サリン事件とハッカー精神



世をにぎわしている「サリン事件」だが、ぼくにはどうにも最初から、動機の根本的なところで、「ハッカー的発想」が見えてしまって、気になっている。

ハッカー的発想といえば、ある分野について「技術」を持ってる人間が、

1.自分は、その「技術」を持っているぶん、人より優れた能力を持つ
2.だから、自分はエリートであり、その能力を行使する権利を持つ
3.したがって、技術的に可能なことは何をしてもいい

という論法で、「技術的には可能でも、社会的には制約がある」ことをやってもいいんだと、自己正当化する発想である。

あるコンピュータにアクセスできたなら、そのアクセスしたユーザレベルでできることは何をやってもいい、というのがコンピュータハッカーだが、自分はサリンを作る能力を持っているから、サリンをばらまいていい、という考えが、今回のサリン犯の心理の底にある気がしてならない。

しかし問題なのは、この「ハッカー精神」が、実は人が技術者を目指す根本的な動機と、極めて近く、一卵性双生児のようなものである点だ。技術と自分の人格の同一化といえばいのだろうか。この関係はちょうど、学問的探求心と、「をたく精神」とが、同じ穴のムジナであるのと似ている。したがって、来年あたり、勘違いして、「化学を学べば、自分が権力を握れる」なんて思って、化学科を志望する学生が増えそうな気がして恐い。

で、何でこんなことを思ったかというと、技術ってものはどこかに社会的歯止めがないと、そもそも自己目的的に暴走する性質を内在してるんじゃないかって気がしたからだ。
巷では、事件はオウム真理教によって引き起こされたと喧伝されている。もしそうだとすれば恐いのは、教祖がすべてを指示してやったというより、ちょうど教祖が戦前の軍部にとっての天皇の名前のようになっている感じがする点だ。教祖直結で優遇されてきた技術者が、教祖様の名前を以て何かやるぶんには誰も歯止めがかけられなくなり、技術的興味のおもむくまま、どんどんエスカレートしていったという面が事件の裏にはあるだろう。技術が独り歩きする恐さというべきだろうか。731部隊の毒ガス人体実験や虐殺なども、きっと今回の事件と同じモチベーションから生まれたものではないだろうか。

日本人というのは、基本的に気が小さいワリに、狡くて傲慢な民族だ。だから自分が責任を取るとなると、たちまちいい子になる。その半面、なんかの権威をカサに借りると、たちまち横暴と独善の限りを尽くす。これは、小心者で、人間の器の小さい人ほど顕著だ。だから、心の貧しい人ほど差別的になる。たとえば、太平洋戦争でアジアを侵略したとき、うっぷんを晴らすかのごとく、殺戮と略奪を繰り返したのもこういうモチベーションだ。

日本人にとって天皇が必要だったわけもこれだ。軍部は、自分が無責任になる免罪符、暴走しても罪を問われない、錦の御旗として天皇を「逃げ」のために使った。天皇に忠誠を尽くすようなふりをして、実は天皇のご聖意を踏みにじるもっとも醜い裏切りをする。これなど、日本人の狡猾さ醜悪さの象徴といえるだろう。本当に天皇陛下を深く敬愛している人からみれば、許し難い暴挙だ。軍部が自己目的的に暴走し、暴虐と侵略の限りを尽くした戦争が、天皇陛下がはじめて自ら下したご聖断によって終結できたというのは、いかにも象徴的だ。

そもそも宗教に頼ろうという人は、自分一人ではどうにも生きいけない小心者だ。こういう人が錦の御旗を手に入れてしまったらどうなるだろう。これは恐い。オウムの恐いのは、実はこういう点なのだ。

自分自身を振り返ってみても、こと技術との関わりの中で、こういう発想と無縁でいられるかというと、そんなことはない。まあ、なんと呼ばれたいかは個人の自由だけど、ぼくの中にハッカー的、クラッカー的な発想はスゴくある。というか、社会的クラッカーといってもいだろう。

社会制度のすきまを見つけては、抜け穴を考える。これで40年近くやってきたわけで、「社会の役に立つ技術者」なんて、ぼくにしてみりゃばかばかしくて相手にできない。もともと、法律とか、社会とかいうのは、最初システムを作った人以上に、発想が柔らかくて、回転が早い人なら、いくらでも抜け穴は見つけられるし、それをやるから社会は進歩する。脱法行為をして得するために、法律はある。抜け穴を見つけるから、ニュービジネスのビジネスチャンスがある。

コンピュータだって同じこと。コンピュータにデータを入れた日から、どうやったってセキュリティーなんて守られるわけないんだから、入れた側のリスクで対応すべきだ。
たとえば、銀行のオンラインにしても、金と技術の限りをつくしてセキュリティーを高めるより、保険かけるなり、引き当て金制度を作るなりして、ある程度盗られてもかまわないような仕組みにしたほうが、社会的コストはずっと少なくてすむわけだし、「その技術」がある人は得するわけだし、ずっといいと思うけどね。

このように、こと技術に関しては、タテマエを語ったり、いい子になったのでは済まない部分があることを、今度の事件は語ってくれたのではないだろうか。


(95/3/30)



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