗るとこれがくるし、たしかによく使うのだが、なんとも実用一点張りなのだ。
乗ってる間も、早く目的地につくことしか考えていない。もっとマイナーな機種や、小型の機種だと、乗っているだけでもけっこう楽しい。この間、中国西北航空のBAe-146というキャパ60人ぐらいの飛行機に乗ったが、機体のわりにSTOL性を高めるため、パワーのあるエンジンをつんでおり、いかにも軍人出身と思わせる機長の豪快な操縦とともに、乗っているだけでもわくわくした。
しかし、ジャンボとなると、エアポケットに入っても、余程のヤツでない限り多少揺れるぐらいだ。逆に、ジャンボでどかんとくるぐらいだと、ぼーっとしてるヒトにけが人がでてしまう。
これも昔は、乗るだけでわくわくするような時代もあったのだ。ちなみに最初にジャンボに乗ったのは、高校のときにハワイにいったときであった。そのときは、DC-8でない、というだけでスゴくうれしかった。

煩悩 その44
DC-10
DC-10は旧ダグラス社、いまのマクドネル・ダグラス社の旅客機としては、比較的好きな機種だ。三発機ということでよく比較されたトライスターと比べると、こっちのほうがデザイン的に好きだ。全体に丸っこいからであろうか。
しかし、このDC-10、いまでこそ定番となり、そのコンセプトを受け継ぎ改良されたMD-11も生産続行されているが、当初はいろいろトラブルが続出し、いたって評判が悪かったことも確かだ。
日本ではJALで活躍しており、いまでも使われているが、なんか肩身が狭い感じがする「活躍」なのも否定できない。でも中には、デルタ航空みたいに積極的に使っているところもある。とはいえ、このシリーズが定着したのは、米空軍に、KC-10として採用されたからであろう。KC-10は、それまでの給油機であるKC-135が、給油機として使うモードと、輸送機として使うモードは、地上で改装しなくてはならなかったのが、KC-10では、給油しながら荷物も運べるという、画期的な利用が可能になったのだ。
比較的好みではない機種が多いダグラス社の中では、まだ好きなほうだ。しかし、後部エンジンから上の垂直尾翼のデザインは何とかしてほしいものではある。

煩悩 その45
ダグラス DC-9
生産当初は人気もいま一つであったが、続々と改良がつづけられ、結果としてダグラス社の旅客機としては、いちばんベストセラーとなった、ローカル路線用の双発機だ。マクドネル・ダグラス社となってからも、改良版がMD-81、MD-82等々続いて生産された。日本の空でも、日本エアシステムの主力機としておなじみだ。
初期のバージョンは、けっこう小型機としてバランスがとれているのだが、その後の改良は、ダグラス社のお家芸ともいえる「ストレッチ」で対応したため、だんだんひょろひょろとして、なんとも妙なバランスになてきた。特に、リアエンジンのため、前のほうをかなり延ばしても、後ろのプロポーションはさほどかわらないので、ロングバージョンはスゴいクビ長だ。あんまり好きな機種ではない。
けっきょく、旅客機におけるダグラス社の名機って、戦前派のプロペラ旅客機である、DC-3、DC-4に尽きてしまうのではないだろうか。これらは、飛行機ファンであればだれもが好きなプロペラ旅客機の名機ということは間違いない。

煩悩 その46
ボーイング707
世界的に、60年代から70年代にかけての名旅客機といえば、なんといってもボーイング707だ。圧倒的なシェアと実績があった。旧ソ連圏はさておき、西側では主力中の主力だ。そもそも全く使われていないというのは、日本ぐらいではないか。そもそもの経緯は良くしらないが、昔の航空会社の機種決定につきものの、政治家がらみのなにかがあったのだろうか。
当時は、707クラスのニーズを持つ航空会社は、日本では日本航空しかなかったが、基本的にJALは国有企業だったわけで(いまでも体質は親方日の丸ではあるが)、なにかあったとしてもオカシくはない。
もともと367-80という型番で、ボーイング社が、将来のジェット輸送機時代を予測して自主開発したものが、空軍に注目され、C-135/KC-135として採用されたものを、民間用に改良したものだ。設計そのものは1950年代前半のものだけに、当時としても手慣れた技術が使われており、これが扱いやすさや、その後の改造の容易さにつながったのだ。C-135系の機体は、空軍では2020年代まで残るものと計画されており、なんと70年近くも使われることになる。
まさに、既存の技術を元に、ジェット輸送機の基本をかためた機種だからこそ、これだけの生命を持ちうるのだろう。

(93/12)



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