***** 2181 sun3965 CUB 93/12/29 02:36 18する・其の壱 113 日曜日は爆睡しておりました。ふう。 18きっぷなんですよ。久々に「あのノリ」で出掛けたくなったことは話しまし たが、しかし出掛けるからには何らかの明確な「理由」が必要でした。 そんな折、レイルマガジンから「日本の蒸気機関車」という本が発売になりまし て、それを見てうるうるしているうちに、なんだかSLを間近でじっくり眺めたく なってしまったのです。 そう、梅小路です。 金曜日はフレックスして早く帰宅します。しかし何かというと勘ぐられてしまう クリスマス・イブ。ホントにそうであったなら満更でもないんですけどね。事実が 伴わない以上空しいばかりで、ただただ寒い出発なのでした(・・・・)。 さて、この日の大垣夜行は品川発。さらにサポート役の臨時列車も設定されてお り、私は発車2時間半位前にやってきたのですが、臨時ホームのその両側には、ド ア一つあたりにすでに5、6人ほど並んでいました。私はなんとなく、臨時の方に 並ぶことにします。 列車が入線して、それぞれに人が乗り込みます。すると、何のことはない、ボッ クスあたり2人位の混雑度。やれやれ。 翌朝、名古屋着。ここできしめんなどを食べようと思ったのですが、ホームのき しめん屋さんは休み。あれま。それからJR東海の幻の飲料「タヒボ・ベビーダ」 を探すのですが、これも見つからず。これ、どことなく「ういりー」系の味なんで す。以前御殿場線の谷峨駅で飲んだことがあるのですが、あれは強烈でした。それ 故にやめちゃったのかな・・・・。 コンビニでパンなどを求め、電車に乗り、大垣着。あらららららら、ここ、駅ビ ルになったの? オドロキです。 乗り換えた列車は以前EH10などが挑んだ難所、関ヶ原を駆け登ります。雪が 降ったようです。柏原。以前、ここの伊吹山をバックにした絵を撮りに来ましたっ け。あの時は寒かったな。 米原で新快速に乗り継ぎ、京都着。しかしここで私は、重大なミスを犯してしま ったのです。 梅小路には10年ほど前に訪れたことがあったのですが、機関庫は西を向いてい ると記憶していたのです。なので先に交通科学博物館を観て、午後、庫内に日が差 し込むようになってから梅小路を観ようと。 新快速は京都を出発し、私は進行方向右側、つまり梅小路の方を見ていたのです が、そしたら機関庫は真南を向いているではないですか! しまった! 科学館へ行ってからでは、恐らく陰ってしまうだろう・・・・しかし、しかし、 引き返すにもこの列車は新大阪までノン・ストップ・・・・ああ。 結局光線は自分ではどうにもならないので、京都へ引き返すことにして、ぼーっ と新大阪まで。 山崎。んー、サントリーの前から狙ったこともありましたっけねえ。あ、これゴ ハチの追っかけの頃の話です。吹田操車場跡。ここも線路をひきはがされ、だだっ 広い空き地が広がるばかりで、かつての賑わいの名残はありません。んん、新鶴見 と同じですね・・・・。 でまあ、梅小路へ行き、科学館も行き(詳しくは後述)、大垣まで戻り、駅前の ゲーセンでバーチャレーシングをやり(GP仕様! 初級で39秒切れなかったけ ど・・・)、ホームに並んで列車に乗り、翌朝無事川崎に着いたのでした。 ところで、道中に気付いたことなどを。 JR東日本では「びゅーかーど」なるものが運営されていますけど、これと同様 なものが、東海では「えくすぷれすかーど」、西日本では「JRうぇすとかーど」 (・・・だったか?)という名であるんですね。まあ不思議な事ではないんですけ ど。恐らく(間違いなく)これらの間にオレンジ・カードのような互換性は存在し ないのでしょうが、まあ、VISAなどの提携会社を介して・・・・ってそりゃ意 味無いぞお。 カードといえば、こちらでは売っていないようなオレンジ・カードを物色するの もひとつの楽しみでして、これは、という絵柄のものを期待していたのですが、う ーむ、東海は「のぞみ」一色。しかも絵柄のいいものほど高い。結構気に入ったも のがあったのですが、一万円だったのでやめました。西日本は風景ものオンリー。 どこもかつてのようなバラエティーはないようで。うーむ、大阪で富士山の絵柄見 ても、嬉しないわ。 それから大垣夜行、臨時の方が狙い目かも知れません。というのは、いつもフル・ サイズを愛用の「鉄」には分からない盲点(ぉ)があるんです。ハーフ・サイズの 時刻表の場合、臨時列車は巻頭の黄色いページにしか載っておらず、本文には定期 列車しか記されていないのです。帰りの大垣駅でも、案内放送が入るまでは臨時の 方のホームには人気がない有り様。まあ、案内については改善されていくのでしょ うが、それでもこれは「出し抜く」チャンスかも知れません。 大垣駅で列車を待っている時、ホームのわきに「1997年4月1日開封・日本 国有鉄道・JR西日本」といった具合に記された標が建っているのを見付けました。 そこにはタイム・カプセルが埋まっているのでしょうか。10年後の開封に、何を 込めたのでしょう。あれからもうすぐ7年、早いものです。開封まで後3年あまり、 うーん、その間の世の中の変化は、大きかったのか小さかったのか。あ、あの頃は 世をあげてバブリーだったのねん・・・・。 ところで、先代の新快速「シティー・ライナー」、オリジナル色のものを京都で 見掛けました。お懐かしや。でも一段下降窓で・・・・あれ? 新しいぞ。 んー、311系は結構かっこいいぞお。ああいう、おとなしい顔つきでセミじゃ ないクロス・シートっていうの、結構好きなんですよ。 まあその他色々。 でもちょっと意外だったのが、淡々と旅程をこなす自分自身でした。かつてのよ うに、はしゃぐでもなく、眠れなくなる訳でもなく、まるでそれが日常であるかの ように、妙に違和感が無かったんですよね。遠くに来たという緊張感もなかったし。 尤も、「旅」というのとは明らかに趣を異にしていた訳ですけど。 大人、になったのかな?(笑)・・・・・それはともかく、また「次」につなが るものを得た感があります。まだ行けますね。 昼休みに時刻表をめくっている CUB