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1215 sun3965 CUB     93/02/26 00:44 自慢の品シリーズ4(長いぞお)       102



             「国鉄謝恩きっぷ」


 おおお、今回はちょっと重みがあります。ぉぃぉぃ

 今から6年前、国鉄最後の日である「昭和62年3月31日」に限り、全国の国
鉄線の乗車・乗船が出来るという切符が発売された。
 その発売日の前日、「フリーの学生」生活をしていて、時間には余裕ありまくり
だった私は高校時代の鉄研仲間(笑)と、東京駅の旅行センター前に陣取ったので
あった。こればかりは外せない、という意気込みからだった。しかも東京駅である。
 発売の24時間前・・・。
 しかしそこには既に行列があり、「しまったあ!!」と思いきや、その日発売の
「国鉄最後の」記念オレンジカードの列だったりして。ちゃんちゃん。で、結局、
我々はほぼ先頭に立つことに成功(カードも買ったけど)。まずは安心、という訳
で、交代しながらこの場を確保するのだった。連絡には伝言ダイヤルを使ったっけ。
 その間、行列も伸び続け、夕方までには1000人は超えていたようで。
 そして夜・・・。東京駅では、終電から初電までのわずかな間、駅を閉めてしま
う。しかしこの日、八重洲口には余りにも大勢の人が並んでいたため、そのまま外
へ追い出されずに済んだのだった。ただシャッターは閉められてしまい、我々は閉
じ込められた格好に。仕方がないので自由通路でかけっこをしたり(ぉぃぉぃ)し
て遊んでいたりしていて、そのうち地下道経由の抜け道を発見、代わる代わる散歩
へ行ったりして朝を待つ。
 10時。ついに発売。そして手に入れた切符が「0004」番。全国路線図のポ
スター付。やったやったと喜んでいるところへ、どこかの雑誌の取材が来、さらに
駅長さんまでやって来て記念撮影。その時の写真、欲しいけどどこの取材だったの
やら。


 3月29日。東京駅に再び仲間が集まった。これからそれぞれの旅、その始めと
して「大垣鈍行」に乗り込むべく、再び顔を合わせることになったのだった。もう
立っている者もいた。ある者はJR6社のブロックを巡ると言い、ある者は、日本
縦断をすると言った。「青春18きっぷ」との併せ技である。
 静岡で、いつものように弁当を買って盛り上がる。鉄研の合宿以来だ。思い出話
に花が咲き、うとうとしているうちに名古屋。しかし霧で大幅に遅れ、ここで降り
る二人は時刻表を捲りながら、溜息をついた。
 「日本縦断」と「JR6社」の二人が残った。実は、前者が私である。取敢えず
この二人は、熊本まで一緒である。私は密かに小野田線のクモハ42を見に行こう
とたくらんでいたのだが、この遅れで諦めざるを得なくなった。
 草津でシティーライナーに乗る前に、うどんを食う。関西風の汁だったが、出汁
が効いていて実に旨かった事だけは記憶している。
 大阪、岡山・・・・と、鈍行列車の旅は続く。乗り換えるごとに、同じ顔がいる
ことがはっきりして来、同じたくらみを持っている奴であることが分かる。むふふ。
そのうちラッシュに出会ったりして(全国的には平日なのだ)座れないこともあり、
私ともう一人の「連れ」は、段々無口になる。
 そうこうしているうちに、九州入り。「謝恩きっぷ」は明日(3月31日)有効
なので、鳥栖まで行って、日付が変わったところで「かいもん」(だったよな)に
乗り込み、夜明かしをするという作戦だ。しかし鈍行で九州まで行けることは分か
っていたが、いざやってみると、これが結構しんどい。1000キロ以上もの距離
を実感する一日であった。この日、改札口から一度も出ていない(ひえええ)。
 途中、「連れ」が熊本でキック・ターン。名古屋で別れた連中と落ち合うという
ので、話の種にと、広島のキオスクで買った「もみじ饅頭」を渡してやる。そして
私は西鹿児島へ。はじめての鹿児島。しかしここですぐに「有明」で引き返さなく
てはならない。「馬鹿馬鹿しい旅」を狙った計画だが、やってみるとやっぱり馬鹿
馬鹿しい。


 いよいよ「日本縦断」である。
 「有明」で博多に着き、すぐさま「ひかり」に乗り込む。ホームは物凄い混雑。
どうにか座席を確保。しかし通路は塞がっていて、とても立ち歩ける状況ではない。
これから東京まで立ち続ける人には同情する。そこへ検札。すると周りは皆「ピン
クの切符」ではないか! 皆「お仲間」である。ひええええ。
 昨日1日かけた道程を6時間余りで走り抜け、東京着。そして上野へ向かい、熊
本で別れた「連れ」と落ち合う。
 「あっちの連中はどうだった?」
 「なんとかなったみたい。あ、もみじ饅頭、ウケてたぞ。」
 彼はJR6社の各ブロックを巡っているのであるが、四国は高松に30分位いた
だけ、という少々怪しい部分もあったりする。
 「やまびこ」で盛岡へ。そこから「はつかり」に乗り換える。青森着はJRにな
ってからの0:08である。

   「 いつも、国鉄をご利用いただきまして有難うございます。さて、
    ご利用いただいております国鉄は明日から新しくJR東日本として
    スタートいたします。
     会社の名前は変わりますがこれからも皆様の鉄道として、いっそ
    うサービスの充実に努めてまいりますので、ひきつづき、ご利用の
    程よろしくお願いいたします。                」
       (盛岡電車区「さよなら国鉄車内放送について」より)

 青森の手前で、こんな放送が入った。車内で、拍手があがった。


 低気圧が来ていたとあって、揺れる青函連絡船の中でうーうーいいながら、函館
着。就学旅行以来である。連絡船の煙突に、早速「JR」マークを取り付けている
のが見えた。ホームでは、ブラスバンドの演奏の中、記念列車が発車していた。な
んだか実感がないが、これが「その日」だった。こうして、私は「日本縦断」らし
き目的を達成し、「連れ」も、JR6社の総てのブロックの土を踏んだ。なんだか
あまりにも馬鹿馬鹿しい「旅」(?)であったが、それでも楽しかった。満足した
2人は、森まで足を伸ばして「いかめし」を食らい、函館市電を乗り回し、夜景を
見て、再び連絡船に乗り込んだ。
 

 と、まあ、そんなことを思い出させてくれる切符な訳で。実際にはこれと、あと
3枚の「18きっぷ」を使ったのですが、もう、こんなことをすることも無いでし
ょう。あ、帰りは「鉄」同士の「乗り換え椅子取りゲーム」に飽き々々して仙台か
ら新幹線にしちゃったんですけどね。

 だらだらと長い文章にお付き合いいただき、有難うございました。ふう。


                        CUB