***** 2809 sun3965 CUB 94/08/16 16:52 野上でトワイラ 144 「‘94年夏・青春18どろどろ計画」第一弾、野上電鉄跡のトワイラです。 さる8/11(木)の夜、私は品川駅のホームに立っていました。「発車2時間 前に並ぶ」のが「取り敢えず座れる」目安で、今回もそれに従った私なのですが、 いやいやいやいや、結構な人出ですよこれは。でもまあ、「座るだけ」なら何とか なりそうな塩梅です。 なんとなく、臨時9375Mの方の列に並ぶ私。しかしそこには意外な落とし穴 が・・・・? いよいよ入線。ドアが開く・・・・・9375Mは167系電車。そう、修学旅 行用のアレでして、ドアの幅は700mm。我先にとばかり皆その狭いドアへ押し 掛けるものだから、荷物が引っかかったりして思うように入れず。ふと同じ車両の 反対側のドアを見ると、あちらからはどんどん人が入ってくる・・・・焦る・・・・ ますます押す力が強くなる、前の人が蹴躓く! あぁあぁあぁ・・・・・・・もう この一角はパニック状態。そんな中で、私はどうにか端っこに座れたのですが、い やいや、危ない危ない。 わいわいやかましいグループがいたりして、中指を突き立てたりしつつ、それで もうつらうつらしながら、どうにか大垣着。 ここから米原へ。そうそう、米原機関区跡の建物、いよいよ取り壊されてしまっ ているようです。あれま。 米原からは、ちょっとズルして新幹線。それも京都までという、ほんのちょい乗 り。これで目的地・海南への到着が1時間稼げるんです。それに米原〜京都間なら、 特別料金で¥2,020ポッキリ。嬉しいですねえ。 ホームへ入ってきた「こだま493号」、あれあれあれあれ、100系ではない ですか。しかも「G編成」とかいうタイプ。ふーん・・・・・なんとなく0系の方 が嬉しかったんだけどなあ。まあとりあえず、これが100系初乗車(だったかな?) という訳で。びゅーびゅーびゅー、速いぞ。 京都から新快速に乗り、大阪着。 さてここでですね、私は阪急梅田駅へと向かうのでした。そして売店で頬を赤ら めながら「これ下さい・・・・」 「阪急電車」。関西で売られている、玩具の私鉄電車シリーズです。先月のレイル マガジンで、これの京阪8000系をNゲージに仕立ててしまう記事がありました。 他に近鉄の特急車なんかもあるそうなのですが、それぞれの鉄道の駅でしか扱って いないそうで、取り敢えず立ち寄ることが出来た阪急、という訳です。「阪急電車」 は6300系。京阪8000系を比べると随分「落ちる」感じなのですが、まあそ こはそれ、「味」です。 「袋に入れましょうか?」 「そ、そうですね。お願いします・・・・・」 大阪環状線、阪和線と乗り継いで、ようやく海南着。 ホームの端っこへ行ってみると、おお、いますいます、野上の電車が。既に廃止 になっている訳なのですが、元々ひなびた(失礼!)野鉄、なんだか過日の面影そ のまんまなので、「廃止」という事実をつい忘れてしまいそうです。 駅前では、例の「リゾート博」の案内が。送迎バスも出ています。平日とはいえ、 「ごった返し」を懸念していた私は、ちょっぴり肩透かし(どおゆうことか分かる でしょ?)。 さて日方駅跡。ホームには電車が止まったままで、「長いあいだのご愛顧ありが とうございました」の看板もそのまま。まるで廃止の翌日から、時間が止まってし まったかのようです。 日方の駅前には野鉄の本社の建物があり、これが木造平屋建の「モダーン」な感 じの建物で、看板もまだかかっています。 おや? 中では明かりが灯っています。人の話し声までします。声は明るい調子だったの ですが、うーん、残務処理に追われているのでしょうか・・・・・・。 さぁて、ここから歩け歩けの始まりです。連絡口、晴れていたと思ったら雨が降 り出して来たりしつつ、それでも途中コンビニで買ったパンを出して、春日前のベ ンチで昼食。幡川、重根、紀伊阪井、沖野々、野上中、北山、八幡馬場、紀伊野上、 動木、竜光寺、下佐々、そして登山口。総延長11.4km。 まだ写真が出来上がっていなくて、記憶も曖昧なのですが、いやー、歩いた歩い た。写真撮ったりしながらだったので、5時間ほどかかってしまいました。途中か らまた晴れてきて、望み通り「どろどろ」になれたというのに、前進する気力を維 持するのに一苦労(情けない)。 ところで、道中全く「鉄」には会わなかったですね。もうこれだけ間があくと、 来る人もいないのかな? 私は物好きなんだけど。 野鉄の電車は、日方と登山口に残っています。そして登山口近くの「くすのき公 園」と、地元の個人(開業医の方)宅には「保存」という形で残されています。 私は例によって「いきあたりばったり」で、沿線の畑で農作業をしているおばち ゃんにきいてようやく分かったのですが、「くすのき公園」は、登山口から上り方 向に線路を辿って、最初の大きなカーブの内側にあります。大きな木(樹齢500 年位だそうだ)が目印。その片隅に、廃止当日のままの姿の電車がたたずんでいま す。結構間合いがとれるので、形式写真も撮れますよ。 そのすぐ近くの、NTTの電話局のすぐそばに、個人の方の保存車両がいます。 雑誌の記事では青空の下で陽射しを浴びているのですが、私が行った時には、屋根 が付き、丁度柵の工事をしているらしいところでした。うーん、ちょっと残念です けど、致し方無いですね。 レールなどの設備は、まだほぼそのまま残っています。駅もほぼそのまま。これ らを撤去するのにもお金がかかる・・・・・とうことは、まだしばらくは拝めるか な? 駅に残っている電車達も、「残している」というよりも「残ったまま」とい ったところなのでしょう。 登山口から、野鉄の後を継いでいる「オレンジバス」に乗り、海南へ。およそ30 分で着いてしまいました。電車の時と変わらないですね。たーだ、道が狭いもので、 擦れ違いに難儀する場面も度々・・・・・・。 11年前の夏、まだまだ「明日」のあった頃に1度だけ訪れた野上電鉄。たった それだけなのですが、なぜかまた来てしまいました。沿線を歩くと、こんなにも魅 力的な風景だったのかと、その後撮影に来なかった己を今更ながら悔やむのでした。 そこには古き良き鉄道と、古き良き日本の夏の風景があった・・・・・ノスタルジ ーだけでは鉄道は成り立たず、野鉄の運命もいわば時代の必然だったのかも知れな いのですが、しかしそれが失われてしまったのは、やはり寂しい訳で。銚子電鉄じ ゃあ、ちょっと違うのよね〜・・・・・・。 うーん、また冬に訪れてしまいましょうか。今回は「全線踏破」に拘るあまりに バタバタしてしまったもので、今度はもっとゆっくり「しみじみ」してきたいなー と。これからも度々訪れて、「野上電気鉄道」の消え行く様を見届けるのも、これ また「トワイラ」ゴコロかな? そんなこんなを思いながら、海南からまた電車で天王寺、大阪、東海道を上って 再び夜行(372M)に乗り込み、翌朝帰宅・・・・・ふう。 しかーし、まだこれでは終わらないんだな・・・・・。ぉ とぅーびーこんてぃにゅーど。 CUB