おたくの煩悩

第六章 戦車


煩悩 その57
61式戦車
陸上自衛隊が開発した、戦後初の国産戦車が61式戦車だ。旧帝国陸軍においては、計画・試作レベルでは中戦車もあったものの、実戦配備されたものは、軽戦車、もしくは偵察装甲車と呼ぶべきものがほとんどであった。したがって、これが本邦初の本格戦車と呼んでもかまわないだろう。少なくとも、陸軍の戦術においては、戦前の精神主義(どっかの会社みたい)から、自衛隊では米軍の機甲師団中心型の用兵法を伝授されたので、その意味でも、戦車らしい戦車はこれが初めてといえるだろう。
しかし、この61式戦車、この時代の世界の主力戦車と比べると、なんかアンバランスだ。砲塔はまだしも、駆動部分がみょうに貧弱だ。とにかく幅が狭い。あきらかにアタマでっかちだ。
これはその当時、戦車隊が重点的に配備されていた北海道では、道路が未整備のため、機動的な移動のためには、鉄道で戦車を輸送しなくてはならず、日本の鉄道車輌の規格にあわせる必要があり、その結果幅が狭くなったのだ。なんとも日本らしい顛末ではないか。
しかし、よく考えると、鉄道しか交通路がないのであれば、北から敵が攻めてきても、鉄道さえ押えてしまえば自然の山があるところで通路は寸断されてしまうし、歩兵は山越えできても、重火器はそこでストップしてしまうはずだ。よく考えると、ちょっと不思議な気もする用兵思想だが、このバランスのなさは旧陸軍譲りなのだろうか。

煩悩 その58
72式戦車
60年代は、世界的にも独特な61式戦車でがんばってきた陸上自衛隊に、70年代に入って突如登場した新鋭戦車が、72式戦車だ。これは、もうどういう視点からみても、世界的にみて当時の一流水準の戦車だ。そればかりか、油圧によるアクティブなサスペンションで、どんな傾斜地でも砲塔を水平に保ち、砲弾を発射可能とするなど、世界に先駆けた新技術も投入されていた。
当然、開発時期が時期だけに、当時のベトナム戦争での米軍の経験も設計に活かされ、現代戦車戦に対応可能な機能を持つ。真偽のほどはしらないが、当時、戦車を作っていた三菱重工の相模原工場と、米軍の相模補給廠が近いこともあって、「米軍の手によって、ひそかに試作機がベトナムに持ち込まれ、実戦でテストされた」という噂が語られていたものだ。
一説によると、1989年だか90年だかに、アメリカのソ連の参謀長が相互訪問をしたとき、モスクワで、アメリカの記者団がソ連陸軍の極秘の軍事博物館に案内されたとき、72式の実物があったという情報が流れ、テストで使った車輌が、サイゴン陥落とともに放棄され、それをソ連が持ち帰ったものだという噂が流れたりもした。なかなか根深い噂ではある。
72式戦車は、90式戦車が正式に配備されはじめた今でも、陸上自衛隊の主力戦車となっている。

煩悩 その59
M-60
アメリカが、ベトナム戦争の泥沼にハマっていた当時、米陸軍、および海兵隊の主力戦車が、このM-60だ。当然、当時の最新鋭であった。ベトナム戦争では、日本中の米軍基地がフル回転して、後方補給にあたった。
ぼくらは、ちょっと年が足りないが、当時大学生だった団塊の世代のヒトたちには、王子の米軍病院で行なわれていた、「ばらばらになった死体をつなぎあわせて復元し、きれいに化粧した上で冷凍して本国に送り返す」アルバイトが、ものスゴくワリのいいアルバイトとしてしられていたようだ。
それだけでなく、兵器の補修や整備も、民間企業もフルに動員して行なわれた。当然のように、M-60の修理も大々的に行なわれていた。で、ここから先がスゴいのだが、修理の終わった戦車は、米軍の基地や、積み出し埠頭まで、なんと一般道路を自走してゆくのだ。
関東では相模補給廠のあたりとか、鶴見の米陸軍埠頭とか、国道16号周辺が有名であった。さすがに、輸送は深夜とかに行なわれるので、実物はみたことがなのが残念だが、ベ平連のヒトたちとかが反対を叫ぶわきを、戦車がどこどこ通ってゆくニュースは、なんどもみたことがある。今から考えると、信じられないが……。

煩悩 その60
M-48
当時、M-60とならんで使用されていた、米軍の戦車にM-48がある。M-60が重戦車なのにたいして、M-48は軽戦車、もしくは中戦車であり、主として海兵隊によって使われていた。全軍のトップを切って敵地に侵攻し、橋頭堡を確保するのを主任務とする海兵隊では、機動力が必要なため、どうしても軽戦車を必要としており、いまでも改良に改良を重ねたM-48を装備に加えている。
この戦車は、戦後の冷戦時代に備えて、現代的な戦車戦に対応できる機種として、戦後開発され、朝鮮戦争から実戦に使用された歴史のある機種だ。当時としては大型であったものの、現在の規格からすると軽戦車としてバランスがとれていたことが幸いし、長い寿命を誇っている。
実際、韓国陸軍では、現在でも改良版のM-48を大量に配備しているが、それは、韓半島で戦車戦が起きるとすれば、現在の38線を中心とした地域だが、この地域は地形を活かして交通の便を悪くし、大量侵攻を防ぐ戦略をとっているため、小型の戦車でなくては戦えないからだ。
初期の自衛隊にも供与されていたから、プラモデルを作る際には、自衛隊仕様にするのもオツなものだ。

煩悩 その61
ロンメル戦車
アイディアにとんだ珍兵器、怪兵器といえば、第二次世界大戦中のドイツ軍、日本軍が双璧だ。日本のそれには、ギャグでしかないものが多いが、ドイツのそれは、当時は珍兵器でも、その後の用兵思想を大きく変えたものも多い。
さて、通常兵器と、珍兵器の当落線すれすれのものが、このロンメル戦車ではないだろうか。これは「戦車」とはいうものの、厳密にいえば「自走砲」だ。いや、装甲自走砲というべきだろうか。砲塔がなく、厚い装甲で固めた車体から、じかに大口径の砲心がでている。したがって照準は車体自体を回転させてあわせる必要がある。機甲師団全体が、同じスピードで侵攻しながら戦えるよう開発された、北アフリカ戦線ならではの兵器だ。
ぼくがこれを忘れられないのは、小学生時代の思い出だ。このころ、冬休みに入ると、友達のうちにあつまり、組み立てたタミヤのリモコン戦車シリーズで戦うのだ。要はぶつけあって、相手の車体をこわすのだが、そもそもきゃしゃな砲塔がある上に、そこにいっぱいパーツがついている一般の戦車に比べて、箱にパイプがついているだけのロンメル戦車は、実に強力だ。
ということで、いつもぼくはロンメル戦車を選んでいた。そういうわけで愛着がある。

煩悩 その62
T-34
日本では、第二次世界大戦中の兵器といえば、まず日本の兵器、次にドイツ、それからアメリカ……、というのが一般的であり、ソ連の兵器となるとほとんど人気がない。しかし、陸軍の兵器となるとちょっと違う。なんといってもドイツがいちばん人気、次いでアメリカ、そして次ぐらいにソ連がくるのではないだろうか。
ソ連の陸上兵器は、特に、マニア筋からはなんとも人気が高い。マニアの団体票で、3位にはいっているというところだろうか。いろいろクセはあるのだが、それだけにウォーゲームとかでは、上級者ごのみだ。そんな第二次世界大戦での主力戦車がT-34だ。砲塔が極端に前によった独特のプロポーションをしており、ぼくも当時の戦車の中ではけっこう好きだ。
しかしこのT-34、今や歴史上の兵器かというと、そうでもないのが恐いところだ。なんと、ボスニア・ヘルツェゴビナでの内戦の模様を伝えるCNNの映像で、ついこないだも亡霊のように蘇ってきたのだ。おまけに玉まで撃ってる。世界にはスゴい国があるものだとオドロいてはいけない。
あの、偉大なる金日成主席、金正日書記の率いる、愛すべき朝鮮民主主義人民共和国の誇る陸軍で、いまでも輌数的にいちばん多いのは、このT-34なのだ。625動乱以来の車輌を大事に使ってきたのが、いまでも現役でいるらしい。
なんとも、SLマニア的をたくごころをくすぐるはなしではないか。

煩悩 その63
T-72
旧ソ連軍で最後の正式戦車はT-80だが、いまでもロシアをはじめ旧ソ連圏でいちばん数量的に多いのが、T-72だ。ソ連の戦車というのは、アメリカやNATO諸国の制式戦車と比べると、際だった特徴がある。耐久性を犠牲にしても安くてシンプルな構造、次に砲弾や燃料を犠牲にしても機動性の重視、といった点がそれだ。
つまり、これはそもそも用兵思想が違うのだ。ソ連の兵器は、あくまでも拠点となる基地が自軍の勢力圏にあり、そこを中心にして自軍の勢力圏を守るためにもっとも効果的な武器を作っているのだ。そこ基本は侵略ではなく、防衛だ。
実際ロシア帝国時代以来、ロシア/ソ連がその版図を広げたのは、力による奪取というよりは、「こそっと掠めとる」ことによって手にしたものばかりだ。清朝末期の混乱に乗じた沿海州、オスマントルコの衰退に乗じたカスピ海・黒海沿岸、カザフとかに至ってはロシア帝国自らの崩壊で起こった混乱に乗じてソビエト政権が押えたのだ。こういう歴史をみれば、なっとくできるものがある。
このソ連製兵器のメリット・デメリットがはっきりしたのは、アフガン侵攻だ。ソ連製兵器では、伸び切った補給線の中、政権側の領土を広げることは遂にできなかったが、のこった政権側の拠点を落とすのは、ゲリラ側もかなりてこずったのだ。これこそ、ソ連兵器の真骨頂ということができるだろう。

煩悩 その64
陸上自衛隊
専守防衛の陸上自衛隊が活躍するところは、できればみたくないものであり、有事の際にも、空海の自衛隊の活躍で止めてほしいところではある。ということで、ぼくらにとって陸上自衛隊の活躍がみられるのは、銀幕の上、それも東宝怪獣映画のフィルム中に限られていた。
しかし、航空自衛隊は曲がりなりにも特攻戦法で、何らかのダメージを怪獣に与えているのに対して、陸上自衛隊はあわれだ。いつもせっかく隊列を整えながら、なにもしない前に、怪獣の光線一発、あわれ全滅してしまうのだ。これでは、時代劇の斬られ役、ヤクザ映画の鉄砲玉役だ。
映画の中ではそれだけに、陸上自衛隊の出撃シーンは悲愴感があふれていた。
さて、2年ほど前、現実のニュースの中でこの悲愴感に似たものを感じてしまった。そう、雲仙普弦岳に立ち向かう陸上自衛隊だ。大火砕流で焼き尽くされた中を、黙々と進む82式指揮通信車と、60式装甲車。もしここでまた火砕流が起きれば、ひとたまりもないにもかかわらず、ひたすら任務を遂行する。
空撮のヘリからの映像をみながら、伊福部昭作曲のゴジラのテーマをアタマの中でならしたひとも多かったろう。そうだ、怪獣というのは自然の猛威なのだ。そう思うと、みょうに納得するものがあった。

煩悩 その65
M-4シャーマン
第二次世界大戦におけるアメリカの代表的戦車といえば、やはりM-4であろう。しかしアメリカは、長くモンロー主義をとり、海外の戦争には直接は介入しない主義である上に、アメリカ大陸内には、これという敵がいなかっため、それほど強力な機甲師団は持っていなかった。
しかし、ヨーロッパがナチスドイツの手に落ち、アメリカ自らが直接ヨーロッパ戦線の地上戦に介入する必要が生じたため、急遽直接参戦にいたったのだ。このために、自動車メーカーや、建機メーカー、農機具メーカーなど、およそ戦車を作れそうなところは総動員して、物量で大量生産したのが、このM-4だ。
したがって、機能第一のデザインで、アメリカらしいといえばらしいのだが、どうも、砲塔、全面装甲、駆動部などがちぐはぐな感じがしてならない。
ヨーロッパ戦線では、戦後その多くが鉄屑として廃棄された。しかし、それを屑鉄の値段で買い込んだ建国直後のイスラエルが、いろいろ使えるパーツを組み合わせて再生し、戦車隊を作ってしまったのは有名だ。これも、規格化されたアメリカ製品ならではのハナシだ。

煩悩 その66
韓半島をめぐる状況
北朝鮮の核疑惑問題以来、韓半島をめぐる状況が世界政治の関心事になっている。ソ連の崩壊以来、世界の悪役がいなくなってしまったので、小物でもいから悪役を作ろうという傾向が感じられないでもないが、毎日のように新聞の話題になっている。何らかの脅威があることは確かだが、脅威の実態をただしく掴んでいるひとは少ないように思う。
核疑惑も大きいが、核の戦略上の力は、実際に持っていようがいまいが、持っているように見えるだけでも、充分に効果がある。日本のプルトニウム輸送に、世界があれだけ反応するのも、あれが「日本はいつでも核武装できるぞ」という、戦略上の効果があるからだ。高速増殖炉とて同じだ。だから、これは疑惑だけで充分役にたつのだ。
次に、ノドン1ホだ。あれは、たかが戦術ミサイルだ。しいていうなら、戦術ミサイルはトマホークみたいに正確に当たってこそ意味があるのに、これはものすごく精度が悪いミサイルだ。その意味では「流れ弾がどこに飛んでくるかわからない恐さ」はあるが、決して戦略ミサイルの恐さではない。
ほんとうに恐いのはなにか。それは武力ではない。難民の波だ。もし北が38線を越えて侵攻すれば、必ずやそのあとから怒涛の難民軍団が押し寄せてくる。そして、都市に達すれば、正規軍自体も戦意を失い間違いなく難民化する。これが起こったら、韓国経済はめちゃくちゃになる。
日本とて同じだ。トンヘ沿岸のハムギョンドとか、北のほうからなら南へ流出するよりは、船で日本に来たほうがずっとはやい。日本にも百万のオーダーで、難民がくるはずだ。そして、過去の歴史責任を考えれば、これを受け入れないわけにはいかない。これが最大の武器だ。

(93/12)



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