Andy Summers
< guitar, vocal >

 
 
 
 
 
本名:
アンドリュー・ジェームス・ソマーズ
Andrew James Sommers
生年月日:
1942年12月31日 (山羊座)
出身地:
Poulton-le-Fylde, Lancashire, England
身長:
167cm
趣味:
カメラ、絵画

 
 

●ポリスまでの歩み●
 
彼の父親は戦後英国空軍を辞め、ボーンマウスの南の落ち着いたリゾート・ビーチにレストランを開いていた。そこでアンディは少年時代を過ごし、やがてギターやピアノの演奏にとりつかれていった。
17才で学校を出た彼は、ミュージック・ショップで働き始め、ボーンマウスのブルー・ノート・ジャズ・クラブで始めて人前で演奏した。その頃トラディショナルな存在であった二つのヘッドライン・バンドの幕間を務めたのだ。又、彼はそこで音楽を通 じての親友、ハモンド・オルガン奏者ズート・マネーと知り合う。元々二人は学生時代に顔を合わせたことがあった。彼等は、その後数年間共に活動をしていくことになる。1961年彼等がR&Bバンドとしてその名を轟かせ始める少し前のことだ。当時アンディはブルー・ノート系のジャズを演奏し、海沿いの大きなホテルに滞在しながら生計を立てていた。
 63年、ちょうどビートルズがリバプールから爆発的に登場した頃、ズートはロンドンでブリティッシュ・ブルースの導師アレクシス・コーナーと共演する仕事を見つけた。そしてアンディも彼自身のキャリアを確立すべく、ロンドンへ向かうことを決意した。その後、彼等はズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドとしてデビューを飾る。彼等の出発点は、フラミンゴというクラブのハウス・バンド。ジョージー・フェイム&ザ・ブルー・フレイムスが務めていた役目を引き継ぐ形でのスタートだった。彼等は平均して1週間に10以上のギグを行い、そのギャラは一晩400ポンドのこともあった。実際かなりのお金にはなったが、唯一のヒット・シングル「ビッグ・タイム・オペレーター」を除いて何故か栄光というものに見放されていた(そのキャリアのハイライトは、パリでジェームス・ブラウンと共演した時のことだろう。パフォーマンスの途中で、ズートのズボンがエリック・バードンに引きずり下ろされるというハプニングがあった。アンディが上手く“大事”になるのを避けたため、彼等のギャラは倍になったという)。サイケデリック・マーケットに適当な居場所を見つけようと苦闘し、67年「サージェント・ペパー」の年に、ビッグ・ロール・バンドはダンタライオンズ・チャリオットへと改名した。宇宙的な哲学思想と、ストロボ・ライト、そして心地よい音楽。それでも、やはりレコードは売れなかった。アンディ・サマーズの10年間に及ぶ着実な音楽生活の流れが途切れたのはこの時だった。
    
 68年、12ヶ月も経たないうちにチャリオットは解散。その後アヴァンギャルドなグループ、ソフト・マシーンに加わったが、3ヶ月間ツアーに同行した後に脱退。再びズートと同行し、ロサンゼルスを拠点としたエリック・バートンのニュー・アニマルズに参加。しかしシンガーが俳優を目指すという理由で、これも解散。アンディはこれを機会にもう一度音楽を学習しようと考えた。その頃わずか5ドルを持ってカルフォルニアの歌手ロビン・レーン(右写 真)と結婚。ノースリッジ大学で、クラシック・ギターを3年間学ぶ。自らもギターを教えることで、その日暮しをする位 はなんとか稼いだ。


 やがて結婚生活も終焉を迎え、アンディはそれまで経験したことがなかった様な絶望の淵に立たされた。どうせ起きても仕方ないとばかり、全然ベッドから出ずに一週間過ごす、そんな最低の日々もあったと、彼は語っている。しかし、最後にはエレクトリック・ギターを手にもう一度やり直そうと固く決心した。「多くの場面 をくぐり抜けてきた。華やかな日々もあった。ミュージシャン達が次々と脱落し、醜い状況に落ちぶれていったりするのも見てきた。正に大虐殺。恐ろしい光景だった。でも僕にはプレイする腕がある。絶対成功してやろうという強靭なエゴもあった。誰にも負けない、ずば抜けて優れたミュージシャンになりたいという気持ちが最大の力になるんだ。」


 気分一新、彼は73年にイギリスに戻った。そして、信頼できる完璧なサイド・マンとして、ミュージック・シーンにおける自らの地位 を再構築した。ティム・ローズ(モーニング・デューのメンバーとして有名)、ニール・セダカ、デヴィッド・エセックス、ケヴィン・コイン、ジョン・ロード(ディープ・パープル)、ケヴィン・エアーズ(ソフト・マシーンの創設メンバー)、エバーハート・ショーナー(ドイツの前衛作曲家)といった人達に、自分の才能を次々“貸し出して”いった。ニューキャッスル・シティ・ホールで行われた「チューブラー・ベルズ」公開演奏では、何とマイク・オールドフィールドのパートを演奏したほどだ。この時の前座をラスト・エグジットが務めていた。(アンディの記憶には殆ど残っていないようだが。)

 そして76年、クリスマス期のパーティーでマイク・ハウレットは、ストロンチウム90の話しを彼に持ちかけた。これだけのセッションをこなしながら、当時アンディはまだ満たされないものを感じていた。これ以上のものが何かあるはずだと、強く思っていたのだ。

<Message in a Boxより>









エリック・バートン&
ジ・アニマルズ











ケヴィン・エアーズ&バンド('76)
ケヴィン・エアーズ(左)
ズート・マネー(右)