おたくの煩悩

第九章 スロットレーシング


煩悩 その87
サーキット場
さて、60年代後半の風俗を彩る、スロットレーサーだ。スロットレーサーは、1/24スケール(1/32という規格もあったが、ほとんど普及しなかった)のプラスティックモデル等のボディーに専用のシャシーを組み合わせ、コースに掘られた溝にガイドを入れて、直流12vの電気でコントロールして走らせて楽しむ、自動車模型だ。
この楽しみかたはいろいろあるが、基本的には「サーキット場」と呼ばれる、8車線ぐらいのコースが作られた会場にゆき、実車のスポーツ走行的に、じぶんで好きに走らせて楽しむか、会場側で設定したレースで楽しむか、というのが一般的なやりかただ。
サーキット場は、今でも世の中に数軒はあるが、当時はやはりブームだったボーリング場に併設されているものが多く、主要な駅ごとにはあったような感じだ。
基本的には、メインユーザはティーンズであった。しかし、ぼくは当時小学校の下級生から上級生になるぐらいのころだ。絶対的なテクニックの差があるので、レースそのものに出るのは無理であったが、適当に「スポーツ走行」で楽しむのを中心にあそんだものであった。
厳密にいうと、当時のサーキット場は小学生は入るのがうるさかったのだが、ぼくは地元の小学校ではなく、電車で私立の学校に通っていたので、チェックとかあっても、問題なく許されてしまったのであった。

煩悩 その88
FT-36D
スロットレーサーの動力源は、直流12Vのモーターだ。その中でもっとも一般的に使われたのが、マブチモーターのFTシリーズだ。マブチモーターといえば、いまや、ビデオカメラをはじめ、日本のエレクトロニクス製品にはかかせない超小型モーターのメーカーとして知られているが、最初は模型用モーターからスタートした。
いちばん最初の製品は、いかにも戦前の「モートル(って、日立の登録商標かな)」のようなカタチをした、01、02などのシリーズだ。これは非常にごっつい外観で、主として、夏休みの工作のように、模型用の朴板に、ブリキなどを組み合わせて使う、「工作」の作品に使われたものだ。
次に、プラモデルに対応し、磁石にフェライトを使い小型化した、16、32などのシリーズが登場した。これは、なんとも懐かしいモーターだ。ここまでは、基本的にはDC1.5V〜3Vが定格であり、あくまでも電池を使い、模型専用という感があるモーターだ。
しかし、スロットレーサーブームとともに、満を持して登場したFTシリーズは、それまでのものとは違い、DC12V用であり、耐久性やトルクも充分なものであった。このシリーズ-には、基本型のFT-16、FT-36と、高性能型のFT-16D、FT-36Dがあり、Dシリーズのほうは、駆動軸がブラシとは逆側に突き出ているのが特徴であった。

煩悩 その89
まき直し
多くのレーシングカーは、マブチモーターのFTシリーズを動力源としていたが、それだといわばワンメイクと同じで、パワープラントの差がつかない。そこで、もっと強力なハイパワーモーターを求めて、試行錯誤がはじまった。
そこでみんなが目を付けたのは、同じ直流12Vを利用する、HOゲージ用に使われるのモーターだ。しかし、実物と同じで、鉄道模型は長い編成を牽く関係上、スピードよりもトルクが求められる(あのD51で1000ps、ところがスカイラインGTRのレース仕様は600ps、もっと過激なゼロヨンチューンとかだと800psとか軽く出る)ため、そのままでは利用できない。
もちろん、トルクを活かしてオーバートップギアにする手もあるが、利用可能なギアはないし、ギアの自作は難しい。ということで、知恵者が、捲線の回数を減らすことで、同じ電圧に対して回転数をあげる方法を思い付いた。これがまき直しだ。
いわば、ディーゼル用の強固なシリンダブロックを利用して、オリジナルヘッドをのせ、チューンエンジンを作るようなものだ。
これは、FTシリーズに対して圧倒的なトルクがあったので、比較的大型のクルマでよく使われていた。
改造の母体となったモーターとしては、カツミ模型店のDV-18シリーズが多かった。

煩悩 その90
サイドワインダー
サイドワインダーといっても、この章は武器のハナシではないので、AAMではない。スロットレーサーのシャシーでの、モーターの乗せかたの問題だ。
もっとも一般的なモーターの載せかたは、モーター軸を車体前後の方向に置き、ピニオンギアと平傘歯車で後軸を駆動するやりかただ。電車でいうカルダン駆動と似ているが、カルダンのように両者とも傘歯車ではない。
これだと、モーターは一般的には車体中央部にくる。本来ならミッドシップでよさそうだが、スロットレーサーにとって、前輪は実は無用の長物であり、実際はガイドシューと後輪だけでバランスをとっている。そして、ガイドシューは、独自にスプリング等を介し、シャシーに固定されている。
つまり、前輪後輪のバランスがいいと、前輪のぶんが死重になってしまうのだ。このため発明されたのが、サイドワインダーだ。これは電車の釣掛式のように、後軸軸受上にモーターを固定し、平歯車で駆動するやりかたで、モーターの全重量を後軸にかけることができる。
また、前シャシーと、後シャシーを分けることができるので、実物でいうモノコック式のシャシーを実現でき、改造が難しいプラモデルのレーサー化にも役だった。

煩悩 その91
ホットショット
より速く走るための探求は、レーサーについて日夜行なわれていたが、それを制御するコントローラについても、改造が行なわれた。当時、コントローラーも、個人のものをサーキット上に持ち込めた。
コントローラといっても、単に捲線抵抗を挟みこんで、電圧のコントロールを行なうだけだ。ということで、最初は、その形態に改良が加えられた。はじめ、一般的だったコントローラは、全体を握り、親指でたての棒を押し込むことで制御するタイプだった。
しかし、これはともすると興奮してきて、ついつい押し込みすぎ、オーバースピードになるきらいがあった。そこで水平に出たレバーを微妙に左右にコントロールするタイプが作られた。
その次は回路だ。とはいっても、単に電圧制御だけなのであまり手は加えられない。そこで、コントローラの位置に関係なく、一瞬フル電圧をかけるボタンと、一瞬電流を切ってしまうボタンを付けることがはやった。これをホットショットという。
これをウマく使うと、ブレーキングドリフトみたいなことや、コーナー立上りでの姿勢の制御が、なかなか絶妙にできるのであった。
上級者にはけっこう有意義なモノであったと思う。

煩悩 その92
クリアボディー
スロットレーサーには、田宮をはじめとするプラモデルメーカーからコンプリートキットで発売されているものも多かったが、これらはやはり人気車種に限られていた。それ以外の車種をほしいと思うと、1/24または1/25のプラキットを購入し、これを改造する手があった。しかし、プラモデルさえもでていないような超マイナーな車種はどうするか。これは、いくつかのショップから、ちょうど今のガレージキットのバキュームモデルのような「クリアボディー」というのが発売されており、これを使うしか手がなかった。
これはつまり、クルマのカブりモノだ。アメリカのドラッグレーサーでは、ドラッグマシンの上にFRP製の、実在のクルマに似せたボディーをのっけるモノもあるが、あれと思えばいい。
透明塩化ビニールの板に、プレスでクルマの格好を作ったものであり、これに色を塗ってそれらしく作り、ボディーにするのだ。これは、軽くて丈夫なこともあり、勝負派には人気があった。しかし、走らせることより作ることが中心になってしまう年少ファンにとっては、なんか物足りない。
ということで、あまり好きではなかったのであった。

煩悩 その93
ストックカー
当時、人気があったのはやはりスポーツカーだ。それも、後にスーパーカーカーと呼ばれるようになる、エキゾチックカーだ。しかし、この時代特有の人気のあったものにストックカーがある。
つまり、ふつうのセダンをベースとし、これをチューンしたレーサーによって争われるレースに登場するチューニングカーだ。今でもアメリカでは人気があるとは思うが、当時は、アメ車といえばフルサイズの時代だ。これがチューンしてぶんぶん走るのだから、その迫力は相当なものだ。
当時のスロットレーサーブームは、アメリカからの輸入風俗だったので、当然日本でも、シボレーとか、ポンティアックとか、ストックカーのモデルも人気があった。
しかし、アメ車では今一つ親近感がわかない。そこで、セドリックとかクラウンとかによる、日本版ストックカーレースが開始された。主としてタクシー仕様のボディーを利用して行なわれたレースだが、これはなんとも愉快だ。
そこで、ぼくもプラモデルを改造して、セドリックのレーシングカーを作ったりした。やはり、でかいクルマは走らしていて気持ちがよかった。

煩悩 その94
フェラーリ ディーノ
当時も、いちばん人気のあったエキゾチックカーは、なんといってもフェラーリであった。というより、フェラーリという名前を覚えたのも、スロットレーサーブームが発端だ。その後の、セミ大量生産化したフェラーリとはちがい、当時のフェラーリは、市販仕様とレース仕様の差が小さく、グループCカーに、最低限の保安部品を付けて売っているようなものであった。
当然、当時の日本では本物を見る機会などほとんどなかっただけに、あこがれのクルマであった。
さて、ぼくがフェラーリの中でいちばん好きだったのは、フェラーリディーノだ。フェラーリの中ではおとなしいデザインだが、バランスのよさが好きであった。しかし、その端麗さが災いしてか、なぜかこのディーノ、コンプリートキットではでていなかった。そこで、唯一発売されていた日東科学のディーノのプラモデルを使って制作した。レーシングカーのコンプリートキットを出しているメーカーのプラモデルは、だいたい部品の共通化のため、シャシーとかハメやすいのだが、ここは出していなかったので、なか
なか改造に苦労したことを覚えている。

煩悩 その95
デューセンバーグ
コンプリートキットを組んだ中で忘れられないのは、モノグラム社のデューセンバーグだ。デューセンバーグといえば、1930年代の禁酒法の時代、マフィアのゴッドファーザーたちの愛用車としてしられた、ハンドメイドの超高級車だ。
アメリカ人にとっては、古きよき時代の代名詞ともいえるクルマであり、いまでもクラシックカーはとてつもない値段で取引されているようだ。
このようないわくつきのクルマだ。したがって、とてもでかい。おまけに装飾部品がいっぱいついている。正に満艦飾。当然、とてもマトモに走りを楽しむことはできない。
だが、もともとこっちはレースにでる幕などないのだから、スポーツ走行時に目立ってくれればいい。そんな目的には最高の一台であった。

煩悩 その96
フォード トラック
ということで、スロットレーサー末期になると、ゲテモノを作って、スポーツ走行時に目だつという、チバラギ族の竹槍出っ歯的な指向になってきた。たしかに、当時チバラギ仕様があれば、絶対作っていたと思う。5台ぐらい並べてたらたら走ったら、さぞかし気持ちがいいであろう。
ということで、この路線の極みとして登場したのは、フォードトラックだ。今でもアメ車マニアからは、垂涎のまとの1950年代のフォードトラック。映画などで、中西部の農家の庭先に置いてありそうな、もっこりとした亀みたいなボンネットをもったあれだ。
レベル社から出ていた、このトラックの1/25のプラモデルを利用し、これをスロットレーサーにした。しかし、なんといってもトラックだ。モーターの積み場がない。しかたないので、荷台に荷物を積んで、その中にモーターを入れた。おかげで、HOゲージ用のいちばんでかいモーターを利用できた。そのほか、シャシーも、金属で作り替えるとかなんとも苦労したが、とにかく動くものができた。
しかし、もとがトラックだからとにかくでかい。
ブンブンすっとばすと、コーナーなんて、軽くとなりのコースに乱入して走ってゆく。
快感を感じる一瞬であった。

(93/12)



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