世の常






小室サウンドがブームだ。ブームになると、偉そうにけなせばいいという評論家がうじゃうじゃでてくる。でもけっきょくは、ガンつけてるだけ。成功したモノを、一方的に批判したりけなしたりするのはたやすくて、誰にだってできることだけど、その内容をきちんと評価して、そこからその成功の鍵を見いだすって作業は難しい。少なくとも、成功者と同等かそれ以上の能力やセンスを持ち合わせていないとできないことだというハナシですね。

センスのないヒトには本質は見えてないし、本質が見えてないから表層的な批判になるし。でも、日本共産党にしても、日刊ゲンダイにしても、無責任で表層的な批判ってのは、大衆にウケるんだよね。これがまた。反対のための反対ってやつ。ある種のグチだよね。ストレスのはけ口になってるという。だけど、これはエントロピーの問題みたいなもので、閉じた系の中でいくらごにょごにょやっても、混沌が深まるだけで、そこからは、なにも建設的な中身はでてこないんだよね。新しいモノを生み出そうとしたら、ネグエントロピーを注入しなくちゃならない。

小室氏に問題がないわけじゃないし、批判すべき点もいろいろあるだろうけど、評価すべきポイントもたくさんあるし、それがあるからあれだけヒットしてるんだしね。「つまらない音。あの氾濫、なんとかしてよ」と思ってる人も、そりゃいると思う。でもそれは、そのヒトが個人的にそう思ってるだけのこと。どっちが正しいっていう問題じゃない。そう思わない人のほうが世の中に多いから、売れてるわけで。

そりゃ、思想信条の自由があるから、どう思おうと自由だし、どう主張しようと勝手だけど、それが別に自分だけが正しくて、世の中が間違ってるということとは違うよね。逆に、他人に価値観を押しつけないからこそ、思想信条の自由が認められてる。それぞれの人にとっては、それぞれの真実があるから、それを尊重しなくちゃね。文句言ってるヒトのほうが少ないってことは、みんなそう悪くは思ってないってことじゃないの。「いいんじゃないの」と思ってる人のほうが多いってことでしょう。それでも尊重しないバカが、日本共産党だっていうことでさ。

でもって、小室氏のすごいのは、自分で自分の状況がわかって、割り切ってやってるところでしょうね。これでいつまでも稼げるとは思ってない、って自分で発言しているし、一時のユーミンみたいに、売れる間は縮小再生産でいいって、明確に商売に撤してるわけで、ここがいさぎいいところですね。本気だしてやれば、もっとすごいのが作れることは誰でもわかってるわけだし。

小室氏は、すごいオリジナリティーのあるメロディーを作る希代のソングライターと思いますよ。そういうタイプとしては、吉田拓郎以来の存在ではないかな。シンプルで親しみやすいし。まあ、フォークの伝統に乗ってますね。でもフォークって強いんですよ。メロディーとしては。みんな好きなんだよね。演歌と同じで。格好付けたい人は嫌がるけど。そこまで見極めて評価してる人も、これまた少ないけどね。角川映画の「天と地と」のサウンドトラックなんていいと思うよ。ぼく好きだし。

「売れたモノには、すべて一抹の正しさがある」。それがあるから、当ったワケだ。マーケティングマインドは、こういう目で見ることからはじまるよね。必ず、売れたモノには、ビジネスのヒントがある。これを見れないなら、競争原理と関係ない、官僚とかの視点と同じになっちゃう。これだけは避けたいものですね。


(96/05/17)



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