オラクルが好き!
自己紹介
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このページまでご覧になって頂いた皆様へ!

 趣味のようなページを最後までご覧頂き有難うございます。

 私も仕事上、アプリケーション・システムの構築を行っているのですが、最近のエンジニアのスキルの低下が気になります。 耳が痛いと思いますが、開発に時間がかかりすぎです。 解らない事をインターネットで一日中探していませんか? バグの修正依頼が良くきていませんか? 一度修正内容を紙一枚ずつに記録して枚数を数えてみて下さい。

 原因としては2つあり、1つは経営中心となった専門学校や、教育まで手が廻らなくなった企業が、基礎教育に時間がかけられていない事です。 しかし、生活が裕福になり、ハングリーさが足りなくなっていると思いませんか?

 私ができることは、これからの方へ自分の知っている事を伝えていくことです。 これからエンジニアを目指す方、またはワンランクアップを目指している、やる気のあるエンジニアの為に、このホームページを作りました。

 なにぶん私が硬派なため、オラクル、COBOL、C言語と少々偏った内容になっていますが、これからの方になんらかのお役に立てればと思っています。 何度も読み直して、是非マスターして下さい。


■名前 溝渕寛和 (みぞぶちひろかず)
わたし
■出身地 香川県
■生年月日 19641120
■血液型 O
■干支 たつ年
■星座 さそり座 (執念深い?)
■動物 コアラ  (策略家?)
■趣味 ボーリング、スキー、パチンコ、マージャン、パソコン、Play Station、仕事、考える事
最近は、仕事でパソコン、家でもパソコン。仕事と趣味の区別がついていません。
(~_~)v
■仕事 システム・デザイナー(計画, 設計, 開発, 導入, 運用, 保守), 業務アプリケーションの構築とソリューション, 開発ツール(API)の開発, Webシステムの構築, ネットワーク・セキュリティの構築,  データベース・チューニング, 教育... など ( MS-C 〜 VC++ .Net 2003, MicroFocus COBOL, Active Server Pages, VB, Oracle RDBMS R7〜9i, SQL, PL/SQL, Pro*C, Pro*COBOL, OCI, MS-DOS, Windows, Soralis )
■性格 自分では、甘い!と思っているのだが... 仕事では結構きびしいらしい。(-_-メ)
早朝から深夜まで、リゲインのCM通り24時間OKのオールラウンダー
↓下記の通りです。^^;

■好きな言葉 我々は大きな夢を持とう。夢の無いところに発展は無い。夢が我々を育ててくれる。
何事もやってできない事は無い。知恵と努力が足りないだけだ。
できると思えば何でもできる。強い自身が明日を作る。
常に固定概念を打破し、どうにかなると考えるな。どうするかを考えよう。
施策の無いところに成果は無い。常に目標を明確にし、計画を立て改良を試みよう。

■ポリシー 名を追わず実を取る
■決め台詞 晩飯買ーて来い!   (部下は、『あぁ〜あ、今日も午前様かぁ〜』と腹をくくる) (ーー;)
■得意技
完徹  昼にトラブルが発生し、そこから作戦会議を開き、そのまま徹夜モードで作業に入る。早朝になんとか片付いたが、太陽が昇っているので、そのまま通常勤務モードに戻る。

E-Mail buchi@t3.rim.or.jp


業務経歴

1981

ワードプロセッサーを開発

1982

6809CP/Mを開発

1983

工業高等専門学校を中退

 

 

1984

缶ビール工場の製造ラインにおけるダンボールシート供給装置を開発

 ダンボールシートを缶ビールラインの最終工程にあるケーサーまで工場の端から隙間をくぐり運搬するシステム、シーケンス制御担当

ダンボール製造ラインにおけるテンションコントローラを開発

 ロール紙が切れかかった際、予備のロール紙を加速しラインを止めずに紙をつなぎ合わす装置

 

 

1985

ベアリング工場向けベアリング検査装置を開発

 磁気近接センサーを使用し、ミクロン単位にて測定し完成品が規格内に入っているかチェックする装置

製鉄所向け鋳造物輸送兼自然冷却装置を開発

 1つ1トンの鋳造物(トンネルの枠)を2つトロッコに乗せ溶鉱炉から倉庫まで冷却させながら自動運搬させるシステム

 

 

1986

個人視聴率測定装置の試作機を開発

 ビデオリサーチ社の世帯視聴率に対抗し、ニールセンと提携し個人視聴率をビジネスにする為の試作機を開発

 

 

1987

四国初カードロック・ホテルシステムを開発

 カードキーにてコピー,FAX,ワープロも利用できるOAコントローラを開発

柔整師向けレセプト発行システムを開発

 SORDPIPS4G自体をカストマイズし、PIPS内部の言語にてシステムを構築

 

 

1988

リゾート向け防災監視システムを構築

 CATVラインを利用し100ヶ所のコテージからの発報信号を2ヶ所の防災監視センターのパネルに状態を表示する

基幹業務システムのエントリー部分を中心に、パソコンにてアプリケーション開発

 東芝よりJ-3100というラップトップパソコンが発売され、オフコンにて構築される基幹システムをパソコンにて補う

 

 

1989

東芝系ISVに入社

C言語向けCOBOLライクなサブルーチン集を開発

 COBOLSEが作成した仕様書よりCプログラマがアプリケーションを開発できるようにしたサブルーチン集

東京営業所の開設

JTB向けトリップスシステムの端末エミュレータを開発

 

 

1990

セメント業向け生コン配合システムを開発

 IBM OS/2+プレゼンテーションマネージャー上にて動作するアプリケーションの開発

セメント業向けALC合板のCAD積算システムを開発

 Unix上にて動作する東芝製CAD Anvil-1000上の言語とFORTRANにて開発

 

 

1991

アパレル向け店舗在庫管理システムを構築

 全国50店舗をVANISDNDチャンネルを利用してネットワークを結ぶシステム

コイルセンター向け板取計算システムを開発

 20億通りの中から歩留まりが最適な組合せの候補を計算し、加工指示書を発行するシステム

 

 

1992

オフコン資産をパソコン(DOS/V,Windows3.1)移行するツールを開発

 COBOL言語をC言語に変換することにて、基幹システムをすべてパソコン上にて動作を可能とした

パソコン(Windows3.1)販売管理システムを開発

 上記移行ツールにてオフコンの業務システムを移行し、スタンドアローン版とNetware版を開発、50セット販売

 

 

1993

主任に昇格

ブラウン管工場における蛍光体洗浄ラインを構築

 

 

1994

オフコン資産をUNIX(Solaris)移行するツールを開発

板金屋向け見積システムを開発

 ペンPCを利用しキーボードを使用せずペンにて商品の選択と手書き入力のみで見積書を作成できるシステム

 

 

1995

課長代理に昇格

アパレル向け店舗在庫管理システムの稼動店舗が1,000店舗を超える

 

 

1996

アパレル向けデータ・ギャザリングシステムを開発

 全国1,000店舗から送られてくるデータをホストコンピュータ2台が6時間かけていた処理を各店舗10秒に改善

 

 

1997

本社に異動。課長に昇格

Oracleデータベース教育を担当 (開発、設計、チューニング、セミナー)

 オープンシステムの開発において、ISAMからRDBへ開発をシフトする為、全技術者を教育

 

 

1998

大規模システムのデータベース・チューニング

 アパレル会社の基幹システムをOracleへ移行し、70時間かかる月次更新を1時間に短縮

 

 

1999

アパレル向け店舗管理システムをスーパーコンピュータに移行

 オフコンCOBOLの基幹システムをオープンシステム(UNIX:22CPU,3億レコード+WindowsNT)へ移行

 

 

2000

第二種電気通信事業者としてeBusiness事業部を開設しISP,ASP事業を展開

 インフラ、レンタルサーバ、自社サーバ構築、ネットワークセキュリティ構築支援サービス

商店街のインターネット環境整備として無線LANシステムを構築

 商店街のアーケード内に無線LAN親機を10機取り付け、各個店にてインターネットを可能にする、+Webカメラ4台

 

 

2001

Oracle入門書『やさしくわかるSQL』を出版

 これからの技術者(新入社員)向けに、Oracleの入門書を執筆

臨床検査センター向けWebシステムを構築

 2億件を越す臨床検査データをWeb,FAX,携帯電話より検査報告書を配信するシステム

 

 

2002

パッケージ事業を兼任

実行環境にインストールを不要とする統合開発環境を開発

 VBにて開発するアプリケーションを実行するには複数のソフトをインストールする必要があり不安定をまねき
 運用コストがかかる、その不安定さ
,パフォーマンス,開発コスト,運用コストを解消

 

 

2003

簡単販売管理パッケージの開発

 お客様がご利用の伝票を、そのまま表示、そのまま入力、そのまま印刷をコンセプトとしたシステム

プログラムを修正することなくアプリケーションをカストマイズするツールを開発

 入力,帳票プログラムから位置、型、桁を独立させ、ユーザにてアプリケーションをカストマイズ可能にするツール

 

 

2004

会社を退社

 



Hirokazu's History


1964
瀬戸大橋が架かっている四国の香川県に、生まれる。

1973年(小4)
小学校で初めて写真クラブに入る。学校に暗室が1つしかないため、新米の私はいつも最後になり、学校から帰るのがいつも9時を過ぎるようになる。学校の帰りに屋上を見上げると天文クラブの人たちが観測するため集まっている懐中電灯の光が気になっていた。

1974年(小5)
天文クラブに入る。やっとあの光の1人に参加ができた。しかし、学校から帰るのが11時になりだした。天体観測のため天体望遠鏡を買ってもらう。このころからルーズ+凝り性で、赤道儀には自動追尾装置を付ける。すべての星を手放しでずっと見続けれるようになった。しかし夜は寒いため電池がすぐにダメになり電池代に困る。

1975年(小6)
写真クラブの基礎が役立ち、天体写真を取り出す。天体写真は1つの写真を撮るのに3時間ぐらいかかった。天体写真を撮る時、暇で寂しいので深夜ラジオを聞くようになった。(クーガー2200って知ってますか?)

1976年(中1)
中学校に入学。 (実は、幼稚園・小学校・中学校と附属です。)
中学校では、テニスクラブ、天文クラブ、数学クラブの3つに入る。しかし、クラブ活動をやって家に帰っても深夜ラジオ(BCL)を毎日深夜の3時(オールナイトニッポンの第一部が終わる時刻)まで聞く生活。
ロマンを求め流れ星を見ていると、年に1日ものすごく流星が降る日があることを知り、瀬戸内流星会に所属し、流星の研究をはじめる。(専門はペルセウス座流星群。母彗星はスイフトタットル彗星。)

1977年(中2)
ラジオに凝り、ベリカードを集め出す。ラジオの受信状態が太陽に影響していることを知り、学校で太陽黒点の研究を始める。そして月刊誌『かがやき』を校内で出す。
とうとうラジオを作りたくエレクトロニクスに目覚める。最初はラジオの製作から、IC, LSIを使ったものを作り出す。部品代で小遣いが足りなくなる。(愛読書はラ製とトラ技)

1978年(中3)
太陽の研究を続けた結果、科学体験発表の四国大会へ出る。
扱うICLSIからマイクロプロセッサまでいってしまった。マイコンというものに目覚めて、情報処理クラブに入る。主流は紙テープ、マイコンはTRS-80, PET, APPLEIIなどの時代。

1979年(高1)
当然、工業高等専門学校の電気科に入学。  (幼稚園から高校まで国立になってしまった。)
高校では、情報処理クラブ、アマチュア無線クラブ、テニスクラブ、天文クラブに入る。授業は中型(HITAC-8250)でFORTRAN、家ではマイコンでBASICを覚える。
プログラムはカセットテープに300bpsでLOAD/SAVEする時代なのだが、途中カセットレコーダが故障し修理に出すと、『こんなにテープのヘッドが消耗しているのは始めて見た』と電気屋に言われた。

1980年(高2)
家のマイコンがモトローラ系(ベーシックマスター)だったため、雑誌のプログラムがそのまま入力しても動作せず、移植するようになった。おかげでBASICからIntel 8080, Zailog Z80, Motorlola 6809のアセンブラをするようななった。学校の中型でもアセンブラをするようになった。

1981年(高3)
世の中のフロッピーが1Sから2Dに変わり、すぐ2連のフロッピー装置を購入。しかし、Z80の友達はCP/M(現在のMS-DOSの原形になったOS)を使い出したのに、私は6809なのでできなかった(OS-9は高くて1人で買えなかった)。
バイト先でワープロ(OASYS 200)というものにはまった!ほしくてたまらないけど超高価。とうとう作ってしまった。プリンタは8ドット(EPSON MP-80)の時代だった。

1982年(高4)
とうとう、6809版のCP/Mを作ってしまった!(Z80のソフトはすべて動作するようになり、Z80の人達に追いついた)。この時代にDOS, BIOS, コンパイラなどの知識を身につける。Pascal言語にはまる! (8ビット時代のCP/Mが、16ビットのCP/M86に発展し、その後MS-DOSができ、今のWindowsとなっている)
中学生時代からにエレクトロニクスをやっていたためか、先輩達の過去の卒業研究はすべてやったことがあることばかりだった。

1983
高校を辞める。次の日から高校時代にしていたバイト先の人と自営業を始める。最初はコンピュータの仕事でなく、電気工事、制御盤、シーケンサ、基盤設計だった。次第に8085を使ったワンボードで制御機を作るようになった。それからどんどんパソコン(PC-8801)の仕事をするようになった。

1989
自営業に疲れ、今の会社に入社。
半年後、東京に出る。専門はC言語でパソコンのアプリケーション開発。(当時はLattice C)

1991
MS-CWindows 3.1SPARC CX11のアプリケーションを開発し始める。→イベント駆動とアプリケションエラーに悩まされ、徹夜の日々が続く。聞く人がいないので仕事のたびに本を10冊はかって読むことになる。(バグが出る度にMicrosoftを疑っていたが、後ですべて自分のバグだといやほど思い知らされた)

1996
LAN, C/S, RDBMSの仕事に目覚める。→ぜんぜんわからないので、徹夜の日々がつづく。このころから、NIFTYなどで情報を得るようになる。
11月インターネットを始める。 → 4日目にしてホームページを作るほど、はまる!
私の独り言のページです。

1997
本社に転勤、7年半ぶりに四国に戻る。 Oracle RDBMSの教育担当になる。
お引越しのページと、さよならTOKYOのページです。

1999
とうとうSUNとCRAYが共同開発したEnterprise 10000というスーパコンピュータ(CPU×22個、HDD:2TB)にて、Oracle Serverを稼動させるプロジェクトに参加。さすがにデータ件数が億単位になってくるとプログラム1本のアプリケーションチューニングも1週間徹夜になってきた。

2000
eBusiness事業部を開く。Webサーバ?Mailサーバ?DNSサーバ?ファイヤーウォール?ポートが何だ?また徹夜の日々が始まった。

2001
Oracle RDBMSの魅力に取りつかれ、とうとう『やさしくわかるSQL』という本を執筆しました。

こんな私にお手紙下さい!buchi@t3.rim.or.jp

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