おたくの煩悩
第十章 カメラ
煩悩 その97
フジペット
ぼくが最初に手にしたカメラが、この「フジペット」だった。子供向けカメラ、という意味では、日本で最初に発売された製品ではないだろうか。120のフィルムを使った、6×6版のカメラで、プラスティックを多用したボディーに、軍艦部と裏ブタがアルミでできていた。
シャッタースピードは、多分1/60の固定とバルブの切り替え、絞りは、晴れ、曇り、室内のマークがついていたが、それぞれ16、11、8ではないかと思う。一応、固定のシャッターではフラッシュが同調するようになっていた。レンズは多分広角ぎみだったので、75mmか70mmぐらいだと思うが、定かではない。
シャッターは手動コッキング式で、レンズのわきに「1」、「2」と書いたレバーがあり、1でコッキング、2でレリーズと、ツーストロークで撮影する。また、巻上げは、昔の120の常で、うしろの赤いプラスティック窓から、フィルムの遮光紙の数字を見ながらセットするタイプであった。
けっこう、ぼくの世代には、このフジペットではじめて写真を撮ったっていうヤツも多い。この前、幼なじみで、プロのカメラマンやってる友人の家にいったら、これがあって、「やっぱり最初はこれだよね」っていうんで、盛り上がったりもした。
すくなくとも、当時の高感度フィルムである、SSフィルム(ISO100のモノクロフィルム)を使う限りはけっこうよく撮れた。いわば、今のレンズつきフィルムみたいなものだ。
煩悩 その98
オリンパス・ペン EE
さて、その次に使ったカメラは、ハーフサイズのオリンパス・ペン EEであった。これまた、懐かしいと思うヒトが多い、一斉を風靡したカメラではないだろうか。これは、小学校の頃買ってもらった。レンズ周囲にセレン式の露出計の受光部がついた独特のデザインは、いまでも中古カメラ屋でときどき見かける。
距離は固定焦点であったが、その割にはけっこうよく写った。プログラム式のAEであり、当時の固定焦点式の常として、シャッタースピードと絞りが、EV値に対応してリニアに変化するタイプであった。というより、実質的には、絞り値重視型のプログラムが組んであった。なんらかの値を設定するダイアルは、レンズの周りに一つだけあり、これをISO値にするとAEモードになり、反対側に書いてある絞り値にあわせると、自動的にX接点のシンクロモードになった。
実質的に、目で見たものと、写真にうつしとったものがどう違うかという基本は、このカメラで学んだといえるだろう。しかし、クルマや鉄道など、動くものを撮るぼくとしては、絞り値重視型のAEはけっこうつらいものがあった。ということで、小学校の上級生になる頃には、ちと物足りなくなっていたのであった。
煩悩 その99
キヤノン・デミS
さて、その次に手に入れたのは、やはりハーフ版のキヤノン・デミシリーズだ。キヤノンデミシリーズも、機種が多い。ぼくが手に入れたのは、cds式の露出計がつき、シャッタースピード優先のAEモードがある機種だった。
とにかく、動くものを撮りたいので、どんな状態でも1/250は切りたいワケで、シャッタースピード優先は必須だったのだ。で、当時は、普及機種ではそういう機能があったのはこれしかない、という状況だったのだ。
当然、機能は豊富だ。フラッシュ撮影(まだ、ストロボは高かった時代だ)はマニュアルで対応するようになっており、マニュアルのモードもあった。露出、というものが「ある」ことを知ったのは、この機種のおかげだ。
これは、中学に入る頃まで使った。
煩悩 その100
キャノン FT
さて、中学に入ると一気に行動半径がました。友達同志でなら、旅行とか行けるようになった、というか、親から許してもらえるようになった。こういうのは、友達の中にひとり心の広い親がいると、各々の教育方針はさておき、なんか許さなくてはいけないような気分がひろがるものだ。
ということで、念願かなってSLの写真とか撮影しに行けるようになった。せっかく金をかけて「写真を写しに」行くのだ。そうなると、中途半端なカメラじゃどうしようもない。
ということで、一気に本格的なカメラを買うことにした。鉄道写真というと、どうしても望遠系だ。ということは、一眼レフは必須だ。当時、すでに一眼レフといえば、その最高峰はNikon Fであった。しかし、これはどうあがいても高い。
そこで手のとどく範囲で考えると、望遠系が充実していること、TTL・スポット測光が可
能なこと(これは、黒いSLを撮る以上必須)、キャノン FTか、ペンタックス SPということになる。
当時、仲間ウチではけっこうペンタックスを持っているヤツは多かった。それに反発したのだけが理由ではないが、キヤノンFTを選んだ。まあ、でかいカメラだ。ただ、耐久性は納得できるものがあった。
しかし、キヤノンの一眼レフは、この直後冬の時代に入るのだ。当然、すぐに他社の機種に比べて陳腐化し、機能的にも見劣りするようになった。
煩悩 その101
ミノルタ SR-T101
ということで、キヤノン系を使っていたのだが、キヤノンは1970年代前半の、開放測光の採用をはじめとする一眼レフの技術革新に乗り遅れ、一気に時代遅れになってしまった。
少年ユーザは、こういうところにはなんとも敏感だ。
これはヤバいと感じたぼくは、まだ値段のあるうちに一気に乗り換えることにした。高校生になった頃だ。いろいろ検討した結果、コストパフォーマンスのよさから、次期主力機種には、ミノルタSR-T101を選んだ。実際、コストパフォーマンスがよかった。新宿のミヤマ商会できキヤノンFTのシステムをうっぱらったら、当時まだショーウィンドウもない、いかにもバッタ屋という感じのヨドバシカメラ(正式には「淀橋写真商会」であったが)で、充分新品セットが買えた。
この選択は必ずしも間違いではなく、その後も、いろいろ新機種は出てきたものの、高校生から大学生の間は、すくなくともこのカメラで不自由を感じたことはなかった。
ということで、高校時代は、写真そのものへの興味も増し、写真部に入ったり、写真部の中で表現論争で喧嘩してセクト争いになり、化学準備室に暗室があることから、化学の先生を顧問に別の同好会を作ったり、文化祭などを中心に写真展をやったり、修学旅行の写真班をやったり、けっこう写真に没頭したのであった。
当時は、建築家になりたかったのだが、(アラーキー大先輩も出た)千葉大の写真学科なんていうのも、真剣に考えたりしたものだ。
最後は、21mmから400mmまで揃えていたりした。しかし、昔つき合っていた女性に貸したまま、その彼女とは別れてしまったので、今は跡形もない。
煩悩 その102
ミノルタオートコード・ブロニカS2
さて、ここから先にテーマとするカメラは、どれも今手元にあるカメラだ。元来の趣旨からすると、ちと外れている気がしないでもないが、そもそもカメラ編自体がおまけ的な位置付けなので、まあお許しあれ。
さて、高校の頃は、ふだんは一般写真、休みのときは鉄道写真と、いう感じで使い分けていた。当時鉄道写真は、主として35mmでモノクロで撮っていた。しかし、カラーにも、文字通り色気があった。当時、すでにローカル線の廃止なども始まっていたし、SLの廃止も射程に入っていた。
コンテストや雑誌でも、版権をとられるモノには一切応募しなかったぐらい、権利意識のませた高校生だったぼくは、ここで考えた。「SLは、今でなくては撮れない絵だ。カラーで撮るなら、印刷原稿にできるモノにすべきだ」ということで、まあ、大判はコスト的に無理なので、中判で、カラーポジで撮ることに決めた。
そのころは、二眼レフがその使命を終えて間もない時期なので、中古が安くていっぱいあった。その中でも、いちばんコストパフォーマンスがいいミノルタオートコードを買った。
これは、軽いし、なかなかレンズもシャープだしよかったのだが、大きな問題があった。レンズが75mmという広角系なのだ。ただでさえ長い列車を撮る鉄道写真には、広角系は禁物だ。ということで、鉄道写真向きの準望遠が使える中判カメラが欲しくなった。そこで、レンズ交換式の中判一眼レフの中でも、まあなんとか手のとどくブロニカS2を買った。
おかげで、質はともかく、カラーポジの写真は、確実に写せるようになった。
煩悩 その103
ニコン MF一眼レフ
実はここから先のハナシは、さらに時代がぜんぜん違う。会社に入ってから、すなわち1980年代のハナシだ。おまけのおまけで、今持ってるカメラのハナシになる。
さて、会社に入ると、会社にいくだけで金がもらえる。会社にいるだけで残業料がつく。ほんとに管理が甘くていい時代であった。電通は今とは違い、基本的にヒマな会社だったのだ。
そうすると、いろんなモノが買える、楽器、オーディオ、その他いままで欲しかったモノが楽々買える。特にいつもポケットに入っている金が、ひとけた増えたのがいい。
さて、しばし写真から遠ざかっていたぼくだったが、なんか、旅行かなんかいくんでカメラが必要になった。特にSR-T101の件以来、35mmのちゃんとしたカメラはなかったので、この際なんか買おうかと思った。
昔とった杵柄で、銀座・新橋に中古カメラ屋が多いのは知っていたので、ひとまず覗いてみた。するとどうだろう、状態こそよくなかったが、かつてのあこがれ、Nikon F2の中古が、思ったよりずっと安く、そのとき財布にあった金で買えるプライスで出ているではないか。
ということで、さっそく買ってしまった。ここに、またカメラとの縁ができた。これからは、旅行だ、冠婚葬祭だ、と、写真を撮る機会にかこつけては、レンズを、ボディーをと買うことになった。
で、けっきょく、現在手元には、ニコンMF一眼レフとしては、ボディーがF3 HP+MD-4、FE、F2の三種、レンズが24mmから400mmまで9本揃ってしまった。もちろん、現役だ。
煩悩 その104
オリンパス OM-10・ペンタックス オート110
一回足を洗ったはずなのに、マニアのサガか、こりだすとどうにもとまらない。困ったものだ。ということで、カメラも、またこってしまった。こうなると、海外旅行とかでもコンパクトカメラではなく、もうちょっとちゃんとしたのが欲しい。
ということで、本筋とは別に、衝動買いできる範囲でかえる中古カメラで、コンパクトなヤツを、「いざとなったら、向こうでお土産にすればいいから」とか、自分で自分にいいわけして、買って持ってくのが習慣になった。
そういう経緯で購入して、なんのことはない、「自分の旅のお土産」になってしまったのが、この2台だ。
特にOM-10は、AE+ズームのお気楽さはどんなモノかな、という好奇心もあって購入したのだが、思ったよりも使えるのでびっくりした。これが、その後のAF、AE機に対する積極的評価につながっていく。
煩悩 その105
ミノルタ α-7000
これは、ぼくが買ったカメラではないが、手元にある。買ったのはオヤジだ。新しいものがでると買わずにはいられない、という面ではオヤジにはとてもかなわない。たまに実家にいくと、なんかオモチャがある。カメラなんかは、かなり重要なオモチャだ。というワケで、α-7000が幕を落としたAF合戦は、次々各社が新製品を出すぶん、オヤジのオモチャは増える。そうすると、前のは飽きる。
てなワケで、α-7000はぼくの手元に来た。AF一眼レフがどんなモノか、興味もあったからだ。結論は、「AFは使える」だ。AEも、シャッター優先、絞り優先、プログラムとなんでもござれになったぶん、充分使えるようになった。つまり、ある程度カメラのクセさえつかんでおけば、うまくカメラのほうをだませるので、出た目、出た距離でも8割かたOKだ。ストロボに至っては、とてもマニュアルはオートにかなわない。
これは、基本的にぼくが、カメラといえば最初からTTL測光式の一眼レフを使ってきたことと関係があるだろう。内蔵露出計のクセをどうだまして適正露出を読み取るかとか、どうやってピントを合わせにくい状況でピント合わせをするか、といったノウハウは、そのままAEAFカメラを思い通りコントロールするテクニックと同じだ。
ということで、ぼくはフルオート大賛成だ。
煩悩 その106
ライカ
そういうわけでライカだ。これももともとオヤジのだった。このライカ、機種はIII とM3だ。レンズがそれぞれ標準しかないのが残念だが、これには理由がある。この二台は、伝世品、しかもワンオーナー、つまりオヤジが新品で買ったものなのだ。そして当時は、とても交換レンズまで手が回る代物ではなかった。
IIIcは、戦前もの、ナチス時代のドイツ製である。オヤジが海軍の軍医になって、ベトナムのサイゴン駐留になるとき、日本で買って持ってったんだそうである。戦前から日本にあるブツはけっこう珍しいと思う。
M3は戦後も戦後、まだ海外渡航とか自由にできない頃、公費出張かなんかでビザがおりたときに、闇ドルをもっていって香港で買ったものだそうだ。
そういう理由なので、ときどき出して磨き、カラ撮りしている。個人的にはレンジファインダーというのは、どうも構図が決められなくて苦手なのが残念である。
しかし、ここまで書いてきて、このシリーズけっこうオヤジが話題にでてきていることに気がついた。彼もなかなかマニアックなのである。もう74になるのだが、最近は自分の会社をやっている。そういえば、このごろMacにはまってて、自分のデスクの上にシステムをおいている。あうたびに、周辺機器を捜して買ってきてくれとか、ソフトをインストールしてくれとか、けっこううるさい。やはり、なんらかの関係はあるのであろうか。
煩悩 その107
ハッセルブラッド500c
ここまでくると、もう「をたく自慢」も最後なので、この勢いで、今家にあるカメラ、全部いってしまおう。ということで、ハッセルだ。マニアなら一度はあこがれるカメラだが、この由来がをたくっぽい。
最初、このカメラはボディーというか、鏡箱部しかなかった。知合いから、余っていたMac用の外付けハードディスクと交換にもらってきたのである。当時はハードディスクもまだ値段があったし、ハッセルも昔の「c」なので相場は安いし、それになによりどちらも当面使う予定がないあまりものだったから、これはこれでよかったのである。
しかし、レンズも、フイルムバックもないボディー部というのは、なんににも役に立たない。役に立たないばかりか、みてると、ちゃんとしたカメラにして写真を写したくなってしまうではないか。
ここが落し穴である。ハッセルの場合、ボディーというのは相対的に安い部分なのだ。レンズはシャッターつきなので高い。フイルムバックも、どんな古いのでも現役で使えるぶん、中古でも安くならない。ということで、一年ぐらいかけて、まずは安い80mmf2.8レンズとフイルムバックをさがした。
まあ、さすがは本物のプラナーである。しかし、描写にクセがある。解像度はとても高いのだが、日本製レンズのように、コントラストで解像度を出す描写ではないのだ。極端にいうと、スミ版をうすくしたカラー印刷みたいな感じだ。だから、ブツ撮りにはむかない。
やはりポートレートで真価を発揮するレンズのようだ。あと、けっこうフィルムとの相性がストレートにでるのも、「色で写す」レンズなるがゆえであろうか。
煩悩 その108
ニコン AF一眼レフ
さて、いよいよ煩悩も108個。ラストとなった。
ということで、ニコンはマニュアル中心という状況がしばし続いていた。当面はそれで充分満足できていたが、すこし状況がかわってきたのはここ1、2年のことだ。ぼくの周辺のいろいろなところで、写真がはやり出してしまった。
こうなると、いいかげんにできないのが悪いクセ。やはり、オート撮影も可能な現役機種で揃えたいということになる。ここまで読んでいただいたかたならすぐおわかりとは思うが、ここで何を買うかというと、どう考えてもNikon F4をおいてほかにない。
これなら、今あるマニュアルレンズ軍団もそのまま生きるし、AFレンズを買えばAF方面もOKだ。ということで、安い出物をいろいろさがして、購入したのであった。これが思えば一年前。
マズいことに、92、93年と、プライベートではあるが海外にいく機会が非常に多かった。そのたびごとに、例によって1つづつ武器を増やしてしまったのだから、こっちもけっこう揃ってしまう。けっきょくAFも、5本のズームレンズで20mmから210mmまでをカバーするようになってしまった。
そうすると、サブボディーも必要だ。ということで中古のF-801(スポットがないだけで、現行のsと比べてバカみたいに安いのでお買い得)も買ってしまった。
ああ、なんたることか。この道は、いつか来た道。
バカは死んでも直らないというが、をたぐせも、一生抜けないようだ。
(93/12)
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