Sting
< bass, vocal >

 
 
 
 
 
本名:
ゴードン・マシュー・サムナー
Gordon Matthew Sumner
生年月日:
1951年10月2日 (天秤座)
出身地:
Wallsend, Tyne & Wear, England
身長:
178cm
趣味:
読書、デジタル腕時計

 
 

●ポリスまでの歩み●
 ゴードン・マシュー・サムナーは、1951年10月2日、イギリスのタイン川沿いニューキャッスルに生まれた。彼の性格、少年時代の生活は殆ど全ての点でスチュワート・コープランドと正反対であった。4人兄弟の一番上に生まれた彼は、北東部の失業に苦しむ厳しい経済状況、そして厳しい気候の中で育った。彼の一家は、貧しいというほどではなかった。父親は牛乳屋という安定した職業に就いており、後に小さな店を持つことさえ出来た。だが家庭には常に張り詰めた空気が漂い(両親は結局離婚することになる)、彼は何とかしてそこから逃れたいという思いを強くしていった。

 普通なら学費を払わなければならないカソリックのグラマー・スクールへ奨学金を受けて通 うことになってから、彼は地元のジョーディ訛を直し、周りの仲間社会に溶け込むことに一生懸命だった。しかし、ひねくれ者だった彼は、素晴しい成績をあげて、より良い状況への突破口とするという考えには目もくれなかった様だ。学校での彼はよくある10代の反逆者だった。彼には、好対照をなすふたつの思い出がある。1年で42回の鞭打ちという開校以来の記録と、全国ジュニア100ヤード走で3位 にしかなれなかった、それで前途有望な陸上競技をあっさり辞めてしまったというものだ。彼にとっては、1位 になれなければ何も意味もないかの如く…。

 8、9才の頃、伯父の捨てたギターを拾って演奏したり、それで曲を作ってみたりするうちに、生来の音楽的才能が芽を出し始めた。ビートルズ、スタックス、タムラ/モータウン、ボブ・ディラン、セロニアス・モンク、チャーリー・ミンガス等、多種多様なアーティスト/スタイルの音楽を熱心に聴いて思春期を過ごす。初めてライブを見たバンドは、子供の頃の“ベース・ヒーロー”ジャック・ブルース(後にクリームを結成)が参加していたグラハム・ボンド・オーガニゼーション。65年のことだった。次に見たのが、たまたまアンディ・サマーズがギターで参加していた(当時のスティングに強い印象は残さなかった様だが)ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンドだった。翌年友人が最初のベースを贈ってくれた。手製の粗末なものだったけれど、これが彼とベースとの最初の出会いとなった。

 1969年、彼はイングランド中部の大学へ進む資格を得た。しかしそこは余りに刺激やインスピレーションに乏しい場所だったので、ニューキャッスルへ戻り、両親の家で1ヵ月ほどを過ごした。それから2、3年工事現場で働いてみたり、バスの車掌をしたり、税金集金人をしたり、非技能職を転々とした。1971年、遂に彼は動き出す。教員として訓練を積み、教室の、まぁステージのようだとも言える場面 を楽しんだ。ベッドルームの中でのみ機能していた彼の音楽もようやく“外”に出始めた。

 どんなジャンルも公平に、という訳で、彼はアースライズというカレッジ・ロック・バンド、そしてふたつのトラッド・ジャズ・グループに参加し、ベースを弾いた(そのうちのひとつで、黄色と黒の蜂のような縞々セーターを着ていたことから、スティング、すなわち“突き刺す”という完璧なニックネームをもらった)。又、がたがたながらも地元で愛されていた、ニューキャッスルのビッグ・バンドでもプレイした。コルトレーンからビートルズまで、悪酔いしたかの如く熱狂的に何でも弾きまくる、ゲームの様なものだった。そして遂に3人の友人とラスト・エグジットを結成した。74年のことだった。

 2年後の76年5月、ラスト・エグジットがローカル・パブの常連バンドとして活動を続けていた頃、スティングはフランシス・トマティーと結婚した。18ヶ月ほど前、ニューキャッスル・シアターのロック・ムージカルでベースを弾いている時に出会った、その頃のしていた女優だ。同年10月、最初の子供ジョーが生まれた。家庭を持って普通 ならこれで落ち着くところだが、そうはならなかった。それどころか、ラスト・エグジットと共に家族を連れてロンドンに移り、でっかいことをやるため、教員という職業さえ辞めてしまった。スチュワート・コープランドと初めて対面 する前に、例のライブは、既に“サヨナラ・ニューキャッスル”ギグとしてブッキングされていたのだ。
<Message in a Boxより>