ドリカムとパクり





そう、いくらヒットして人気者になったからといっても、パクりについてはドリカムは許せません。推測だけでモノを言うのはヤバいので調べたのですが、彼らに極めて近いミュージシャンに確かめても、明らかにオリジナルを意識して作っているそうなので、はっきり言います。彼らは、意図的にパクっています。これは、クロです。著作権上パクりが黒になるには、「もとの曲を知っていたこと」と「もとの曲を意識的にパクったこと」の二要素が立証される必要がありますが、どちらも堂々のクリア(笑)。

「決戦は金曜日」は有名ですね。この曲は、まんまシェリル・リンの、"Got to be Real"(Emotionsの"Best of my Love"と並んで、世界でもっともパクられた曲)です。ちなみに、"Got to be Real"のパクりかどうかの見分け方は、ベースがF→E→Aと進むEのところのコードが、Em7かE7か(E7がクロ、正確にはE7b9なのでこれを使ってたらモラル委員会)というのが、ぼくの長年の判定法です。おまけにフェイクのところでは、唄い方までマネして。こりゃもうジョークじゃ済まないレベルですね。クロ、クロ。

普通、そういう曲なら、なるべく唄いかたをオリジナルから遠ざけるのが、オリジナリティーというものじゃないですか。吉田美和さんは自分らしい、独自の唄いかたもちゃんとできる人です。それがあれでは、ちょっとまずいですよ。今20そこそこのコが、再発でアースとか聞いて、新鮮に感じて「ついまねしちゃう」なら、同情の範囲も(道義的なものはさておいて)ないわけではないけど、彼らリアルタイムで聞いてる上に、バンドでそういう曲のコピーとかやってたときては、こりゃあかん。もうアースが好きだとか、ファンだとか言うレベルを通り越してますよ。言い訳無用。好きなのはいいけど、それで金もうけちゃいけないよね。

おまけに一曲だけじゃない。どの曲にもネタがある。こりゃヤバいですね。ドリカムとかあまり興味がないので、ヒットしてFMとかでかかる曲の範囲しか知りませんが、いま30代で、70年代末から80年代初めにブラコンファンだった人なら、メロディー、アレンジ、リズムパターン、唄いかた、それぞれオリジナルの曲を指摘できるんじゃないかな。

それにもっと言うと、これらの曲がリアルタイムではやった時期って、日本では著作権意識が低くて、こういうブラコンナンバーを中心に、AORとか、パクりが全盛期だった時期(「パクりネタのない曲がない」といわれたパクりの王者林哲司氏とか大活躍)で、そのころみんなが必死にパクったネタってのがあって、ドリカムもそれをよく使うんですよねネタとして。まあ、最近は守備範囲が広がって、ビートルズ(愛こそはすべて)なんてのも使って大ヒット当てたけど(笑)。

そもそも、表面的にブラックミュージックっぽいアレンジとかリズムとか使うって発想が、自分たちのオリジナルミュージックを作ろうという発想とは逆の方向にベクトルを向かわせがちですよね。所詮は、黒人音楽の「マネ」なんだから、いいじゃないかってね。でもこの発想は危険ですよ。でも最近またこの病が蔓延してる。

こと、パクり音楽の事情についていうならば、バブル期というか、80年代の後半は、比較的状況が良かった。バンドブームとかもあって、「器用でパクり」よりは、「勢いとオリジナリティーがあれば」という傾向が強かったから。ネタがある場合も、「ギャグ」とか「パロディー」とかにしなくてはゆるされないような傾向があったし……。

で、90年代に入ってくると、自分でものをクリエイトするという発想がない若者がどっと登場して、CDの銘盤再発、往年のビッグアーティストの復活、等も相まって、彼らが昔の「いい曲」に接して、これをそのままいただく傾向がまたでてきた。

音楽のクリエイターではなく、基本的には消費者にすぎないDJリミックスみたいなのが、「表現をクリエイトしている」みたいに勘違い(されるべくして)されたことも相まって、フレーズサンプリングしたのにあわせて、ラップのまねごとしてるような曲が増えると、それならば、ってんで、公然とパクりをやる輩が出てきた。ほんと困ったもんですね。まあ、これからディジタルの時代になると、「パクりなら機械でもできる」ってことになるから、オリジナリティーやクリエーティビティーのない、手先だけのヒトは淘汰されるのでしょうから、もう少しの辛抱でしょう。


(96/08)



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