模型における作品性と表現性



プラモ作って、ウェザリングやったり、ジオラマにしたりとかしないヒトって、かえってヤバいよね。作ることだけが楽しいみたいで。やっぱ、塗りで手を加えてはじめて、自分の作品になる。そんな感じですよね。

ウェザリングみたいな作業って、別にリアルに汚れを再現するというよりは、「それらしいトーンを出すことで、イマジネーションをかきたてる」ように「演出」するわけです。プラモは立体造形だけど、そこに絵画的な色調表現を加えることで、よりいきいきと、よりイメージあふれる作品になります。
ただ、説明書通りに作ったプラモは「製品」でしかありません。だけど、いろいろウェザリングなどで手を加えたプラモなら、そこで「表現したいイメージ」があるわけですから、「作品」と呼べるものになっています。
少なくとも、ウェザリングしたものは、「世界でそれ一つしかない作品」になってます。充分、そこで表現されているなにもあります。いい大人が作るんなら、やっぱりなにかを表現した作品でないと恥ずかしいと、ぼくは思うのですが。エンジニア系のヒトは、そうは思わないのでしょうか(笑)。

まあ、プラキットを正確に組み上げたり、箱絵の通りに仕上げたりするのは、どちらかというと技術の問題で、エンジニア的発想でも、それなりにまとめることはできるわけです。
でも、ウェザリングだ、ジオラマだとなると、これは、実際の情景や、実際の機関車や戦車の色カタチを、どういうイメージでとらえているかによって、リアルにも、めちゃくちゃにもなるわけです。まさに、絵心や、造形心があるかないかで、できるものが大きく変わってきてしまうのです。

模型少年には二つの流れがあって、技術者的関心から「構造」中心で興味を持っているヒトと、芸術的関心から「造形」中心で興味を持っているヒトと、両方います。模型マニアだったデザイナーっていうのも、けっこう多いんですよ。
もちろん、それぞれの人間の中では、この二つの要素が微妙に交ざっているのが実際でしょう。たとえば、鉄道模型でいえば、「鉄道模型趣味」は「構造」主義、「とれいん」は「造形」主義が強く感じられます。しかし、「鉄道模型趣味」の昔の執筆人の中でも、たとえば中尾豊氏なとは、もともと工業デザイナーだけに、TMSの中では、異彩を放っていた感があります。

たとえば鉄道模型でいえば、地域差をどう表現するかというのも、このあたりのセンスが強くでてきます。同じ9600でも北海道の炭坑と九州のものでは「色」が違うのです。
理由を考えれば、泥の混じった雪が付着するとか、水が硬水か軟水かとか、組合が強くてメンテが悪いとか、いろいろあるんでしょうが、とにかく見た目が違うんですよね。雪国育ちの人と、南国育ちの人みたいに。
だから、それをウマく表現できれば、マニアでないヒトがみても、「あ、北海道っぽい」とか、「九州っぽい」とか、その模型をみてわかると思う。これが、ウェザリングの表現のスゴいところ。
門鉄デフがついている、とか、デフが切り詰めてあるとか、そういう構造に関する違いでは、SLに詳しいヒトはわかるけど、普通のヒトには、通じません。

実物を、そのまま縮尺しても、作品としての模型にはなりません。そのまま、機械的に縮尺したのでは、全然実感がでません。実物では、同じ直径のパイプであっても、心理的な見えかたを活かして、縮尺より太め、細めとか、選ばなくちゃ、模型としてのリアリティーはでてきませんよ。そのくらい、スクラッチでスケールモデル作った経験のあるヒトなら、誰でもわかると思います。清刷りでのロゴでは、大きさによって、画の太さとか跳ねの大きさとか変えてあるようなものです。
同じコトですが、ウェザリングはもっと大変で、自分の心象風景の中にある機関車を、どう立体造形である模型の中に表現してゆくか、というところにカギがあります。ここで大事なのは、いつどこで、どういう場面でみた心象風景かというのが明確でなきゃ意味がないということ。
なんで、模型を作りたくなるのか、という動機から考えてください。旅行に行って、いい景色を見て、絵を描きたくなったり、旅情の思い出から、和歌とか作りたくなったりするのと、全く同じでなんです。

そもそもぼくは、そういう意味では純粋表現主義者なんです。当然、現代アートは大好きです。というより、イメージを表現するのに具体的な「カタチ」はいらないワケで、へんにモノのカタチが介在する具象画より、ストレートに「気持ち」だけが表現されているモノのほうが楽しいです。作者との間で、テレパシーみたいな感じでコミュニケーションできるから。

当然、現代音楽も好きです。第二次大戦後の現代音楽だと、多少「考えオチ」が多すぎる気もしますが、19世紀末から、20世紀初頭の、現代音楽の出はじめのころのモノはよく聞きます。この時代は、音でイメージを表現するということが、何よりも新鮮だった時代だけに、アイディアとしても豊富ですよね。ストラビンスキーとか、ネタにつまったときとかも、パクりという意味じゃなくて、発想の原点を見直すヒントにあふれてます。

模型についても、やっぱりこういう自分のルーツがでてきちゃってるんでしょうね。

まあ、こういう問題は、建築学科における、建築家とエンジニアの摩擦とか、いろいろなところで出てくるコトは確かですね。高度成長期の「大量生産・大量消費」のもの作りなら、確かにエンジニアだけでできたけど、これからの時代にいかに消費者の心をつかむ製品を作るかなんてところでも、この問題は関わってくるでしょう。
ぼくの場合、建築とか工業デザインやりたくて学校入ったんだけど、けっきょく、やりたいことができる学科がなかったんで、理系から足洗ったという「過去」があるんで、なおさらコダわったりするところです。
まあ、日芸とかいけば、かなり近い線の学科はあったワケだけど、当時の情報の少ない高校生に、そんなコトがわかるわけはないし、心のトラウマ、自分の原点として譲れないところではあります。


(94/12)



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