ノンリニア編集と音楽の質




音楽やってるヒトに、オーディオマニアってけっこう少ない。もちろんそういう人もいるけど、聴くのはラジカセで充分みたいな連中のほうが多い。ミュージシャンって、音そのものには関心がなくて、音波の向こう側にある気合いとか、グルーブ感とか、そういうところへじかに心が飛んじゃうのね。ハイファイのスカな演奏より、ローファイでも濃い演奏がいい。だから、楽器系の機材って設計思想が違うんだよね。オーディオ系のと。音の良し悪しより、気合いのダイナミックレンジを重視する。

それと同じで、ポストプロで「作った」音って、小綺麗にできても音楽としてダメなのね。死んでる。で、いじれるとなると、どうしてもいじりすぎて殺しちゃうし、それなら最初からいじれないほうがいいんでないの、ってはなし。カセットテープの8chMTRで、ローファイで録った「いいプレイ」のほうが、スゴいデジタル機材で「作った」音より全然良い、ってこともよくあります。これなんかもいじれない分、ストレートに気合いが出てきやすい例ですね。

実際の制作作業じゃ、まあ予算と締切があるから、理想は追えないわけで、あるレベルで手連手管の作業でまとめる必要があるのだろうけど、全部が全部「まとめた」作品じゃつまらないよね。この辺わかってるプロデューサーほど、多少のミスがあるけど全体としての表現がスゴいプレイには、修正せずにそのままOKだすよね。ミュージシャンのほうが、「それでいいならいいや」ってふんぎりきれるような感じで。セルフプロデュースはここが難しい。だから、ジミー・ペイジとかは、「ソロは3テイクまで」とか自分で決めちゃってやってたらしいけど。まあ、ミュージシャンでも、アーチスト系と職人系で感じかたは違うとは思うけど。

ここで言いたいのは単純な話で、「ノンリニアだと、微修正がしやすいので、ついそれに頼って小綺麗にまとめがちになるけど、そういう演奏は作り物で、演奏のグルーブ感・躍動感・臨場感が損なわれる」ということです。いい音、小綺麗な音、まとまりのいい音、が音楽的な価値を持つわけではなくて、もっと違うところに「演奏」の価値を決める要素があるんですよね。

日本のスタジオのエンジニアと、海外のエンジニアの差は、これを身をもって理解してるかどうかですね。ユーザインターフェースや、デジタル・アナログは、どっちでも構いません。そんなに違いはないと思います。どちらかというと好みの問題でしょうか。
音楽の例は、実際に楽器をプレイする表現者しか通じにくい感じもしますが、例えていえば、

「ノンリニア編集を使えば、アフレコのセリフを切り刻んで、まったく別のセリフをいわせるような編集もできるけど、それは役者からすると許せない暴挙だし、本来生で読んだモノと比べて表現力が劣るものになる」

ということです。これならわかりやすいかな。

さて、MIDIです。MIDIも、音のタイミングや強さなどをコントロールしたり、切ったり貼ったりが自由にできる、という点ではノンリニアと全く同じと思う人がいるかもしれません。実は、打ち込みも「奏く」モノなんですよね。どういう音を出したいか、イメージがあってデータを打ち込む人と、観念的な理屈のシミュレーションだけでデータを打ち込む人との間では、鳴る音に雲泥のノリの差がでてくるんですね。
音楽的クリエーティビティーがある人なら、たとえば、ハイハットの音を全て8分ジャストで等間隔に打ち込み、ヴェロシティーも、8おきに、0、8、16、24、32、40、48、56、64、72、80、88、96、104、112、120、127と16段階しか使わなくても、体が動き出すようなノリを出せます。そういう「センス」の無い人は、ベロシティー127段階全部使おうが、1/480づつタイミングをずらそうが、ココチよいグルーブは生み出せません。

結局、音楽(に限らず表現は全てそうだけど)においては、

    「センス・クリエーティビティーの有無」

が、作品の「活き」を決めちゃうんですよ。

で、こういうセンスを持っている人が微修正する分には、いわばフォトグラファーとしてのアーティスティックなセンスを持ってる人がフォトショップ使ってポジの修正するのと同じで、それほど持ち味が損なわれることもないし、別の持ち味が加わることだってあると思います。

ただ、音楽的センス持ってる人にとっては、

    「奏き直したほうが速い」

わけで、それでノンリニアの微修正みたいな姑息なのは、体質的に受け付けないんだと思います。

少なくとも、アメリカやイギリスのレコーディングエンジニアやミキサー、場合によってはリミックスやるDJなんかも、こういう音楽的センスに恵まれている人が多く、それがプアな機材でも、個性的な音作りにつながってます。実際、ミキサー出身で名プロデューサーになったヒトも多いし。でも日本では、単なる技術職人で、音楽的センスの「お」の字もないヒト(某スタジオには、機器操作技術はスゴいけど、小節のアタマが取れない名エンジニアも昔いた)が多すぎますよ。

もっとも、音楽でもクラシックとかでは、プレイヤーでありながら、単なる技術職人で、何を奏きたいか、何を表現したいかが皆無という輩がおおいのも日本の嘆かわしい状況ですが。あまり海外がどうこうというのは好きではないんだけど、すくなくともクラシックにおいてはヨーロッパの名プレーヤーの表現力はスゴいよね。まるでロックのギタリストみたいに、ガンガンに自己主張してくる。ああいうのを聴いてると、クラシックファンも増えると思うんだけどねぇ。


(97/06)



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