***** 1945 sun3965 CUB 93/11/19 01:03 「人にやさしい鉄道」・・・・ 120 鉄道って、それが自治体など公共機関の運営であろうと、私企業のそれであろう と、その本来的な公共性から「社会資本」としてのありかたについて考える必要が ありそうです。尤も、これは鉄道に限ったことではないのですけれど、まあ、たま たま私個人の関心事が「鉄」なもので、そっちからのアプローチとして、ですね。 で、最近、ハンデを持った人達に対しての割引制度などが話題のようで。 ちょっと前に、自動改札の話題の中で私の素朴な疑問として、 「車椅子では通れないの?」 由のことを訪ねたところ、「車椅子の人は有人改札を使う」とのことでした。スペ ース効率など、なにかと有利な自動改札。しかしそれは、車椅子の人を通せるほど のゆとりも無い程の「効率追求」だったようです? では、有人改札を通るとしましょう。しかし実際には、利用者を自動改札へ誘導 する(要するに有人側を通りづらくしている)ための植木や「謎の箱」などが行く 手を阻んでいます。そういう時は、駅員にそれらを取り除いてもらうことになりま す。 そして階段・・・・。以前私が見掛けた光景では、駅員が他の「応援」を呼んで いる間、随分と待たされることになったようです。人員削減、合理化とやらで、こ ういった時の対応が迅速に出来ないのでしょうか? 尤も、通りすがりの人達が手 伝ってくれるのが本当なのでしょうけどね。 以前、駅の改良を含んだ、そういったことの改善を求めて、車椅子の人達がデモ をしながら新宿駅に押し掛けたことがありました。JR側も事前にそれを承知して おり、応援を呼んで対応したのですが、でもこれのもっと小さなものは日常茶飯事 なんですよね。 以前「ニュース・ステーション」で、ハンデを持つ人達への対応の立ち遅れにつ いて特集していました。例えば点字ブロック。あれの設置の手引きが作られたのは 随分前なのだそうで、その後色々欠点が指摘されているにもかかわらず、今だそれ に従って設置されているのだとか。実際に目の不自由な人の心理を無視したとも言 える設置法(例えば壁伝いに歩きたいのに点字ブロックは通りの真ん中にある、な ど)で、実際には活かしきれていないようです。 またこれは余談ですが、改札口の、あの「キキンキンキンキン」という鋏の音、 あれは目の不自由な人にとっては、改札口の存在が分かり易く、とても助かるのだ そうです。しかし今は静かな機械に取って代わってしまったため、そのいわば「音 の灯台」は無くなってしまったことになります。 「人の身になって考える」ことの傲慢さは肝に命じなければならないのですが、 もしも私がハンデを持っていたなら、出来ることならなるべく自分一人で、他人の 力を借りずに自分の成すことをしたいと思うでしょう。それはつまり、自分の思う ままに行動出来る、いわば自由を手にすることでもあるのですから。 ならば鉄道会社には、何が出来るのか。何を考えるべきなのか。そこいら辺を色 々考えてみると、いくつか浮かんできます。 車椅子用のリフトなどは、予算次第、といったところでしょうか。ただ、あまり 大袈裟な「仕掛け」を必要としない構造の駅、というのが理想なんですけどね。し かし申し訳程度のスロープなどでは考えものです。私の知っている例のスペシャル は、スロープを下っていくと途中でカクっと折れており、曲がらずに真っ直ぐ行っ てしまうと階段になってしまう、という代物。おおお、これはグレート。却下です。 自動改札機、幅広のが一つくらいあってもいいのでは? そして切符の出し入れ 口にも工夫が必要でしょう。そいや関西には、左利きの人の事も考えて、差し込み 口を10度ほど斜めにしてあるのがあるそうです。これはナイス。左利きでなくて も、怪我などで右手が使えない人だっているでしょうしね。 券売機も、最近流行の操作パネルが上を向いているタイプでは、車椅子の人や、 子供など背の低い人にとって使い易いものなのでしょうか? 点字ブロックは、その凹凸がポイントであって色は関係無さそうに思えるのです が、しかし実際には、弱視の方がその色を頼りに歩くということもあるのだそうで す。ですから、迂闊に目立たない色にしたりすると、困る人達が出て来る訳です。 それと関連してふと気が付いたのが、205系等のステンレス車って、ドアの部分 にはライン・カラーが入っていませんよね。あれって、実は結構役立っているのか も? だって、「どこがドアか」というのがすぐ分かるではないですか。まあ連結 部分もラインが切れていますけど、最近はほら、転落防止のゴムが付いていて、そ こにもラインが入っていますよね。 ドアついでに、以前小田急新宿駅のホームで、駅員が白い杖を持った人に 「柱のところにドアが来ますから・・・・」 と説明しているのを見掛けた事があります。実際にドアの間隔と柱のそれとが一致 していたかどうかは確認していないのですが、もしそうであったならこれはスグレ モノです。 前の「工業デザインは、設計思想の体現である」的な話になってしまうのですが (そんなんばっかですいません)、その道具の使われ方や、使うにあたって注意す るべき事柄について、それが一目で分かることが大切だと思うんです。可動部分が あるのなら、そこがそうと分かるような色や形に、危険であるならば、その危険を 予感させる色や形に、探しているのならば、それを見付け易い色や形に・・・・。 それらを巧く具体的な形に出来たのならば、端的に言うと、予め約束事を決めて おくことなく(或はそれを最小にして)、その道具を使うことが出来ます。おっと 注釈を入れますと、鉄道は、様々な「道具」を介して運営され、利用されるのです が、またその輸送システム全体も「道具」といえます。 逆に言うと、道具のカタチを見れば、その思想も見えてきます。 ヨーロッパの客車で見掛けたのは、ドア板の内側がオレンジ色になっているもの。 ドアが開くと(折戸だったか)そのオレンジ色が見え、ホームの上から乗降口を見 付け易いのです。このような物を見ると、道具自身の「使命感」のようなものまで 伝わってくるようです。見てくればかりで使い勝手の悪い道具なんてものは、趣味 の物ならいざ知らず、公共性の高い鉄道の世界では考えものです。 身近なところを見回すと、そのような「使命感」を感じる物がどれくらいあるの でしょう。駅の構造、ホームの広さ、階段、車両の乗降口、券売機、案内看板のレ イアウト、などなど。「詰めの甘い」感を拭えないものも、中にはあるようで。 利用者全体の話になってしまいましたが、ハンデを持った人達の数は、その中で は明らかに少数派です。しかし社会に彼らを受け入れる用意があるのなら、彼らが 自由に利用出来るような環境づくりは必然なのではないでしょうか。 「人にやさしい鉄道」・・・・言うのは簡単ですが、しかし実際には、まだまだ イメージ先行のようです。そしてそれが、少数の人を切り捨てる「やさしさ」であ ったならば、もはや公共交通とは呼べないでしょう。 鉄道といえば、リニアやアトラスの鉄道総研あたりでそういった研究はされてい そうなものなのですが、実際はどうなんでしょうね。旅客流動を考慮した建築関係 の研究などはされているようなのですが。 CUB ***** 1992 sun3965 CUB 93/11/25 22:13 あれま運輸省が? 40 あら? なんでも運輸省が、いわゆる障害者や高齢者の立場から見た「交通環境」につい ての「本格的な」調査を始めたというではないですか。 やるじゃん、いとーくん(ぉぃ)。 んんんん、しかしなんとタイムリーな(結構オドロキ)。 まずはモデルとして横浜市での調査をするのだとか。交通局のことかな? 今更、と言ってしまうのは簡単ですけど、今からでもやる気になったのなら、ま あ、評価はしてもいいかな? 勿論結果次第だけど。 社会資本の充実・・・・将来ずうっとこの国が潤っているかどうかも分からない んだし、まだ経済力があるうちの、そういったいわば「将来への投資」は、意義が あると思うんですよね。尤もこの国には、ちょいと儲かると、すぐ絵だとかに手を 出す輩が多かったんですけど。 ところで一時は斜陽といわれた鉄道ですけど、まだまだ出来る事はたくさんあり ます。新幹線は、世界に向かって高速鉄道の可能性を証明しましたし、現にヨーロ ッパでは高速鉄道網計画が目下進行中で、航空機との連携を深めながら発展する兆 しです。 また都市内での移動手段としても、道路にクルマが溢れ返る現実を見れば、鉄道 のメリットは十分活かせられるであろうことが分かるでしょう。 ドイツのある町では、町の周囲に駐車場を設け、町の中は自動車通行止めにし、 人々は路面電車や徒歩などで移動するようになっているそうです。これをそのまま 一極集中型の日本の都市にあてはめる訳にはいきませんが、徒歩の延長的に電車に 気軽に乗り降りしながら移動する、ということが可能であれば、重い荷物でも無い 限り、クルマに頼る必要は薄れてくる訳です。体一つで、実に身軽に移動出来ます。 これを社会資本の充実、と呼びたい私なのでした。 そして、それがより多くの人にとって便利であるように。 CUB