最後の列車が去った時が「脳死」だとするなら、

送電が断たれ信号機が光を失った時は、

「心臓死」にあたるのだろうか。



横軽が、死んで行く。私がそれを、見取ってやろう。



やがて施設は取り壊され、朽ちて行き、

つまり壊死が始まり、土に返って行くのだろうか。



横軽が、ゆっくりと死んで行く。愛すべき鉄道が、想い出に変わって行く。



あの無骨な山男の、ブロワーの熱気が、

重量感溢れる足音が、

ぐいぐい押し上げる力強さが、

列車の矢面に立って降りる優しさが、

私の中には残っている。



ただこれを外へ取り出す術を、私は知らない。

私の密かなるロクサンが、今私の中にいる。





〜 1997年10月1日のメールより 〜






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