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2182 sun3965 CUB     93/12/29 02:36 蒸機を眺める                         107



 京都駅のホームでちょっとスナップなどをしてから(今時、列車名の書いてある
看板が、軒下に張ったワイヤーから下がっていたりする・・・)、歩いて梅小路へ
向かいます。
 
 国道1号線(おお、これを辿れば家まで帰れる・・・ぉぃ)を渡り、山陰線の高
架の辺りまでやって来ると、遠くで煙が立ち上っています。んん? 公開運転の時
間ですかな? 動態保存機がちょっと動いてみせるんですよね。
 
 相変わらず古びた感じの入り口を抜けると、正面には扇型機関庫の背中、左右に
は資料館・・・・以前のまんまです。
 
 資料館には、往年の特急列車のヘッド・マークや御召列車の飾り、蒸気機関車に
まつわる様々な道具や何やらが展示され、他に現役時代の走行写真のパネルなどが
掛かり、10年前と全く変わっていない様子。これからも、ずっと変わらないんで
しょうね。
 
 火床に見立てた、大きくて浅い箱があります。これは投炭の訓練などに使われる
もので、箱には所々番号や記号がふってあり、狙ったところへ練習用の砂利を投げ
込むんです。これが上手く出来ないと、実際の現場で思うように熱エネルギーが得
られず、上り坂で苦労することになります。SLってデリケートなんです。
 
 知り合いに国鉄マンだった人がいまして、彼はこの給炭の試験を受けた事がある
のだそうです(結果は聞いていないけど)。なんでも、片手でスコップを持ち(小
スコってやつですかな?)、決められた回数だけ砂利を投げ込み、そうしたあとで
「火床」に撒かれた「石炭」の均一度をゲージで測る・・・・という厳しいもので
あったようです。特に手前の方に投げ込む時の、手首の返しがなかなか難しかった
のだそうで・・・・。機関車のパワーの源はこれにかかっていた訳ですから、それ
が出来る人達である機関士、機関助士のプライドの高さも肯けるというものでしょ
う。「運転士、じゃないんだよ」と。
 
 蒸気機関車について詳しくは知らないのですが、C62などには自動給炭装置が
付いていましたけど、そのすぐ前あたりの急行型、特急型の機関車の給炭は「もは
や人間の能力を超えていた」ものであったといいます。高出力機は当然、火床も広
く、その石炭の消費量もべらぼうなのです。C59なんか、好みのスタイルなんで
すけどねえ。
 
 ところでこの人、蒸機の話題になると遠くを見る目になりまして、「ボイラーが
温まってくると膨張するものだから、あちこちでカン、カンって音がするんだよね
・・・・・あれは目覚めの音だよ」なんて実感のこもった話をしてくれるものです
から、聞いている方もうるうるしてきてしまいます。変にクールで時には独善的と
もいえる「マニア」のそれとは違った、生活を共にし、労るように接して来た人な
らではの話しっぷりです。
 
 さて話は梅小路に戻りまして、扇形庫を見回すと、そうそう、C58 1ではな
いですか。あれは14年近く前でしょうか。横浜へやって来た折に観に行ったもの
です。当時このシゴハチは車籍があって、シゴナナと共に山口線で活躍しており、
その頃は緑色のナンバー・プレートを付けていて、シゴナナの赤といいコントラス
トを醸しているのでした。でもなんで車籍を失ってしまったのでしょう?
 
 意外なのが、C53が1輌しか現存していないこと。C53というと、流線型の
43号機や、ナンバーは忘れてしまいましたが襟巻き型のデフなんてのもいました
っけ。古いレイル・マガジンで紹介されていました。目の前にいる45号機は、デ
フ無しの、一見なんでもないタイプ。しかしこれが、唯一現存するシゴサンなので
した。3シリンダー式の採用が有名ですね。
 
 ところでこのデフ無しのシゴサン、中々格調のあるスタイルなんですね。いまま
で人がそう言っているのを何度となく聞いていたのですが、今目の当たりにして納
得した次第です。これ、デフ無しがかっこいいですよ。フロントのデッキ(?)部
分のスラントしているあたりがなかなか。
 
 他にもハチロクだのキュウロクだの、以前は余り関心を示さなかった大正の名機
たちにも惹かれるものを感じてしまいまして。リベット打ちのテンダーやスポーク
動輪ばかりではなくて、ですよ。んー、10年前と好みが変わってきたのかな?
 
 さて、機関庫の外にはC61がたたずんでいます。動態保存機は6輌あるのだそ
うですが、今日はシロクイチのようです。
 
 運転時間が近付き、助士の人が投炭を始めます。すると陽炎が出るのみだった煙
突は煙を吐き始め、やがてそれは勢いを増してきました。浅い眠りから覚めるよう
に。
 
 機関士も乗り込み、助士と二言三言交わしたあと、しばらく圧のチェック。その
間助士は投炭を続けます。
 
 子供が「ぽぉーしてぇ!」と叫ぶと、機関士はちらりとこっちを見、悪戯っぽく
笑いながら、
 
 ぼおぉっ!
 
 リクエストした子供自身、びっくりした様子。和やかな笑いが広がります。
 
 「お父さん、懐かしいでしょう?」と子供夫婦に問いかけられた老人が、じっと
シロクイチを見つめています。その視線はどことなく感傷的にも見えるのでした。
この機関車の向こうに、何を映していたのでしょう。
 
 様々な世代の人が見つめる中、シロクイチは直線を往復し、転車台に乗り、石炭
と水の補給をして、今回の運転を終えました。
 
 私はこれまで、定期運用で働いている姿こそが鉄道車両の本来である、という考
えを持ち続けて来ました。これは今でも変わらず、「客寄せパンダ」的なものにも
否定的な見解を持っているのですが、しかしこういう、様々な世代の人に囲まれ、
親しまれて過ごす「老後」があっても良いんじゃないかなあ、という気もして来る
のでした。既に本来的な意味においての「鉄道車両」としての生涯は終えているも
のの、こういう生き方があってもいいのではないか、と。
 
 梅小路機関車館。きらびやかさもなく、ただ古いままの機関庫に残された蒸気機
関車達に会える場所。こんな素朴な場所があることに、私は感謝しています。ここ
は無煙化を推し進めた国鉄の、蒸気機関車に対するいわば最後の良心の場所なのか
も知れません。
 
 ところで扇形庫の一部はいまだ「現役」でして、そちらのエリアにはC56 160
が入庫しておりました。
 
 
           科学館の話は、また今度ね      CUB