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2467 sun3965 CUB     94/03/21 18:37 田切とレールパーク                   152



 思い付いたように出掛けてきてしまったのでした。
 
 土曜日。チケット・ショップへふらりと入り、「18きっぷ下さい」。
 
 その夜、私は新宿駅のホームに立っていました。スーツ姿や晴れ着姿の若人達を
縫うようにして(謝恩会帰りですねきっと)、早足で列に加わります。
 
 そう、例の中央線夜行快速松本行に乗るためです。12月の改正で不定期になっ
たものの、この日は運転日。以前飯田線の旧国を撮りに行った帰りに、これの上り
に乗ったことがあるのですが、それ以来ですね。既に上りは廃止なんですけど。
 
 これでどこへ行くのか・・・・・・飯田線の田切、です。ここでの撮影は、光線
状態の関係で午前中に限られるのです。「日帰り」で行くなら、辰野口から入るし
か無いんですよね。アルプスの山々をバックに、ごとごととやってくる電車・・・・
山が白いうちに行こうと思いまして。それから「佐久間レールパーク」も。
 
 山男や「鉄」(新宿でシュプール号とか撮っていたから間違い無い!)を乗せた
列車は、夜の都心を抜け、一路、信濃路へ。
 
 一旦松本まで出て、1時間の待ち時間の間にコンビニで食料を買い込み(明け方
だろうとこんなに手軽に現地調達が出来るとは、便利な世の中になったもんです。
しみじみ)、立川行の列車で上諏訪へ。このままうっかり立川まで連れ戻されてし
まってはあまりにも大間抜けなので、寝入らぬようにと、しばしの緊張。
 
 上諏訪から、飯田線直通の列車に乗り込みます。じきに列車は飯田線に入り、盆
地の中を進みます。
 
 伊那市着。交換待ちの間に、知る人ぞ知る「高遠饅頭」を1つ所望してしまいま
した。高遠といえば、饅頭と城跡と桜、なんですよね・・・・。
 
 生憎の曇り空とはいえ、やがて右手の車窓に、雪を頂いたアルプスの山々が見え
はじめ、旅情らしきものを醸すのでした。ここで私は止めていたテープを再生しま
す。
 
「飯田線のバラード」・・・・・・・ハマリですね。
 
 やがて目的地である田切着。ホームの階段を降り、旧田切駅跡を覗いてから、撮
影ポイントへ。まずはΩカーブの真ん中辺で、そして中田切川の鉄橋で撮り、再び
はじめのポイントに戻ると、その後方に、三脚が・・・・・あれれ?
 
 他人のフレームに入ってしまってはナニなので、口に手を添え、
 
「ここ、入りますぅ?」
 
「いえー、だいじょーぶですよぉ」
 
それは結構。・・・・と、その人がこちらへやってきて、
 
「どちらからですか?」
 
「川崎でーす」
 
「・・・・・・」
 
名古屋の方だそうです。行き先が同方向だというので、彼のワゴンで同行すること
にします。
 
 一旦、田切の駅の下の商店に立ち寄り、例の「田切通信」や、新しいスタンプな
どをもらいます(先代の、「あ〜る」のスタンプはいずこへ?)。店の奥さんの話
を色々聞いているうちに、なんでも、今日から「かかってきなさい! 飯田線フォ
トコンテスト」の作品発表会が佐久間レールパーク内にて開かれているとのこと。
 
 これは。縁、ですかねえ?
 
 「田切ネットワーク」の人達も今日はいるそうで、あそこへ行く理由がもう一つ
出来ました。
 
 田切を後にした私達は、佐久間を目指します。で、この人なんですけど、私と同
い年なのでした。東京の大学に通っていたそうで、そこの「鉄研」で活動していた
そうです。なんでも、OBにはあの広田尚敬氏もいらっしゃるのだとか。専攻(笑)
は鉄道写真。そこで幻の雑誌「レール・ガイ」のことを尋ねますと、「東京から来
た友達に見せてもらったことはあったけど、中京地区で売っているのを見た記憶が
ない」とのこと。でもその、「レイル・マガジン」のグラビア写真にも続いている
路線には、意見の一致を見た感があります。「あれはいい」。
 
 また、「架線不許可」のディーゼル・ファンだそうで、「ブルドッグ」81系の
「くろしお」の話などを聞かせてくれました。私も高校の「鉄研」の合宿で南紀に
行った(もう10年以上前)ことがありまして、初対面だというのに、「南紀」の
撮影ポイントの話(私が撮った「南紀」は、絵入りヘッドマーク化の前)などで、
「あそこ行きましたぁ?」「行きましたよぉ」などと盛り上がってしまいました。
 
 はじめ田切で会った時、お互いに「今日はなにか珍しいものでも来るのだろうか」
と思ったのですが、どちらもただの「なんでもない日に来る物好き」であることが
判明(笑)。なんだかなー。
 
 飯田市の外れのカレー屋さんで腹ごしらえ。彼はここに寄るのが習慣なのだそう
で、私は「なんとかアマゾンカレー」というワニ肉のカレーを注文。なかなか美味。
ワニ位でびびってはいけませんよ。ここ伊那路といったら、ゲテモノ料理が有名で
はないですか。蜂の子とか・・・・ううっ。
 
 クルマは天竜峡を過ぎ、対岸に飯田線が見え隠れする、渓谷のくねくね道を進み
ます。
 
 と。
 
「あ、あの鉄橋いいですねえ」
 
それは渓谷の対岸の、トンネルとトンネルとの間で「息つき」のように列車が姿を
現すような、短い鉄橋で、恐らくどこかに載っていたのでしょう、見覚えあります。
時刻表を見ると、すぐに列車が来るようなので、撮ることにします。
 
 よく考えたら、それ、私が乗るつもりだった列車なんですよね・・・・。
 
 ふたたびクルマは走り続け、ようやく中部天竜駅前着。
 
 佐久間レールパークは、どうも今日がオープンだったようです。事情がよく分か
らないけど・・・・。で、近頃保存が決まったキハ181−1が、それと同時に公
開されたと。奥の方にそのピカピカの車体が見えます。ヘッド・マークは「しなの」。
 
 さてさて、写真展会場へ行きますと、内輪ウケ風から、はっとさせるよな正統派
から、色々な作品が並んでいまして、「おもいっきり楽しんでいるな」というのが
伝わってきます。で、近くの人に「田切〜」の人のことを尋ねますと、我々が着く
すぐ前のトロッコ列車で帰ってしまったとのこと。あれま。
 
 保存車両は、恐らく救援車としてなどで残っていたのだろうと思われる客車が多
く、オロネ10やらマイネ40やらオハフ33などなど。それぞれ1、2、3等の
帯が入っていたのが、なかなかアジなのでした。「おいらん」こと建築限界測定車
オヤ31や操重車ソ80、なんてのも、なかなかインパクトがありますね。
 
 あとは、お馴染みのED62や、クハ111−1(!)、そしてサハシ153改
造の教習用車両クヤ165。こういうのがあったのは知っていた(Nゲージの改造
記事を読んだ記憶がある)のですが、本物を拝めるとはねえ。
 
 そして今回四国からやってきたキハ181−1に、「真打ち」クモハ52004。
実は私、流電に会うのは初めてなんですよ。んー・・・・いいな。
 
 さてこの「佐久間レールパーク」、例えるならこちらの「青梅鉄道公園」のよう
な雰囲気でしょうか。こじんまりとして、どことなく手作り風の雰囲気が漂ってい
て、心も和みます。ただこちらは、0系を緑に塗るようなエゲツナイ代物には出喰
わさないので、その分安心ですよ(ぉ)。それはともかく、時間を忘れて、ぼーっ
と流電でも眺めながら過ごすのも、なかなか良さそうです。
 
 ここまで乗せてくれた(飯田線全線のおよそ半分!)彼とはここで別れ、私は再
び予定のスケジュール通りの列車に乗り、豊橋へ出て東海道線に乗り、静岡で東京
行を待っている時に、同駅着の「東海」の先頭車が大目玉だったので思わず撮影し
たりなんかしつつ(ぉ)、日付が変わる数分前に我が家へたどり着いたのでした。
 
 
 飯田線・・・・・・JR東海にはイロイロ注文をつけたいこともあるんですけど、
ここ飯田線に限っていえば、地元と密着した雰囲気が、「古き良き」時代の鉄道を
思わせるのでした。民営化され、「業績」というキーワードに重みを増す昨今、そ
の中で「手作り」的なアイデアと企画を色々展開しているのを見ると、「がんばれ」
と応援したくなります。例の「田切ネットワーク」の人達の活動にも好意的なよう
で、貸し切り列車の、田切での発車式にもわざわざ管轄駅の駅長さんが立ち会いに
来たのだそうです。あの田切駅下の商店の奥さんが呼んだそうですが?
 
 飯田線・・・・・・ふたたび、近いうちに。
 
 
                          CUB