近頃の一枚・・・ ※画像をクリックすると、元の大きさで見られます。

2024.1.1/海芝浦 2024.1.1 海芝浦
 ラッシュアワーとはまた違った趣で、この駅が最も賑わう日。初電が到着し、開いた扉からは乗客がどっと吐き出され、ある者は公園の方へ急ぎ、ある者はまず電車の写真を撮り、 そして思い思いに陣取って、その時を待つ。いよいよ、今年最初の日が昇る。
(Canon EOS R5 RF800mm/F11 IS STM)
2023.9.13/八丁畷〜尻手 2023.9.13 八丁畷〜尻手
 新しい顔の、新しい朝。21年前、昨日までの主役がやって来た時は、初日の始発から運用には入れず、ラッシュの後に出発式を催したのだったが、どうも今回そういう気配がない。 そういえば記念のマークを付ける様子もない。なんにもない。思えば置き換えは 3本のうちの 2本だけ、そんなに若返ったわけでもなければ、ドアの数も異端であって、 凡そ20年毎で続いた世代交代も、今度は案外、短いのかもしれない。
(Canon EOS R5 RF24-105mm/F4L IS USM)
2023.6.5/武蔵中原 2023.6.5 武蔵中原
 17m級以来の 3扉、209系以来の白熱灯の前照灯、しれっと復活方向幕、そしてなにげにこれが初めて下枠交差パンタ、更に使わないだろうけどトイレ付! ・・・・・等々ありつつ、新潟から長野を経て、新顔がついにやって来た。先生に呼ばれて教室へ入って行く転校生のように、ゆっくり車庫へ降りて行く・・・・・自己紹介ガンバレ。
(Canon EOS R5 RF800mm/F11 IS STM)
2023.3.27/川崎新町〜八丁畷 2023.3.27 川崎新町〜八丁畷
 早いもので、もう20年以上、ここを走っている。先日とうとう、その後釜の投入が報じられ、ただ 3本いるうちの 2本であるらしいから、今年の桜が見納めとなるのかは定かでないが、 残された日々はきっと、そう多くない。やや泥縄の感はありつつも、せめてその間は、ひとつ、ひとつ、その記憶を記録に、定着させていきたい。
(Canon EOS R5 RF100-500mm/F4.5-7.1L IS USM)
2023.1.1/羽田空港第3ターミナル〜新整備場 2023.1.1 羽田空港第3ターミナル〜新整備場
 多摩川に新しい橋が架かって、初めて迎える元旦。河岸から見るのと大して変わらないかもしれないが、日の出と諸々の位置関係を詰めるとこれが意外と違って、 何より人垣をどう避けるか腐心することもなくなったし、そして今年は初モノのめでたさ。まずは日の出を収め、お次はと目を転じれば、モノレールがギラリ。 こちらを何本か収めていると、絶妙なタイミングで到着機までやって来た。こいつぁ春から縁起がいい。
(Canon EOS R5 RF800mm/F11 IS STM)
2022.10.15/鉄道博物館 2022.10.15 鉄道博物館
 これ程、多くの人の記憶に残る 1両も、そうはないであろう。半年程前から方々でザワつきだして、遂に先月、ここに収まった。鉄道 150周年のその日にぶつけるかと思いきや、 その一連の企てが一段落してからのお披露目であるらしかったが、しかし既に今、ヴェールの中で、目の前に確かに、いる。思い出話に花咲かす、再会の日が待ち遠しい。
(Canon EOS R10 RF-S18-150mm/F3.5-6.3 IS STM)
2022.4.25/新鶴見〜尻手 2022.4.25 新鶴見(信)〜尻手
 かつての、なんでもない日常が戻りつつあるかに思えるこの頃、一日を終えようとする町で、それぞれが、それぞれに営む、そのなんでもないひと時が、 今となっては愛おしく。
(Canon EOS R5 RF100-500mm/F4.5-7.1L IS USM)
2022.1.16/京急川崎 2022.1.16 京急川崎
 通称パタパタ。これが回りだすと、「今週の第1位!」などと口を衝いてしまうのだったがそれはさておき、かつては東京駅や羽田空港なんかでもお馴染みだったのがいつの間にか、 関東ではここが最後なのだという。京急でも他の駅から消える中、ここは高架で西日が当たる為に電光式に替えられないのだ、というような説明に接した記憶があるが、 周囲でビルが建ったり、電光式も改良されたりして、運用し続ける意義を失ったということなのだろう。まだ多くはないが、報せを聞いてか「パタパタ詣で」の人が絶えない。
(Canon EOS R5 RF24-240mm/F4-6.3 IS USM)
2021.11.13/武蔵小杉〜西大井 2021.11.13 武蔵小杉〜西大井
 品鶴線。つい 41年前(笑)までは、そう呼ばれる貨物線だったが、僅かな例外は残るものの今や通るは電車列車ばかりで、特にこの区間でそう呼ぶのは、とんと聞かない気がする。 それはさておき、今日は珍しく電機がやって来て、暮れる富士と向こう岸の高層ビルと、往時の営みの記憶と。
(Canon EOS R5 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM)
2021.8.31/矢向 2021.8.31 矢向
 オリパラ英国選手のホストタウンを掲げるなり決まった延期、それから波瀾の 1年半。後々のことはさておき、どうにかこうにか乗り切って、この役目も漸く、ゴール目前。
(Canon EOS R5 SIGMA 150-600mm/F5-6.3 DG OS HSM Contemporary)
2021.7.25/東京ビッグサイト〜有明 2021.7.25 東京ビッグサイト〜有明
 おいおい真夏にやるのか、という不可解から始まり、建てようのない幻の建物、掲げたお題目もどこへやら、次々とケチがつき続き、この分ではきっと首都直下地震でトドメを刺されるに違いない、 などとぼんやり考た程だったが、疫病とは思いもつかなかった。最早この状況を終わらせることが目的と化してるように見えないでもなかったが、ともかくそれは、始まった。 さてさてどっちへ転ぶか、後に歴史上どう位置付けられるか、神ならぬ身には知る術もないが、ともかく今、同時代に生きて、目撃している。
(Canon EOS R5 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM EXTENDER EF1.4x III)
2021.6.21/新鶴見(信)〜鶴見 2021.6.21 新鶴見(信)〜鶴見
 グズグズとした空模様が続く中、今日はいわゆる五月晴れ。そういうことならとスキマ時間を拵え、カメラ片手に河原へやって来て、シルエットにはなるだろうさ程度に思っていたら、 これがまたいい塩梅の焼けっぷり。一年で最も長い日が、上機嫌に暮れていく。
(Canon EOS R5 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM)
2021.3.27/宿河原〜登戸 2021.3.27 宿河原〜登戸
 川崎市はオリパラ英国選手のホストタウンなのだそうで、昨春用意万端、ヘッドマークを掲げるも、数日にしてまさかの延期。暗雲立ち込めたこの 1年の間も掲げ続け、 そして迎える二度目の桜の季節。まだまだ予断を許さないが、仕切り直しの春となるか。
(Canon EOS R5 EF8-15mm/F4L Fisheye USM)
2021.1.3/蒲田〜川崎 2021.1.3 蒲田〜川崎
 折角の飾り付けも侘しく映る、滅入るような年明け。昭和の風情をよく残す商店街はひっそりと、行き交う人も疎らだったが、それでも時刻通りに列車は過って行く。 40年、その間には様々なことがありはしたが、こんな正月は昭和の最後の年と、今年くらいかもしれない。
(Canon EOS90D EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM)
2020.10.25/登戸 2020.10.25 登戸
 帰り道に降りると、西日がなんだか良い塩梅で、そこへ昭和の電車が入ってきた。世代的にはこの色合いこそが”正しい小田急”で、 これもそろそろ風前の灯であるらしかったが、往時に記憶に浸るうち、すっかり様変わりしたこの駅にあって、日差しも昭和じみて見えてくる。
(SONY DSC-HX90V)
2020.8.29/西落合 2020.8.29 西落合
 春から始まった新運用で、都心上空を飛行機が飛んでいる。昨今の事情で関心のままに動く気にもなれずにいたが、ふと気が付けば、真上に見えた。 思えばかつての羽田空港駅で、車止め越しに遠くジェット音を聞く時代があった。後に後輩達がどんどんその先へ乗り入れることになったが、 この車にしてみれば往時以来の、飛行機のいる日常であるかも、しれなかった。
(Canon EOS90D EF-S18-135mm/F3.5-5.6 IS STM)
2020.4.29/川崎貨物 2020.4.29 川崎貨物
 まさかまさかの連続に、世の物事が全て止まってしまいそうな昨今、普通、であることへの、懐かしさや愛おしさを覚えるのだったが、一方尚も社会を支え続ける人達が、いる。 色々と制限のある中、要件は押さえつつ所用のついでで立ち寄れば、先達て始まった新運用の飛行機が、空へと駆け上った。地上には大勢、飛べない仲間を残して。
(Canon EOS90D EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM)
2020.1.26/京都鉄道博物館 2020.1.26 京都鉄道博物館
 フラリフラリと出歩いて、お目当てあって久々の再訪。館内も昔ながらのこちら側へ来れば、建物が増えた分空は狭くなったが、変わらぬ煙の匂いにホッとする。 暖かい陽気に、キーンとした冬の空気感は望めなかったが、程々に空いたギャラリーと共に、ここ独特の、ゆったりと流れる時間・・・・・最後の往復が終わり、スワローエンジェルが大きく、息を吐く。
(Canon EOS6D2 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM)
2019.11.4/整備場〜天空橋 2019.11.4 整備場〜天空橋
 野暮用に出たついでに、旧整備場地区の偵察なんぞして、環八へ戻ろうというところで、目に止まった。思えばその昔、この辺りにはネオン看板が煌々と並んでいて、 旅の記憶の一部になっていた。空港一帯が大きく様変わりする間に、看板達も消えて行った中、何故かこの 1枚だけが残っていて、往時を偲ばせる。 生憎コンデジしか持ってなかったが、撮らねば後悔する気がして撮っていると、偶然懐かし色の列車が過ぎり、刹那、フレームの中が昭和色に満ちた。
(SONY DSC-HX90V)
2019.8.25/矢向〜尻手 2019.8.25 矢向〜尻手
 気紛れに普段降りない駅で降りてみると、僅かに西の空が焼けていて、折角なのでそれ撮って、もう潮時かと立ち去ろうとすると、見る見る放ち始めた色彩に、 引き留められた。日曜の夕暮れ、”サザエさん症候群”も忘れて、暫し見惚れる。たまたま持っていた一眼レフ、たまたま引っ張り出してた古レンズ、 たまたまこの時間、たまたま降りた駅、たまたま見上げた空・・・・・諸々のたまたまが時に交わる、そんな中に、今日もいる。
(Canon EOS6D2 EF28mm/F2.8)
2019.6.1/田切 2019.6.1 田切
 ムシムシする前に今年こそはと、伊那谷へツーリング。昨今の「聖地巡礼」なる風潮に、アニメ好きでもない身にして意外な場所で接することもしばしば、 なのだったが、言われてみればここ飯田線はそのはしりとも言えて、にも関わらず「聖地巡礼」の文脈で挙げられることもないあたり、 碑文で察しろとばかりぼやかしてるあたり、それらはむしろ、ビジネスモデル的な延長にない「自然発生」の証左とも言えて。
(Canon EOS KissX9 SIGMA18-200mm/F3.5-6.3 DC MACRO OS HSM)
2019.3.9/尻手〜新鶴見(信) 2019.3.9 尻手〜新鶴見(信)
 目が痒い。空気がパサパサと粉っぽい。そろそろ薬をまた貰いに行かねば、というついでに出掛け、あっち寄り、こっち寄りしつつ、ふと、 近頃流行りらしい、花粉光環というモノを、試してみればナルホド、見える・・・・・辛い。
(Canon EOS7D2 EF-S18-135mm/F3.5-5.6 IS STM)
2019.1.7/昭和 2019.1.7 昭和
 冬休みも終わりかけた、その朝は、緊迫の中で明けた。とうとう来たかという思いと、歴史に立ち会っているという、 一種の高揚感と・・・・・ニュースでは聞き慣れぬ用語が次々繰り出され、さらに発せられた、ヘイセイなる語にピンと来ず、そんな一日の終わりにこの駅を訪ねると、 考えることは同じらしく行列の先の券売機は紙切れ、JRの人がロールを補充しに来て・・・・・あれから30年、券売機は既になく、駅舎からして小奇麗に変わっていたが、 面影濃いホームには、あの日から至る時間が、静かに流れ続けていた。そして今年また、昭和がひとつ遠ざかる。
(Canon EOS6D EF24-70mm/F4L IS USM)
2018.10.28/八本松〜瀬野 2018.10.28 八本松〜瀬野
 ひょんなきっかけで、昨日いた碓氷界隈から長駆のドライブ、やれば出来るものだと、朝を迎えた。以前訪れたこの辺りも、過日の豪雨の被害は免れず、 見渡せば傷跡も未だ、生々しかった。それでも日常を取り戻す歩みは進み、線路が繋がり、物流が戻り、そして一仕事終えたシェルパが、今また下りて来る。
(Canon EOS6D EF24-70mm/F4L IS USM)
2018.7.21/京急デハ823-1車内 2018.7.21 京急デハ823-1車内
 灼熱地獄から逃れて飛び込むと、頭上で扇風機がぶんぶん回っている。思えばこの辺りでは最早ココくらいなもので、懐かしい "KHK" の旧ロゴをぐりぐり周囲に向けながら、 走っても止まってもひたすら空気をかき回す。この車両が颯爽と現れて40年、そろそろ最後の夏に、なるのかもしれず。
(Canon EOS KissX9 SIGMA18-200mm/F3.5-6.3 DC MACRO OS HSM)
2018.3.4/鈴木町〜港町 2018.3.4 鈴木町〜港町
 大戦間の時代、町が市になり、都市化が進み、そんな中で運河の計画と共にその水門が生まれた頃、前後して線路がここへ付け変わった。運河はすぐに頓挫してしまうが、 水門はそのまま残り、以来、変わり往く風景の中に居続ける。傍らを行く電車は、時代々々で装いを変えたが、今また、その記憶を引き連れて、やって来た。
(Canon EOS7D2 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM)
2017.12.29/新鶴見 2017.12.29 新鶴見
 常時携行お手軽コンデジをうっかり新調してしまい、出歩いたついでで合間にちょこちょこ試写。仕様上多くは望まないものの、敢えてシビアな条件も絡めつつ、 大体こんなもんだろうという写りと、使い勝手の良さでもって、ひとまずはまずまずな手応えか・・・・・などとつまるところ、新しいオモチャを与えられたオッサンである。
(SONY DSC-HX90V)
2017.8.14/新鶴見(信)〜尻手 2017.8.14 新鶴見(信)〜尻手
 ブルトレ少年には、その颯爽と駆ける様が眩しかった。少しマセてくると、シブい旧型機を追い落とすような役回りにもあったそれが現われれば、 なんだぴーえふかフィルムが勿体無いなどと、悪態をついたりもした。その後なんだかんだと、日常的な鉄道風景のどこかに、その姿はあり続けたが、栄枯盛衰、盛者必衰、 ちょっと前まではまだありふれていた往時の装いも、昨今この辺りでは、これっきりのようで。
(Canon EOS7D2 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS II USM)
2017.5.27/直江〜荘原 2017.5.27 直江〜荘原
 全く別件で米子へ前乗りして、折角なのでとレンタカーで中海と宍道湖の北側を、道中撮り鉄しつつ流したりして、出雲の社に参ったり銅鐸見たり、 そして〆には適当にアタリをつけて、サンセットとサンライズ。本題は明日で今日はオマケなのだけど、なんだかちょっと、良い感じ。
(Canon EOS7D2 EF-S15-85mm/F3.5-5.6 IS USM)
2017.2.7/矢向 2017.2.7 矢向
 最後のナローボディー。あれよあれよと後輩に囲まれて、気が付けば旧い仲間は既になく、何故だか1本取り残された。 いつまでも続くわけもなかろうと、ぼんやり思ってはいたが、それは突如、間近に迫った。寿命半分、コスト半分、それで”走ルンです”などと揶揄もされたが、 なんだかんだで走り切り、そのやや枯れた佇まいには、最早ノスタルジーすら漂う。
(Canon EOS7D2 EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2016.10.10/加賀笠間〜美川 2016.10.10 加賀笠間〜美川
 この既視感・・・・・ヒコーキ目当てでやってきた北陸で、ついでの鉄ネタを拾いながらウロウロする中、何の気なしに渡った踏切のそばに、それはあった。 20余年前、軽井沢駅近くの踏切付近で同じものを見ていた。あの時の「北陸新幹線」も今やこのすぐそばまで届いていたが、まだまだ延びる気満々なのである。
(Canon PowerShot G5X)
2016.7.22/武蔵小杉〜西大井 2016.7.22 武蔵小杉〜西大井
 遠い昔、上野駅でカメラ持って走り回ってた頃や、修学旅行で窮屈で暑くて寝苦しい思いをした記憶があるくらいで、 さほど特別な思い入れがあったわけでもないが、鉄道への関心の視野の隅で、どこか孤高でいたようなところが、あった。 それはこの車の融通の利かなさ故も多分にあったろうが、ともあれ良くも悪くも、国鉄、の佇まいをそのままに今夜、かつてのように北を目指す。
(Canon EOS7D2 EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2016.3.25/浜川崎〜川崎新町 2016.3.25 浜川崎〜川崎新町
 鉄骨が組まれ、ホームが現れ、屋根がかかり、入口が出来、そして駅名標が掲げられ・・・・・賑わう北の方には目もくれず(笑)、 この3ヶ月ばかりの間、あれよあれよと現れる様を、半ば立ち会うように眺めてきた。日中お披露目があったようだったが、用意万端、 明日の目覚めを待つばかり・・・・・いよいよ、その時です。(ぉ
(Canon EOS7D2 EF-S15-85mm/F3.5-5.6 IS USM)
2016.2.6/河口湖 2016.2.6 河口湖
 恒例化しているGWのツーリングや、夏の登山の時くらいではあったが、”ヤツ”と呼びたくなるソイツは、いつもそこにいた。 やらかした感満点なその様ではあったが、ここまで弾けられてしまうと、マイリマシタと言う他ない。そんな”ヤツ”もとうとう引退を迎え、 それに立ち会う気はサラサラなかったつもりが、山体崩壊しかねないその号泣ぶりに再びマイリマシタと、氷点下のツーリングに駆られ。
(Canon EOS7D2 EF-S15-85mm/F3.5-5.6 IS USM)
2015.11.22/川崎〜尻手 2015.11.22 川崎〜尻手
 珍妙な板である。往時を知る者には懐かしいその装いは、やがて去る者への労いやお別れというわけでもなく、去り往く先をそこに示している。 これがこの会社の取り組みのPRであるらしいことは容易に知れて、前向きな挨拶、といえばそうなのかも知れなかったが、 これが本来、行先表示板、であったことを考えれば、さてさて乗ったが最後、どこへ連れて行かれるのやら。
(Canon EOS7D2 EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2015.9.12/瀬野〜八本松 2015.9.12 瀬野〜八本松
 1年ぶりに再訪のセノハチ。東日本の豪雨がらみのダイヤの乱れが1日2日では収まらなかったか、すっぽかされ、はぐらかされ、不意打ち喰らいで手応えはガタガタ。 昨年が割と旨く運んだ感触、味を占めれば今度は躓き・・・・・過去の経験からしてこれは「ハマり」へ向かう流れだが、その距離が、留まらせてくれるか、どうか。
(Canon EOS7D2 EF-S17-55mm/F2.8 IS USM)
2015.7.11/浜松〜豊橋 2015.7.11 浜松〜豊橋
 トーマスとジェームス目当てで今年も訪ねた川根路から、”酷道”をクネクネ走ったりしつつ湖畔に出た。新幹線はここで水面スレスレを”飛んで”行く。 上り、下り、上り、下り・・・・・半世紀続くここでの営みに、切り取ろうとする目論見は今日も色々と芳しくなく、やがて暮れる今日の名残の、帰り際。
(Canon EOS7D2 EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2015.5.24/八丁畷〜京急川崎 2015.5.24 八丁畷〜京急川崎
 「デパート」の輝いた時代が、あった。買い物し、食事をし、或いは遊び、或いは珍しいものを見物する・・・・・近くにあって、ちょっと他所行きな場所だった。 それはランドマークのように街を見渡し、時代々々を見守ってきた。街が栄えるにつれ、その中へ埋もれて行きながらも、 変わらぬその場所から、かつて人々が抱いた豊かさの先を、見届けようとしている。
(SONY DSC-WX350)
2015.2.7/南多摩〜府中本町 2015.2.7 南多摩〜府中本町
 いつでも来られる、などと思っていると結局行かない、というのはよくある話で、そんな調子でここでの黄色い電車も石灰石のホッパー車も、結局見逃した。 昨年からの新型車の大攻勢の前に、そろそろこの車も葬式鉄かというこの期に及んで、今度こそはとようやく腰を上げ。川を渡る間に太陽の頭が見えた。先客がチラホラ。 やがて川の向こうからゴトゴト聞こえてきて、テラッ、テラッ、と生まれたばかりの朝日を返す・・・・・もっと早く来るんだったナ。
(Canon EOS7D EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2014.11.29/梅小路 2014.11.29 梅小路
 新しい博物館になるというので、ゆくゆく「かつての」となるであろう様子の見納めにと訪ねたのは、丁度1年前。 それでひとつ区切りを付けあとは流れに任せるつもりだったが、結局未練タラタラで再訪。弁天町から引き上げた品々が所狭しと並び、 既に姿を見せつつある新たな建物には西日を遮られ、少なくともいくつかはもう「終わった」かと溜息をつくのだったが、それより何より再来年の春、 その馴染み深い名は残されるのか、それが少しばかり、気懸りで。
(Canon EOS KissX7 SIGMA18-200mm/F3.5-6.3 DC MACRO OS HSM)
2014.9.13/瀬野〜八本松 2014.9.13 瀬野〜八本松
 セノハチ・・・・・その名はずっと知っていたし、「さくら」をこっそり押し上げたのも知ってる。いつかは、と思いつつモタモタするうちに、 茶色い機関車を見逃し、青いのを見逃し、見せ場の走行解放を見逃し、最新鋭の紅葉色もいつの間にやら、厳めしいデッキ付の姿はなく、 この国鉄由来の最後の仲間すら、今やフェードアウトしようかという・・・・・14年前、すれ違い様に一度だけ、その姿を見たきりで、 せめて一目と、思い切って訪ねた。尤も一目が一目で終わらなぬことも、ままあるが・・・。
(Canon EOS7D EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2014.7.26/新金谷 2014.7.26 新金谷
 撮れたかい? もう一回チーズ?・・・・・脳内では完全に戸田恵子サンの声(ここはやはり実写版)が響きまくり。 今年はまたアプトでも見に行こうか、などと思っていたらこんなコトになっていて、やれやれ参ったと思いつついざ対面してみれば、いやはや天晴。 ここまで来るとC11ベースだからどこがどうという無粋な思考はどこかへ飛んで、思わず顔も綻んで。
(Canon EOS7D EF-S15-85mm/F3.5-5.6 IS USM)
2014.5.31/京急川崎〜港町 2014.5.31 京急川崎〜港町
 あろうことか、すっかりノーマークだった。どうしようどうしようと言っているうちに日は過ぎて、やっと腰を上げれば庫で寝ている皮肉、 そんなこんなでとうとう最終日、流石に今日は寝ておるまいとやってくると、果たして、つひに、ようやっと。 いざと構えれば背後に迫る対向列車の気配、これは被るかとヒヤヒヤしていると、やけに加速が鈍くてどうやら、我々に撮らせてくれたようだった。 この構図の外には文字通り、記録に残らず、記憶に残った列車がいた。
(Canon EOS7D EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2014.4.1/登戸〜宿河原 2014.4.1 登戸〜宿河原
 ここ何年か「朝練」と「放課後の部活」なこの季節。やった、と思えばアラが見え、それを潰してはまた別のアラが・・・・・といった繰り返しで、 その聊か内省的・・・・・といえば聞こえは良いが、ウジウジ拘る繰り返しがなんだーかんだー言って、性に合ってる気もする。 満開なのは勿論のこと、空は街灯りで白っちゃけるのは勘弁、通る電車もどれでも良いというものでなく、 具体的には原形の205系がハイビームのまま来てくれねば・・・・・そんなウジウジともどうやらそろそろ、折り合いをつけねばならぬらしい。
(Canon EOS KissX7 EF-S15-85mm/F3.5-5.6 IS USM)
2014.3.8/久我原〜総元 2014.3.8 久我原〜総元
 ターラコ〜♪ターラコ〜♪・・・・・海を渡って走ってくる間、ずっと脳内でヘヴィーローテーションしてた。 すぐそこの道の駅で売ってるパン・オ・レザン・・・・・て書いてある硬いパン・・・・・がお気に入りで、意外やご同輩がいないところでそいつを齧りつつ、 あーでもないこーでもないと露出を読んでいると、やがてプワーン、ガタン、ゴトン、と聞こえてきて・・・・・お熱を上げて何かを追いかけ回すこともすっかり無くなった昨今、 そこに惑いもないではないが、ちょっとホッとする、そんなひと時・・・・・さて今日はミーハーついでに、浮島に戻ってジャンボでも迎えよか。
(Canon EOS7D EF50mm/F1.8II)
2013.9.21/東淡路 2013.9.21 東淡路
 久方ぶりに関西を訪ねた。ひと足早めの見納めにと考えた弁天町へ向かう前に、新幹線を降りたその足で住宅地を進むと、不意にそれは、現れた。 相変わらず窮屈な身の上のマンモス、そこだけ時間が止まったままの如くだったが、さて発表によれば梅小路入りする電機も4両程候補の由、 まずアレだろうし、それからアレに、きっとアレも・・・・・ここのヌシも大いにその資格がある筈だが、果たしてこの檻を出られる日は、訪れるだろうか。
(Canon EOS7D Tokina 10-17mm/F3.5-4.5 Fisheye)
2013.6.8/国吉 2013.6.8 国吉
 大量のゴルフバッグと共に束の間の船旅気分に浸った後、行楽ならぬ混雑シーズン本番前の最後のチャンスとばかりにくねくね走って、 とりあえずの落ち着き場所で手作り風味な駅弁買って、久方ぶりの顔を眺めながらこれをパクつく。やがて急行がやってきて、刹那出現する特異点。 かつては方々で見たであろう、なんてことのない光景・・・・・それが今、なんてこと大アリな人々に、支えられてる。
(Canon EOS7D EF-S15-85mm/F3.5-5.6 IS USM)
2013.3.20/渋谷 2013.3.20 渋谷
 あれから10年。思い出のドームの場所には高層ビルが聳え、足元ではさらにその先へと胎動が続く。あれよあれよという間にとうとうカマボコ屋根も見納めとなり、 時代々々に移り往く日常の風景を、数多の人が見下ろしてきたこの場所も、いよいよその時を止めようとしている・・・・・空白を経ていつかまた、再びここで流れ始める時の中へ。
(Canon EOS7D EF-S10-22mm/F3.5-4.5 USM)
2013.1.13/犬吠 2013.1.13 犬吠
 海のシーズンの殆ど真裏の房総は、のんびり流すにはなかなか良いもので。21世紀に入って俄にまた「気動車王国」と化しつつある(?)半島を横切り、 九十九里を北上・・・・・てのが近頃パターン化しているのだったが、午後の陽射しの下小道をあっちウロウロ、こっちウロウロ、 と行き当たりばったりするうちに、さて見たことあるよなないよな。
(Canon EOS7D EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2012.12.1/抜里〜川根温泉笹間渡 2012.12.1 抜里〜川根温泉笹間渡
 福利厚生的なアレでもって現地集合なのを良いことに、地の利を活かさねばバチが当たるとばかりに始発に乗り込み、他の面々が出発して来る頃には既に、 出番を待つカマ達に挨拶してたとゆー。まだ少し早かった紅葉を絡め、合間にダム見て、お次はとドピーカンの空を狙ってみる・・・・・出来の程はさておいて、 そんな本性丸出しな、集合前の一仕事。
(Canon EOS7D EF-S15-85mm/F3.5-5.6 IS USM)
2012.9.16/丸の内 2012.9.16 丸の内
 いつのことかと遠い先に思われていた日が、目前に迫った。あれから6年・・・・・そんなに経っていたとは思いもせず、しかしそういえば時々様子を見に訪れていたハズで、 着々と進む様を目撃していたハズで・・・・・昨今の時の流れの加速ぶりに呆れつつ、その先の今日、遠い過去より写し取った未来図が、今やそこにある。
(Canon EOS7D EF-S10-22mm/F3.5-4.5 USM)
2012.6.30/二子 2012.6.30 二子
 かつてこの町にも、トロリーバスが走っていた・・・・・とはいえ同じ市内ながらここから10kmも離れた場所での話で、やや場違いな昔語りには、 どこか侘しさが伴って。せめて盟友の市電と寄り添わせてやりたいが・・・・・幾度か立ち寄った場所ではあったが、ふと思い付きザラザラな風合いに写してみれば、 なんだか廃墟感が一層漂って、この被写体の行く末が、案じられた。
(RICOH CX5)
2012.3.25/観音崎 2012.3.25 観音崎
 まだ暫くは、と思っているうちに、あれよあれよと話が進んで、終の棲家・・・・・であった筈の場所・・・・・を後にする日が、やって来てしまった。 往く先で待つ運命を想えばなんとも切なくあったが、その束の間に再び水平線を目にすることが、せめてもの慰みか・・・・・見納めに出掛け、 最後に足を伸ばした先の先にあった、遠く海原を陽炎に揺れて往く様は、かつて颯爽と海峡を結んだ記憶を、そこに見るようだった。
(Canon EOS7D EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)相当にトリミングしてます・・・
2012.3.4/六郷 2012.3.4 六郷
 懐かしい色に気を取られている間に、別の企てが進行していたらしく、往年の・・・・・むしろ往年すぎる・・・・・装いの、第三弾。 最早模型のように遊ばれている感、大と言え、身に覚えのないこんなものを着せられても困ったろうが、走り出してしまえばそれはそれで、 意外や説得力を帯びてくる妙、というか・・・・・定点撮影チックに切り取ってみたが、残念すぎる空はまあ、そんなものか。
(Canon EOS7D VOIGTLANDER COLOR-SKOPAR 20mm/F3.5 SLII Asp.)
2011.12.18/六郷 2011.12.18 六郷
 その斬新なストライプは、国鉄末期にあっての折衷的とも言えたコンセプトの車体に、意外と結構、救いをもたらしていたかもしれない。 時代は下ってイメチェンした姿もなかなか悪くなく、国鉄の残り香とうまく付き合っているようなのだったが、ここに来てよみがえった、あのストライプ。 昨今の世の習いから嫌な予感がしないでもなかったが、暫し往時を偲んだ後は、今と昔を繋いでみたり。
(Canon EOS7D VOIGTLANDER COLOR-SKOPAR 20mm/F3.5 SLII Asp.)
2011.11.13/立川〜日野 2011.11.13 立川〜日野
 多少なりともロクイチの時代を知る身としては、最初その話を聞いた時には少しばかりの違和感を覚えたものだったが、いよいよその本来の姿を見せた時、 それは間違いなく、御召列車、だった。以来なかなか機会に恵まれずにいたが、休日に近場でとあらば参らぬ理由はない。 かつての荷物検査だの身分証明だのといった「儀式」を遠く懐かしみつつ待つこと暫し、遂にそれは現れた。舞い上がって少々問題が起きたが、 そこはやはり、御召なのである。その上何の変哲もないベタな出来だが、そこはそれ、御召なのである。
(Canon EOS7D EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2011.9.4/船の科学館 2011.9.4 船の科学館
 その昔、父親のクルマに乗せられて海底トンネルを潜ると、荒涼とした先に大きな「船」が見えた。その風景と、案内標識の「13号ナントカ」という無機質な地名が、 子供心に妙にソソった。後に月の石やらレッドストーンやらもここで見ることになったが、何がどうしたかラジコンコーナーで船を沈めてしまったことが、 今でも少しばかり引っかかる・・・・・いつしか一帯は丸ごと「お台場」と呼ばれるようになり、記憶の中の風景は次々と置き換えられて、 かつての唯一のランドマークは、それを見届けようとしている。
(Canon EOS40D EF-S17-85mm/F4-5.6 IS USM)
2011.4.13/宿河原〜登戸 2011.4.13 宿河原〜登戸
 それでも、季節は巡る・・・・・予報見て、朝連モードで早起きしていたが、花の盛りと青空との取り合わせは、これがなかなか思うに任せないもので、 今年もここまでかと諦めていたら、後出しのピーカンである。もう花は散るばかりだったが、ならば一応、と見納めの春を切り取りつつ、 続きはまた、来年・・・・・それはまた変わらず来るものと、これまで疑いもしてなかった。
(Canon EOS40D Tokina 10-17mm/F3.5-4.5 Fisheye)
2011.3.26/渋谷 2011.3.26 渋谷
 週末の昼下がりの渋谷・・・・・のハズ、である。発着線が4線あるターミナルではその1線だけが使われて、電車が到着した時こそ大勢の乗客が吐き出されるものの、 その波が引けばまた、がらーんとした静けさに返る。まさに「有事」と戦慄した日から2週間、その本当のところはまだ、始まったばかりに過ぎぬのかも・・・。
(Canon EOS40D VOIGTLANDER COLOR-SKOPAR 20mm/F3.5 SLII Asp.)
2010.11.13/三峰口 2010.11.13 三峰口
 国電、と言えば浮かんだその姿を見なくなって久しい。落延びた仲間が暮らすここでは、最近往年の姿を楽しませてくれているが、 その装いが「最後のご奉公」となるのは昨今の世の習いのようで、とりわけ親しんだ色のせめて見納めにと、催しを訪ねた。 俯瞰出来るという山に入り、もう少し見えぬかと分け入って行くと、でんしゃ、と平仮名で表したくなるような風景が覗かれた。 先程着いた蒸機が、ボッ、と言いながら転車台へ向かう。それを追いつつ、かつてオモチャのようにカラフルだった、でんしゃ、達との、その色だけは褪せぬ記憶に遊ぶ、昼下がり。
(Canon EOS40D EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2010.6.12/有明テニスの森〜市場前 2010.6.12 有明テニスの森〜市場前
 例年GW頃から、試すような暑さの日がぽつぽつと出始め、順応するまではヘロヘロに参って辛いところだが、慣れればカラッと心地良い。 そろそろ梅雨入りの気配に今の陽気を惜しみつつ、広い空地を横目に、広い空を仰いで、陽射しの下でカメラぶら下げて。
(LEICA M6 M-ROKKOR28mm/F2.8)
2010.4.4/登戸〜宿河原 2010.4.4 登戸〜宿河原
 桜というのは、品種にもよるけれど、思っている程色が付いてるわけでなくて、空の青とのコントラストで出そうかとか考るわけだがこれがまた、 青空の日にはまだ早く、見頃を迎えれば今度は晴れず・・・・・とマーフィーの法則じみた日が続くそんな折、出掛けた帰りに寄ってみれば、 暮れなずむ中僅かに色味を見せる花。灯りも無しに夜桜モード突入な人達を横目に、まだまだ油断ならない春の陽気を、すっ、と切り取ってみる。
(Canon EOS40D EF-S10-22mm/F3.5-4.5 USM)
2010.2.28/丸子 2010.2.28 丸子
 国鉄が民営化してから暫く、どいつもこいつもチャラチャラしたモン造りやがって、なんて思っていたのは事実である。変わる物への戸惑いもあったろうが、 幾分かは本当にそうだったのではなかろか・・・・・「昔は〜」が口癖となる危うさについては、多少は認識していたつもりだったが、それでも大分連発するようになってきた頃、 ジェット戦闘機のようなそれは、現れた。あざといコマーシャリズムに留まらぬ”デザイン”であることは素人目にも明らかで、スピードへの野心を全身に漲らせる様には、 畏怖すら覚えた。向かうべきところへ向かう物の姿は美しい・・・・・鼻先だけでなくこうも「トンがった」車は、もう出てこないかもしれない。
(Canon EOS40D EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2009.11.15/丸の内 2009.11.15 丸の内
 戦前の姿に戻す、という話を聞いてから3年経ち、とうとう見慣れた姿も見納めとなった。覆いが再び取り払われる時には、今や殆どの者が目にしていない姿がそこに現れ、 それを前に今はさながら「さなぎ」と言えたが、遠い過去を未来へ映し、その間に確かにあった「戦後」は、より遠い記憶の中へと、押し出されて往く。
(Canon EOS40D EF-S17-85mm/F4-5.6 IS USM)
2009.9.6/業平橋 2009.9.6 業平橋
 赤羽橋あたりだろうか、都電が走る向こうで、脚だけ現れた東京タワーの写真・・・・・当時の人々がそれを見上げながら「歴史の1コマ」を噛み締めていたかは判らないが、 半世紀下って今また、いずれ「歴史の1コマ」となるであろう風景が、この下町に展開している。既に100mを超え、冬には200mと、まさにあれよあれよと・・・・・ しかし折角立てたUHFアンテナも、ヘタすりゃまた一斉に向け直さねばならぬハズなのだが、当のTVの中の人達は盛んに買え買え言うばかりで、誰もそのコトに触れやしない。
(Canon EOS40D EF-S10-22mm/F3.5-4.5 USM)
2009.6.20/田切〜伊那福岡 2009.6.20 田切〜伊那福岡
 梅雨入り宣言の途端に意外と晴れたりすることあり、結構そのへん狙い目だったりなのだが、「さあキミも1000円チャレンジ!」なこの頃、白みだす空の下を走り出し、 諏訪湖を望み天竜川に沿って、下る。高遠饅頭も買ったし、今なお残雪をあしらう木曽の山々を眺め、再び南下しながら、ヘルメットの中で「飯田線のバラード」なんぞ口ずさみ ・・・・・と歌詞が続かづ(涙)。日も暮れて東名に乗ってふと、今更にあれよあれよと繋がって、まだ脳髄柔らかな頃を、じんわり懐かしみ・・・。
(LEICA M6 M-ROKKOR28mm/F2.8)
2009.3.7/東京 2009.3.7 東京
 半世紀の間、その姿は毎日そこにあって、朝には遠来の客を送り届け、夕暮れにはまた、遠い旅路へといざなった。忙しない都会の日常の中に現れるその姿に、 ある者は望郷の、ある者は憧憬の、ある者は労いの視線を投げかけ、それを追う刹那、それぞれに、想い・・・・・そんな一時もあと僅か、 カメラを手にホームを駆け回った昭和の小学生は、「あの頃」以上の賑わいを見せる最後の週末、密かに遠い記憶に遊ぶ。
(Canon EOS40D EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2008.12.22/川崎〜蒲田 2008.12.22 川崎〜蒲田
 放課後に友達と遊んでいて、聞こえた汽笛に振り向いて、今日の「みずほ」は銀色だぁ、などと言っていた頃、子供心に、夜を徹し遠い旅へ向う者への憧れと、 一種の畏敬の念を抱いていた。歳月は流れ、汽笛に振り向く習性は相変わらずなのだったが、日常的風景の中にあるその姿を、今一度刻んでおきたく ・・・・・って、ここで遊んだことは無いのだけれど・・・。
(Canon EOS40D EF70-200mm/F2.8L IS USM)
2008.11.2/七戸 2008.11.2 七戸
 休止の年の秋だったか、ささやかなお披露目の姿に会えて、しみじみと、居合わせた人と駄弁ったりして・・・・・あれから、11年。 地道な活動は知りつつも、なかなか訪ねられずにいたのだったが、ふとしたきっかけで思い立った。かつての面影を追うのはそれなりの観察眼を要したが、 ここだけはそのままに、残っていて。ここで無数の小旗の舞った開業の日から、その半世紀の記憶を宿した小さな身体に、昔語りを乞う。
(Canon EOS40D EF-S10-22mm/F3.5-4.5 USM)
2008.9.21/打越〜池田 2008.9.21 打越〜池田
 終着駅の町で、懐かしい顔との再会。4年前にも会った時、仲間に会ったらよろしく伝えるつもりでいたが、故郷への帰還を果たした者は胴を詰められ脚をもがれてゴロンと置かれ、 つい先日訪ねた者は変わり果てた姿を晒していた・・・・・そんな土産話などする気になれなかったが、風を吸い込み、身体を揺すって、 相変わらず「109」やら「東横のれん街」やらの吊革をガチンガチンぶつけながら、今、ここに生き続ける姿を、せめて焼き付けて。
(Canon EOS40D EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2008.6.14/大川 2008.6.14 大川
 試写方々近所をウロついて、快調々々、そういえばとベタな季節モノなど。電車が銀色になってから、ダイヤもいつの間にやら、休日など朝2本、 夕方1本という有様。最近まで貨物も残っていたことは知らなかったが・・・・・当たり前のつもりの日常もふと、儚いように、思えたり。
(Canon EOS40D EF-S17-85mm/F4-5.6 IS USM)
2008.4.20/横須賀〜田浦 2008.4.20 横須賀〜田浦
 ふらりと近場を走りに出かけた。軍港を見下ろす小山へ登ってみると、最後の長旅を終えた艦が、そこに舫われていた。 足元を貫くトンネルは、今なお明治の残り香が漂うようで、そこを銀色ピカピカの電車が抜けて行く。それぞれの歴史の先の、なんでもない休日の午後。
(Canon EOS Kiss Digital N SIGMA 18-50mm/F3.5-5.6DC)
2008.2.28/六郷 2008.2.28 六郷
 春を迎える用意を整えるように、日に日に伸びていく日脚。冬の間ひたすら夜ばかりを駆けてきた列車にも、朝日の季節が再び巡る・・・・・それは束の間の、そして最後の。
(Canon EOS Kiss Digital N SIGMA 18-50mm/F3.5-5.6DC)
2008.1.6/天空橋〜新整備場 2008.1.6 天空橋〜新整備場
 好天に誘われてふらりと出かけ、出かけたついでにふらりと羽田に立ち寄った。第1ターミナルの上に出るともう日が沈もうとかいうところで、西の空には富士のシルエット。 日中はすっかり霞んで見えず、一日の終わりにその威容を浮かび上がらせる様は神々しい程で、霊峰を背に空港の名脇役は、今日もせっせと、せっせと。
(Canon EOS Kiss Digital N EF75-300mm/F4-5.6 IS USM)
2007.10.14/鉄道博物館 2007.10.14 鉄道博物館
 懐かしい顔ぶれとの、再会。人でごった返す中を泳ぎつつ、それぞれ最後に別れた時のことを思い起こしては、密かに挨拶した。評判の展示を見下ろしながら、 駅の跨線橋からそうしているかのような錯覚を覚える。発車を待つ列車、ホームの賑わい・・・・・計画的に配置された展示物は、今日「乗客」を得て、風景となった。
(Canon EOS Kiss Digital N EF17-35mm/F2.8L USM)
2007.9.8/根府川〜早川 2007.9.8 根府川〜早川
 台風も去り、どこか走ろうかと週末の天気を窺えば、晴れマークが踊ってる。そういえばと日の出の時刻を見てみる。もしやと時刻表を見る・・・・・コレだ!  超定番だけど・・・・・白み行く空の下、ひた走るそれぞれが、互いに距離をつめていく。方や終着駅を目指して、方やその瞬間の、ときめきに向かって。
(Canon EOS-1 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2007.6.16/二俣尾〜軍畑 2007.6.16 二俣尾〜軍畑
 思えばこの橋、これまで幾度もその上を通っていながら、どうしたことか外側から見たことが、多分無かった。ED16や、ロクヨンすら見逃した場所、 せめてオレンジ色の電車だけでもと思ううち、イメージだけ勝手に餘部級に膨らんでいた。梅雨を忘れた空に誘われて、鉄道公園の新顔方々ふらりと鉄ツー。 ようやくにしての今日はまた見事な、ベルビア日和。
(Canon T90 FD20-35mm/F3.5L)
2007.5.2/箱根 2007.5.2 箱根
 いわゆる「いつもの山坂道」を流していて、ぽつんと置かれた「箱」が目に止まる。その昔大涌谷の上空でお尻がムズムズした、あの箱。 最後まで働いてた個体なのか、ともかくロマンスカーな色が今や懐かしい。かつては新宿から芦ノ湖まで、この色で繋がっていたものだったが、 それを纏って生まれた最後のロマンスカーも、既にその色ではなく、登山電車あたりに僅かに面影が・・・・・と思えば、意外やタクシーが現役だったりする妙。
(Canon EOS-1 EF24-85mm/F3.5-4.5 USM)
2007.2.3/神田〜御茶ノ水 2007.2.3 神田〜御茶ノ水
 いよいよ大掛かりな引越しを控えていたが、そこはまだ、そこであり続けていた。その傍らを見慣れぬ顔が、気にも留めぬ様子で颯爽と駆けて行く ・・・・・後々年表の上で見れば接点が無さそうな両者だが、やがてそこが、そこでなくなる前の、束の間の邂逅。
(Canon EOS Kiss Digital N EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2006.12.23/新整備場〜天空橋 2006.12.23 新整備場〜天空橋
 第1ターミナルの送迎デッキから眺めると、大きなヒコーキがゴォゴォ言ってるずっと向こうを、時折小さなモノレールが横切っていく。 地面の下に潜り込んだり、また出てきたり、せっせとお客を運ぶ姿はどこかマイペースにも見えて、見ている方も何故か気分が和む。 夜明けのヒコーキ目当てに来てみると、朝日を背に名脇役は、今日もせっせと、せっせと。
(Canon EOS Kiss Digital N EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2006.9.30/横川SA 2006.9.30 横川SA
 ひょんなところで、国鉄バスに乗ることになった。民営化からかれこれ19年、「国鉄メイド」というと鉄道車両にばかり目が行くが、 よりライフサイクルも短いであろう、バスに見る動輪の印は、心なしか重い。 なんだか濃いぃツアーに紛れ外国に来たような心細さを覚えつつ(笑)、洒落で出された方向幕、そういえば今日は横軽廃止から9年目 ・・・・・場所柄因縁じみるにも聊か無理あるが、ともあれ今は昔の昭和の日々に想う、バスの旅。
(CONTAX G1 Sonnar90mm/F2.8)
2006.6.18/片原町〜高松築港 2006.6.18 片原町〜高松築港
 ついこの間までお大師さんへ連れて行ってくれた電車が、今はこんぴらさんへといざなう。ずっと前に先輩が歩んだ道をなぞるようにして、 すっかりここの風景となりつつあるようだった。ドアにでーんと入った、こんぴらさんの「マル金」マーク、 反射的に渡辺和博の顔が浮かんでしまう己に苦笑しつつ、そういえば前にこちらを訪れたのは、そんな頃では、なかったか。
(Canon EOS7 EF50mm/F1.8II)
2006.5.31/神田須田町 2006.5.31 神田須田町
 閉館から一週間もすると、囲いが設けられた。その存在が消えて行く始まりと言えたが、まだしばらくは、静かに備えを整えているのかもしれない。 馴染みの顔が見えないのは寂しくもあったが、けれどそこにいると分かるだけでも、十分かもしれなかった。
(RICOH Caplio R4)
2006.3.18/丸の内 2006.3.18 丸の内
 その経緯を知って以来、本来の姿に戻してやれないものかと思ってはいたが、一方で、自分の生まれた時には既にそうであった姿への特別な愛着もあり、 いざとなるとこれらが絡み合う。思えばこの「仮設」の姿の方が2倍もの歴史があり、生き様として見ても最早こちらが「本来」かもしれなかったが、 それよりバブルのあの時、あっさり壊されていたならば、次の100年どころの話ではなかった・・・・・最初の100年の末を、国鉄本社跡より眺む。
(RICOH Caplio R2)
2006.1.21/交通博物館 2006.1.21 交通博物館
 「帰りたくないと、君が泣いた場所です」・・・・・駅で見かけたポスターのコピーに、ホロリと来た。みんな、ここで育った。 もう少し大きくなると、記念切符を買いに並んだりもしたっけか。いつもそこにいて、たまに訪れる自分の成長・・・と老い(汗)・・・を、 ずっと見守られているようで、いやいやこんな歳になりましたヨ、と親戚にでも会うような気分がある。いやしかし、今日は冷えますね。
(Canon A-1 FD50mm/F1.4)
2005.11.20/久里浜 2005.11.20 久里浜
 縁あって貸切電車に乗り、その密室芸的とも言えそうな濃いぃ小ネタを交えた走りを楽んだ。どちらかと言うと割と地味な存在だった気がするけれど、 いつもピカピカの車体は誇らしげで、のんびりした大師線にあっても、どこか凛としたものがあったようにも思う。そんな記憶に巡りつつ、 晩秋の空の下で、名残のトリコロール。
(Canon EOS-1 EF17-35mm/F2.8L)
2005.8.20/交通博物館 2005.8.20 交通博物館
 箱庭世界に夕暮れが訪れると、ぞわわ、と今でも鳥肌が立つ。かつて西国を目指していた名優達も、今や北へ向かう顔ぶれに代わったが、 遠い旅路へいざなう風情に変わりは無い。憧れの特等席では、CTC(?)のコンソールが明滅し、係の人はナレーションを入れつつ、 てきぱきとそれを操る・・・・・今も変わらぬスタイル、今も抱く憧れ、今も忘れぬときめき。大宮でもまた、その続きを。
(RICOH Caplio R2)
2005.6.6/品川 2005.6.6 品川
 疲労感が漂うホーム。家路の列の前に、青い車体が滑り込んだ。目的の乗り物でないことの不満と、遠い旅路への憧れが入り混じる中、 ほろ酔い気分のカメラケータイ氏。同僚にからかわれながら、嬉々とブルトレ少年に帰る束の間。
(Canon IXY DIGITAL 300a)
2005.5.3/青梅鉄道公園 2005.5.3 青梅鉄道公園
 前に会った時は、緑色をしていたと思う。もう10年は前になろうか、民営化すると色々なコトがあるものだねと感心した記憶がある。 あるべき色に戻ってからも大分経ったが、五月晴れの下、久しぶりの再会。ヘンなマークがまだ付いてるようだったが(ぉ、 藁だか椰子だかの感触の座席に腰掛けて、これに7時間も揺られた幼き日の記憶に遊ぶ。
(FUJIFILM Silvi F2.8 SUPER-EBC FUJINON 24-50mm/F2.8-5.6)
2005.2.5/大川 2005.2.5 大川
 暦は立春を告げるのだったが、まだまだ冬の陽気。そんな中を黙々とやって来る、見るからに冷たげな銀色の電車も、 その内には温もりを秘めて、折り返しの束の間、ほっ、とそれを吐く。
(Canon EOS-1 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM Kenko TELEPLUS PRO 300 2x)
2004.12.12/梅小路 2004.12.12 梅小路
 日没の早い日を狙って来てはみたものの、生憎の空模様に撮影は今ひとつ乗らず、ヌシ達をぼんやり眺めながら過ごす。 普段は機関車と格闘している、ヘルメットに菜っ葉服姿の人が、何やら箱からごそごそ引っ張り出しているのが目に止まったが、 今日のスチーム号を務めたハチロクが床に就いた頃、その成果が夕闇に、浮かび上がる・・・・・90年目の、暮れる梅小路。
(CONTAX G1 Planar45mm/F2)
2004.10.13/矢向 2004.10.13 矢向
 トボトボと残業帰りに、ホームの向こう側をふと見上げると、黄色い電車が入ってきた。1本遅らせて乗るような気分じゃなかったが、 あとで気が変わって、時刻表を見れば6分後ろ。鞄には丁度、型遅れのデジカメ。ふむ・・・跨線橋からそいつを突き出して、一振り。 へろへろ気分まで写り込むようだったが、そんな日常の中に確かにその姿があったという、記として。
(Canon IXY DIGITAL 300a)
2004.8.13/安善〜大川 2004.8.13 安善〜大川
 コミケ前日でワタワタしながら(爆)、ふと外を見やると西日が良い塩梅。そろそろ午後の部か・・・・・CD焼きを放り出し、 いつもの運河へ向かう。軽い眠気を覚えつつ潮風に吹かれていると、ゴトゴトと現れる黄色い電車。その向こうで、 羽田16Rを発つ飛行機・・・・・電車が茶色かった時代も、やがて銀色となる時も、この時間の流れ方は、変わらない気がする。
(Canon EOS-3 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM EXTENDER 1.4x)
2004.3.27/亀戸 2004.3.27 亀戸
 ここに電車が埋まっているらしい。落とし穴にハマったのかもしれない・・・・・桜の並木道を過ぎると、救いを求めるビューゲルに出会った。 助けを呼ばねばと思ったが、通りかかる人は避けこそすれ、誰も気にも止めない。この下に積もる歳月は相当に、厚いのかもしれなかった。 けれど全てが埋没してしまわないあたり、救いを見るような気も。
(Canon IXY DIGITAL 300a)
2004.2.15/浅野 2004.2.15 浅野
 毎日、毎日・・・当り前の日々。一日何事も無く、日常という安堵の中で、今日という日がまた、暮れていく。まだまだ仕事は終わらないが、 働き者を労うように、黄金色の輝きが包み込む。
(Canon EOS-3 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)フィルタじゃないよフレアだよ・・・
2004.1.14/浅野 2004.1.14 浅野
 きーんとした空気に、微かな温もりが射す。「生産の地」の朝は早くから忙しく、黄色い電車から吐き出された人々は、白い息とともに各々の職場へと急ぐ ・・・・・休日ののんびりムードとは打って変わって、そこで電車は黙々と、産業を支える自負に輝いているようにも、見えた。
(Canon EOS7 EF75-300mm/F4-5.6IS USM)
2003.11.28/浜川崎 2003.11.28 浜川崎
 そろそろ後継ぎも出揃って、いよいよ幕が近い。そんな日にあっていつものように、通勤通学客を乗せて黙々と、7分ばかりの道を行き来する。 近くの中学生達の描いた絵の中に、かつての記憶を映しながら。
(Canon EOS-3 EF17-35mm/F2.8L)
2003.10.12/吹田 2003.10.12 吹田
 吹田工場の前を通りかかる。柵から覗き込むと、ちらりとヌシが見え。けれどもイベントでもない日に、間近に見ることは適わづ。 ここで働く人達はひょっとして、タイムカードを差し込みながら、時に誇らしく眺めることもあるかもしれず、そんな特権をちょっと、羨む。
(Canon EOS-1 EF28-135mm/F3.5-5.6IS USM)
2003.9.15/五位野 2003.9.15 五位野
 鹿児島まで来たのだし、折角だからと西大山を目指す。その帰り道、山の上に聳えるロケットを見る。本物は見たこと無いが、 宙へ挑む決意に満ちた巨体に圧倒されつつ、ふと、ここ南の果ての鉄道が、単に本土のそれでなく、 この先はこれでしか行けない地球の果てのような錯覚を、覚えてみたり。
(Canon EOS7 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2003.6.22/渋谷 2003.6.22 渋谷
 かつて当たり前に存在し馴染んできたものが、いつしか記憶の彼方へ沈んでいたことに気付く時、何十年かの己の持ち時間というものを意識させられ、 そしてそれが愛しくなる。そんな経験をするうち、ここのところ、なんでもない写真にしみじみしたり。この街は特に愛着があるでもなかったが、 幼い時分星空に憧れた記憶を、引き止めておきたくなった。
(Canon EOS7 EF28-135mm/F3.5-5.6IS USM)
2003.3.23/豊橋 2003.3.23 豊橋
 よその街で迎える夜明けというのは、なんだか他人の寝顔を見るような、秘め事を覗いてしまうような気恥ずかしさを覚える。 夜行で着いて、乗り継ぐ列車を待つ間に、夜が明けた。目覚め行く街を、路面電車がゴトゴトと。見た顔と思えば、元都電。 すっかりここの住人となって、今日も一日、健気に働くのであろう。
(Canon EOS-3 EF75-300mm/F4-5.6IS USM)
2003.3.8/東本願寺前 2003.3.8 札幌・東本願寺前
 子供の時分より抱いていた雪国への淡い憧れは、重装備での雪中・・・とはいえ膝程度の・・・行軍であえなく崩れ去った。 遠い南の都会っ子のアマアマ加減を、そこで暮らしている人々にちと申し訳無く思う・・・。北の冬は、仕事が増える。 せめてその営みを見ておこうと、未明の電停に立つ。早起きは三文の得と言うけれど・・・はふ。やがて、働き者がやって来た。
(Canon EOS-1 SIGMA 28mm/F1.8I)
2002.12.22/汐留 2002.12.22 汐留
 ここはかつて、文明開化の最先端だった。やがてこの国に鉄道が根付くにつれその輝きは褪せ、さらに後、 とうとう0哩標だけを遺し、記録上の存在となる・・・・・今、その記憶を辿る事業が、進んでいるらしい。 しかし横濱へといざなった路は高層ビル群が立ち塞がり、歴史の記憶は、現代の営みの谷間に押し込まれる。
(Canon F-1 NewFD15mm/F2.8 FishEye)
2002.12.14/梅小路 2002.12.14 梅小路
 よくよく考えるに、日没が最も早いのは冬至のちょっと前。最終日はもう止めたしで、この冬は早めの訪問。暗くなるまで待って・・・・・ しかしお節介な好天気、なかなか暮れぬ。焦れながらも、移ろう表情にしばし見惚れ。
(Canon EOS-3 EF28-135mm/F3.5-5.6IS USM)
2002.10.14/川崎〜蒲田 2002.10.14 川崎〜蒲田
 遠くを旅する者に、犒いの気持ちだけではない、畏敬の念にも似たものを抱くのは、何故だろう。それは未知の何かを運んで来る者への、憧れか。 或いは狭い日常から抜け出す願望を、映しているのか。・・・・・たまたま乗り込んだ電車を、夜を徹した「あさかぜ」が追って来た。 ほんの何mかで並びながら、彼我の世界の隔たりを意識する。やがて旅人は、街の雑踏をかき分けるように、しかし颯爽と、抜き去って行く。
(Canon EOS-3 TAMRON SPAF20-40mm/F2.7-3.5)
2002.9.20/川崎新町 2002.9.20 川崎新町
 一月前、後は任せた筈だった。最初の1週間ほどは新型電車が2本で仕切り、そのうち予備に回ってた先代も交えていたが、 どうも様子がおかしい。そしてとうとう、元に戻る(笑)。どこか具合でも悪いのか、新型電車は1本大船へ帰ってしまったという。 近頃の若い奴はすぐこれだ、どれどれ・・・・・貫禄の返り咲き。
(Canon EOS-3 EF100-400mm/F4.5-5.6L IS USM)
2002.8.19/尻手 2002.8.19 尻手
 昼の間に、後輩に譲っている筈だった。台風のために1日延びたらしい。オマケの1日・・・・・彼にとって「神風」であったのか、 それは分らない・・・・・ともあれ、仕切り直しの最後の夜。今夜も黙々と、短い道を行き来する。いつもそうであったように。
(Canon IXY DIGITAL 300a)
2002.6.9/八丁畷〜尻手 2002.6.9 八丁畷〜尻手
 ここのところの曇り続き、きっとこのまま梅雨入りして、もう青空には会えぬと思っていた・・・・・ 外を見ればドピーカン、やれやれ、仕方がないな・・・・・電車は午後の陽射しに映えて、花道かなと、ぼんやり思う。 後釜がやって来て早2ヶ月半、今か今かと身構え続け、そろそろちょいとキツイこの頃(苦笑)。
(Canon EOS-1 EF28-135mm/F3.5-5.6IS USM)
2002.4.5/川崎新町 2002.4.5 川崎新町
 街が目覚る頃、その片隅で電車がゴトゴトと走りだす。毎日繰り返されてきたそんな営みも、どうやら節目が近いらしい。 知ってか知らずか、今日も黙々と電車は走る。穏やかなる余生の日々に、颯爽と飛ばした若き日の遠い記憶を秘めて。
(Canon T90 NewFD300mm/F4)
2002.1.5/新宿 2002.1.5 新宿
 成田へ行った。空港へは行ったのだけど、外国へ行ったわけではない。この際と初めて乗った成田エクスプレス。良い意味でというか、 少々バタ臭い車内。京都へ迎え入れるような「はるか」のやや淡白な風情とは対照的に、ここは既に欧米への入口なのか。 欧米ばかりが外国じゃないのだけれども・・・・・ともあれ、縦長の街を抜け出して、遥か印旛村の向こうを目指す。
(Canon EOS-1 EF28-135mm/F3.5-5.6IS USM)
2001.12.28/梅小路 2001.12.28 梅小路
 また梅小路・・・・・なのだけど、また最終日に、やって来た。思えば5年連続、多分、今年の鉄の締め括り。 夕暮れの光線を狙って訪れていたのも、なんとなく「最終日の梅小路」が独り歩き、本末転倒というかなんというか、 もういいかと思うこの頃・・・。この日の主役、シロクニは寝床に引き込み、人気(ひとけ)も無くなると、待っていた時間が始まる。 ふと気配に外を見やると、「スチーム号」客車を押す人達。あの車も正月は、屋根の下で過ごすらしい。
(CONTAX G1 Biogon28mm/F2.8)
2001.7.29/梅小路 2001.7.29 梅小路
 何年か前にもこういった催しがあったと思ったが、知らなかったのか他のことで忙しかったのか、行っていなかった。 ん、「演出」っぽいモノへの、臍曲がりな突っ張りだったか? ともあれまた機会が巡ってきて、今度こそはと、京都へ。 これでも涼しい方と聞いたが夏の京都には変わりなく、融けかけた身体を引きずって歩く。背中には、今世紀初めて持ち出す中判カメラ。 ちょっとは気合を入れたつもりだったのである。いよいよ日も暮れ、夜会が始まる。あーでもないこーでもないと撮り始めるも、 それでもほどほどに、後は涼みがてら眺めてしまった・・・・・あー。次もあるだろか。
(Canon EOS-1 Nikon Gyogyotto20)
2001.4.23/吉岡海底 2001.4.23 吉岡海底
 海底の動脈を覗いた。この目で見てみたかった。ドラえもん責めの列車に乗って、長いトンネルを降りていき、殺風景な場所で降ろされる。 海底駅と名乗るそこは・・・・・ただのトンネルとも見える。と、本州の方から風が吹いてきた。やがて彼方に光点が現れ・・・・・ 「スーパーはつかり」なら相当飛ばしているはずなのだが、これがなかなか来ない。今巨大な「構造物」の中にいることを知る。 ようやくにして気配が近付いたかと思えば、みるみる光は大きくなり、瞬く間に「暴風」が突き抜けて行った。・・・ほ、北海道へようこそ。
(Canon EOS-1 SIGMA 28mm/F1.8I)
2001.3.24/大胡 2001.3.24 上毛電鉄・大胡
 今日はMLのOFF会。ツリカケ電車を借り切って、わいわいと乗った。「ぼくらの電車」・・・・・なんというゴキゲン!  主役はこれまで縁も無かった地方私鉄の小さな電車。間近にその年輪を見、黙々と過ごしてきたであろう、彼の時間を想う・・・。 ついついクモハ12を重ねてしまうのは、近所の電車しか知らない悲しい性か。 ピクニック気分を乗せて、暖かい春の風を・・・・・スギ花粉も・・・・・いっぱい吸い込んで、 関東平野の北の縁の、田園風景をガタゴト走る。「くるり」の「オールドタイマー」が、頭の中でぐーるぐる。
(Canon EOS-1 EF75-300mm/F4-5.6IS USM)
2000.12.28/交通科学博物館 2000.12.28 交通科学博物館
 20世紀最後の開館日に、大阪の交通科学博物館を訪ねた。記念メダルに名前と日付を刻んで、今世紀の名残にする。 メダルの絵柄にバリエーションがあって、折角だから全種類と思ったら、7種類もあって閉口した。 東京の交通博物館とはやや違う趣の、展示物をしみじみと眺めて歩く。抑えた照明の中、窓から射す自然光に浮かび上がるは、 新幹線電車(0系)の鼻先。思えば今世紀後半の、象徴の1つであった。20世紀で様々なものを引っ張り、背負い、 20世紀を駆け抜け、そして21世紀を見ずしてその役目を終えた、「東海道新幹線」0系電車。 今となってはややノスタルジックなスピード感を湛える「団子鼻」、寡黙に佇む走者の横顔を眺めつつ、 やがて終わる世紀へ、しばし暇乞い。
(Canon EOS-1 EF28-135mm/3.5-5.6IS USM)
2000.10.15/米原 2000.10.15 米原
 先週も今一つだったので、通称「秋の18きっぷ」でまた梅小路へ撮影に出掛けたが、雨に祟られた。 どうもうまくない。雨模様も悪くなかったが、メインに考えていたものは、諦めた。 こんな日もあるさ、と、乗り継いで帰れる最終便で、家路につく。米原に着こうかというところで、夕焼け。 今頃晴れやがって! ま、こんな日もあるさ。乗り継ぐ間に、パチリ。
(Canon EOS-1 SIGMA 28mm/F1.8I)
2000.9.9/名古屋 2000.9.9 名古屋
 どさっ、ばさっ・・・・・鉄道趣味MLのOFF会の2次会が終わった後、名古屋駅を覗いた。1列車「富士」が到着、 遥か西への、まだ序章といったところか。すっかり人気(ひとけ)の無くなったホームの先、荷物車兼電源車のあたりだけ、 忙しなく動いている。ディーゼル発電機の唸り、排気ガスの臭い・・・・・荷物列車を見なくなって、もう随分経つ。 ブルートレインもすっかり元気が無いが、営みは続いている。
(Canon EOS-1 SIGMA 28mm/F1.8I)
2000.7.29/下目黒 2000.7.29 下目黒
 目黒通りを歩いていて、ふとこれに気付いた。どうやら花輪を出す業者のようだ。まだちょっと先のことだけど、 開業へのカウントダウンは着々と進んでいる・・・・・・未来のカケラを、ちょいとつまみ食い。
(Canon Canonet QL17 G-III 40mm/F1.7)
2000.6.24/新橋 2000.6.24 新橋
 雨の中、出掛けたついでに中古カメラ店を巡回したりして。そんな道すがらの新橋。鉛色の空の下、街全体が何かと鈍くさい。 梅雨・・・色彩が恋しくなる季節である。これモノクロフィルムなんだけど。
(Canon Canonet QL17 G-III 40mm/F1.7)
2000.6.10/弁天橋 2000.6.10 弁天橋
 レールスター、である。誰が言い出したか、ともかくそう呼ばれている。この日は鶴見線営業所のイベントで、 我らが南武線の101系電車にゴハチも来ていたりしたその傍らで、これが行ったり来たり。方転のジャッキアップ(?)をつい見物。 たかだか数十m乗るだけなのだが、なかなかに盛況で長い列が出来ていた。本当言うと、私も乗ってみたかった・・・・・ ともかくそんな、「東のレールスター」である。自家用に欲しい。よく見たら"Powered by HONDA"・・・・・ほほう。
(Canon F-1 FD28-50mm/F3.5S.S.C.)
2000.5.28/川崎 2000.5.28 川崎
 南武線〜青梅線直通の臨時快速が走った。随分前からポスターが張り出され、車内放送でも告知がなされ、かなりノリノリ。 JR東日本の横浜支社が独立してから、なんというかこう、「なんかやろうぜ!」という空気が、南武線には感じられる気がする。 この日も、ホームでは「行ってらっしゃいませ!」の手持ち看板と、駅長による発車の合図!、聊か面食らった(笑)。 というわけで絵的なものはすっ飛ばして、今回はこれ。この後、いつもの通勤定期券で、いつもとはちょっと違う車窓を、楽しんでみた。 ただ時刻が早過ぎて駅弁屋が開いておらず、シウマイ弁当をつつきながらとはいかなかったのが、心残りではあった。
(Canon EOS630 TAMRON SPAF20-40mm/F2.7-3.5)
2000.4.10/川崎新町 2000.4.10 川崎新町
 ご多分に漏れず、桜を撮った。あまり熱心ではないながら、地元で撮らずしてどうする、ということで、 ほど近くの駅でバルブ撮影。満開のピークを過ぎたあたりで、散った花びらを撮ってみたり・・・・・それが星屑のように見え、 いつもののんびり風味な電車が、突然宙(そら)を駆けて行くようであった。
(Canon NewF-1 FD20mm/F2.8S.S.C.)
2000.3.19/瀬野 2000.3.19 山陽本線・瀬野付近?
 列車はいつの間にか標高を上げていたらしいことを、鼓膜が教えてくれた。やがて八本松を過ぎ、それを合図のように、 下り勾配を駆け下り始める。25‰の連続勾配、通称セノハチ。いつか巡ってみたいと思っている難所だ。貨物列車とすれ違う。 嬉しい予感を伴って、乗務員室越しに後を見つめる。・・・・・ウォン・・・・・こちらのシェルパは、まだまだ達者なようだ。
(Canon EOS630 EF50mm/F1.8II)
2000.2.13/倉賀野 2000.2.13 倉賀野
 EF65の時代が、あった。PFのことはちょっと置いておく。幼少の時分、九州ブルトレといえばEF65Pだったし、 それの牽く20系客車の体験が、今の自分の鉄的源流のひとつでも、あった。一方重連で「とびうお」などの先頭に立っていたのは、 EF65F。実は特急貨物はロクロクの時代になってからしか記憶に無いのだが、その存在を知ると、こちらに惹かれるようになった。 重連運用、賑やかなスカート回り・・・・・私には元々「重装備志向」があるのかも、しれない。 さて、華の東海道・山陽筋から流れ流れて、今や高崎線で風前の灯である、EF65P/F。先に役目を終えた仲間の眠る場所へ、 立ち寄ってみた。彼が一番輝いてた頃の面影を、そこで探してみた。
(Canon NewF-1 NewFD300mm/F2.8L)
2000.1.22/新橋 2000.1.22 新橋
 夕暮れにぶらぶらとカメラ店巡りをしてて、ここを通りかかって「あっ」となった。・・・・・あれは昨年暮れのこと、 やはりぶらぶらとカメラ店巡りをしていて、ここのC11に「網」がかけられているのに気付いて、 昼間のこと故最初鳥除けだろうかと思ったのだが、しかしよくよく見れば小さな「つぶつぶ」。 そこで、ああナルホドと・・・・・そのことをすっかり忘れていた。 ここ新橋駅前で、時の移ろいを見続けてきたC11、けれど周りに物が置かれたり、ゴミがあったりしていて、 普段はあまりぱっとしなかったように思うのだが、しかし今夜、待ち合わせの賑わいの頭越しに見る彼は、 少し迷惑そうにも、少しすましているようにも、見えた。ともあれいつもと違う、ミレニアムの冬。 ・・・・・夜景は誰が撮ってもそこそこキレイだし、これとて別に変わり映えしないけど、縁起モノと思って載せちゃう。 またかい。
(Canon EOS700 EF50mm/F1.8II)
2000.1.1/千駄ケ谷 2000.1.1 千駄ケ谷
 JR東日本が運行を止めるという現場で、その瞬間を迎えてみようと思った。中野23:49発の中央線東京行に乗る。 東中野、新大久保、すぐ出た。期待の新宿、ここもすぐ出てしまう。山手線ホームから、 次の電車は2000年問題の為に云々という放送が聞こえ、緊張感がそそられる。結局代々木もそのまま出て、 私の運命の駅は、千駄ケ谷となった。反対のホームにも列車が止まっていて、双方とも発車は0:03。 と・・・・・どどーん、ばらばらばらばら・・・・・花火だ! とうとう、その時が来た。 乗客がわらわらとホームへ出てきて、新年を祝い合う。意外とあっけない。絵的には、 これまた「撮っただけ」になってしまって申し訳無いが、そこはそれ、縁起モノってことで・・・・・花火、判ります?(^^;;;;
(SONY Handycam DCR-PC100)
1980.9-1999.11.13/川崎 1999.11.13 川崎 
 横須賀線の電車が川崎駅を通らなくなる・・・・・その日を前に、私はカメラを提げて出かけ、柵にしがみついて、 明治製菓の工場をバックにスカ線を収めた。その時代に居合わせた記しを、残そうとしたのかもしれない。 あれから19年・・・・・臨時とはいえ再びこの路を、あのスカ線が走るという。私はまたカメラを提げて出かけ、 同じ柵にしがみついてみた。絵的にコレといった写真でもないけれど、己の時間を、また記せたように思う。
(Canon A-1 FD28-50mm/F3.5S.S.C.)
1999.10.10/上野 1999.10.10 上野
 安原一式というカメラがやって来た。早速連れ出してみる。上野のあたりをぶらぶらして、 公園口からの坂道を降りてるところへ、丁度電車が入ってきた。西日に輝く電車、いわゆるひとつの「ギラリ」ってやつ。 まあその、作例みたいな写真・・・。使ったレンズが40年以上前の古いキヤノン50mm/f1.5。 クモリが出ていてあまり良いコンディションではないのだが、半面、(デジタイズした画像では判らないけれど) 柔らかくなった(?)描写はそう悪くもないかも・・・・・被写体を少し懐かしくするような、気もする。 古風なディテールの色濃く残る駅へ、最新型の電車が入ってくる・・・・・そんな鉄道の連綿たる営みは、 いつもどこかが懐かしいのかもしれない。
(Yasuhara T981 Canon 50mm/F1.5)
1999.10.2/横川 1999.10.2 横川
 なんか違う。
 一旦は丸山へ置かれた「あさま」とロクサンは、しかし心無い者に傷付けられてしまった。 性善説は非情な現実に打ちのめされ、そして彼らは戻って来た・・・・・久々に見る「あさま」編成、 けれども、どうもオカシイ。なんとロクサンが先頭。ぐずっている単機を、 後続の「あさま」が急っついてるようにも、見える・・・・・これはなるべく目が届くようにという配慮か。 今後のことは判らないけれども、置かれ方が歪であるなら、それは世の悪意の仕業ということか・・・・・。
 彼らに、安らぎを。かつてのように見下ろしながら、そう願った。
(SONY Handycam DCR-PC100)
1999.8.12/犬山橋 1999.8.12 名鉄犬山橋
 またつまらぬものを撮ってしまった・・・。
 はともかく、幼少の時分に本で知ったシーン、私にとって名鉄といえば、赤いパノラマカーであり、この橋なのである。 犬山併用橋、もうすぐ鉄道と道路とが分離するという。最初聞いた話の通りならとうにそうなっていた筈なのだが、 最近ようやく隣の道路橋の桁が繋がった。別名「ドケヨホーン」を響かせクルマを蹴散らすパノラマカー、 お構い無しに前に割り込むクルマ、両者譲らぬ橋上バトル・・・・・プラレールじゃとても勝ち目は無いな(笑) ・・・・・個性的な鉄道シーンがまたひとつ、最後のカウントダウンに入っている。
(PENTAX A3 DATE SMC-PENTAX-F35-70mm/F3.5-4.5)
1999.7.16/新宿 1999.7.16 小田急新宿駅
 私の世代だと、NSEこそが「正しいロマンスカー」だったりする。長く親しんで来たNSEとも今日でお別れ、 折角だからと見送りに来た。小田急の往年の看板列車の引退に相応しいセレモニーが催されるその傍らで、 寡黙な主役は独り、己の駆けた時代を想っているようだった。
(Canon EOS630 TAMRON SPAF20-40mm/F2.7-3.5)


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