コミックバンドとギブソンのハコ





コミックバンドというと、楽器と縁のないヒトにとっても、「ギターはギブソンの箱モノ」っていうイメージがあるようです。そこでこの伝統はどこから生まれたか、考えてみました。これに考えるに当っては、まず日本のコミックバンドのルーツを知らなくてはいけません。それには二系統あります。業界の用語で、「ボーイズもの」と呼ばれる一派と、ジャズ系の一派です。

ボーイズものは、戦前、坊屋三郎らのコメディアンが結成した「あきれたぼういず」がルーツです。唄そのものは、明治期の演歌師以来の伝統ともいえるコミックソングでしたが、彼らは元来コメディアンなので、ステージ上で寸劇まで含めた動きのあるギャグを展開します。唄+ドタバタが彼らのスタイルです。

このため、ステージの上で自由に動けることが求められました。楽器選びもその制約を受けます。持つ楽器は基本的にクビから下げられるものでなくてはなりません。そこで、三味線とギターということになりました。戦前の時点で、ステージ上でならして音量を確保できるギターというと、アーチドトップのフルアコというのは、自然な選択です。

一方ジャズ系のものは、戦後になってから生まれました。そもそもジャズミュージシャンには独特のユーモアがある人が多いのですが、戦後進駐軍廻りをしていたジャズバンドのミュージシャンの中にも、そういうギャグ好きがいました。最初は楽屋で仲間を笑わせるネタとして使っていたモノも、段々演奏の余技としてステージで取り入れられるようになりました。すると今度は、演奏そのものより、余技としてのギャグのほうがウケを取れる人が出てきます。バンドの集合離散の中で、彼らのようなギャグに強いメンバーが収斂していって芸風が固まったものが、ジャス系のコミックバンドです。

クレージーキャッツの面々や、最後はシリアスな俳優になっちゃったフランキー堺氏などが有名ですね。彼らの場合は、もともとはマトモなジャズバンドでしたから、演奏もやらせりゃウマいし、当時のモダンジャズの標準的な楽器編成をとっているのも不思議ではありません。ということで、ギターは文句なしにフルアコです。

ここまで伝統ができると、見てるほうもそういう気がしますから、コミックバンドには偶然の結果として「コミックバンドはギブソンのハコ」という伝統ができたといってもいいでしょう。誰か特定の人間がはじめたのではないが、ルーツはみんなそこに行く、ということでしょうか。ちなみに、「ギブソン」というところは、当時もっとも(今でもそうだが)質入れして高く値がついたのがギブソンのギターで、金のあるときに買っておき、喰えなくなっても換金可能という、芸人生活の知恵が生み出したモノと考えられます。なんか、当時の芸人の宵越しの金を持たない暮らしぶりがしのばれて、面白いですね。

(97/03)



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