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3090 sun3965 CUB     94/12/26 21:01 野上の電車に乗った!                 211



 夏に続いて、再び野上を歩いて来たんです。
 
 金曜日の夜、品川駅へ。大垣夜行の定期の方で行くんです。混んでいるんだろう
なと入線2時間前に並ぶも、並んだ列の私のポジションは3番目。うーん、肩透か
し。いざ乗り込んだところで、ボックス1つ占拠。おおなんなんだこの空き具合は!
発車までにもう一人が座って、結局ボックスには2人になったものの、このあまり
にも楽勝な展開に、些か拍子抜けなのでした。臨時もあるとはいえ。
 
 夜も明けぬ6時過ぎ、名古屋着。いやいやいや、今回はちょーっと贅沢をして、
なんと新幹線を利用するのです。シンカンセン、ですよ。もう何年も指定券など買
ったことなく、新幹線は夏に1区間だけ(割引制度がある!)乗っているものの殆
どの移動は専ら「18きっぷ」のこの私にとって、今回は「大名旅行」なのです。
 
 名古屋始発の「ひかり」。車中にて朝焼けを見ながら味噌カツ弁当を食す。うー
ん、これで2時間は稼げるぞ。
 
 
 
 京都で同時発車の「はるか」を横目になおも走り、新大阪着。さっきの「はるか」
をホームで間近に見た(やっぱ雅だなあ)のち、地下鉄でなんばへ。
 
 折角だから「ラピート」くんも見てやろう、なんて。今月の「レイルマガジン」
で京阪テレビカーに続いてまーたまたN動力化の記事が載っていますけど、例の
「高橋商店」のシリーズの、「ラピート」の玩具(4両セット/¥1K!)を売店
で購入。やわらかな言葉で答えるおねいさんの前で「2つ下さい・・・・・」は、
結構恥ずかしかったでしゅ。(^^;
 
 さーてさてさて、いよいよホームに入線してくる、本物のラピートくんにご対面
なのです。ホームの先で一応カメラを構えていたのですが、フレームにその姿が入
って来た途端、エモイワレヌ笑いが込み上げて来て、シャッターを切るのが辛かっ
たですよ。いやいやいやいや、やっぱホンモノを目の当たりにすると、笑えてしま
います。
 
 でもあれですね、ラピートくん、子供達には絶大な人気のようです。確かにカッ
コイイかも知んない。でも、でも・・・・・・・やっぱあれはねえ。
 
 改めて間近に見ると、特に窓まわりをはじめとして「ハリボテ」の感は拭い切れ
ません。また、変に細かいディテールが付いているものだから、かえってその「よ
れよれ」が目立ってしまって、夏休みの工作のようです。鉄道車両って、ディテー
ルで見ると結構歪んでいたりするんですよね。それが大きいものであり、距離を置
いてみるものだからあまり感じないんですけれど。
 
 さて、天王寺へ出て、阪和線の電車に乗り込んだところで、大事なことに気付い
たのです。
 
 あ、野上沿線の地図忘れた・・・・・・・・・。
 
 ま、いっかあ。前にも歩いているところだし、なんとかなるでしょ。
 
 
 
 どうやら午前中に海南着。撮影関係以外の荷物をロッカーへ預け、早速野上電気
鉄道の起点、日方駅へ。
 
 なんと、夏と殆ど変わっていないではないですか。木造の駅舎、「長い間のご愛
顧ありがとうございました」由の看板、ホームに横付けの電車、みんなそのままで
す。夏に訪れた時にも「廃止翌日から時間が止まってしまったよう」と話しました
けれど、さらにそのままでいる訳です。駅前の、本社の建物も変わらず。看板もま
だかかっています。
 
 たーだ、ちょっと変化が起きていました。いよいよ線路の撤去が始まったのです。
日方駅からJR海南駅との連絡駅だった、その名も「連絡口」の方を臨むと、向こ
うの方で枕木を積み上げる作業をしているのが見えました。レールも勿論、剥がさ
れています。いよいよこの野上電鉄も、既に解散しているとはいえ徐々にその姿を
消していこうとしている・・・・・・・・沿線の人々の記憶からも。
 
 さて、歩け歩けなのです。今度は冬だから汗かかないだろうという私の目論見は
見事に裏切られ、小春日和を思わせる穏やかな陽気に、ダウンジャケットにさらに
デイパックの背中はムレムレ。うう。夏にも入ったコンビニで昼食を仕入れ、これ
また夏にも立寄った春日前駅跡のベンチで休憩。
 
 今回は、メインを終点・登山口駅近くの保存車両を眺めることに置いていた(あ
わよくば夕焼けバックで)ので、さっさか歩くようにしていたのですが、でも前回
線路を歩いていない区間はそっちを歩いちゃったり、他にも「鉄」を離れての恰好
な被写体にレンズを向けたりしていたので、なんだかんだで時間を食ってしまい、
およそ10kmの行程を歩いてようやく、位置的には手前になる個人所有の保存電
車の前にやって来たのは、日も傾いた15時頃。
 
 
 
 柵越しに電車を眺めていると、サンダル履きのおぢさんがやってきました。目が
合ったので会釈などすると、
 
「中、見てきます?」
 
 え?・・・・・・・・・・・・・・・なんと当のオーナーなのでした!
 
 でま、好意に甘えることにして、ニス塗りの車内のロング・シートに座って暫く
話したのですが、いやいや、色々なお話が伺えました。ここで病院を営む彼は廃止
反対運動の先頭に立っていた人で・・・・・・ま、色々な話です。電車がここへや
ってくるまでの話もありました。ガレージを建て直してスペースを作り、線路を敷
いて、電車を置いて、屋根を作り・・・・・・ちょっとした高級車が買えてしまう
ほどの費用がかかったそうです。
 
 そういえば「レイルマガジン」の「トワイライトゾーン」で取り上げられた折、
まだ駅構内にあった頃の、シートを被ったこの電車の写真に「もうちょっと丁寧に
被せた方が云々」とあったのに不満な様子で「あれは足りんかったんや。いっぺん
電車の屋根に上がってみいや。おっかないで(笑)」。確かに。クルマとは訳が違
いますよね。事情を知らない人は、言いたい放題だからなあ。でもRMとトワイラ
はお気に入りのようですよ。
 
 運んでしまえば、取り敢えず一段落。あとは手入れをしていく(末期の野上の電
車達は整備も行き届いておらず、かなりくたびれていた)訳ですが、
 
「外装は、近所の人が手伝ってくれたんやけど、忙しゅてやりかけのまんまでな」
 
 そういえば、前に来た時もパテだらけだったけど、あれから変わっていない様子。
ところで塗装の剥げたところに、緑色の下地が出ているので、おやと思い
 
「この色って、ひょっとして昔の色なんですか?」
 
「え? ああ、そういやこんな色やったなあ。そうそう」
 
 意外な発見です。
 
 これ以上お金をかけるのもしんどい、という訳で(そりゃそうでしょう)、あと
は暇を見付けてはこつこつと手入れをしていく由。車内のニス塗りも少しずつ進ん
でいて、「ここが塗ったとこで、こっちがまだ。ほらキレイなっとるやろ」とちょ
っと自慢げに話す目が、なんだか無邪気で・・・・・・いやいや小僧が目上の人を
こう言うのは甚だ無礼なのですが。
 
 床は、残念ながら木ではなくて樹脂のシートなのですが、ひょっとしてこれを剥
がすと・・・・・・・・?
 
「10年位前に乗っただけなんですけれど、結構揺れた覚えが・・・・・・」
 
「そうそう、吊り革がおおきう揺れてな。ここ(網棚)にがっつーん、がっつーん
 て当たってな」
 
 網棚の枠は木製で、確かに吊り革のある側が細かく凸凹になっています。なるほ
ど、これが生きた道具の表情なんだなあ、なんて。
 
 ところで野上電鉄で所有していた部品、塗料などといったものは、みんな引き取
ってしまったそうで、これから大事に使っていくとの由。それを欲しがるファンの
声も多かったようなのですが、野上電鉄自身、残務処理でそれどころじゃなかった
こともあったでしょうし、こうしてひとつの形として保存してくれる人の元に置い
ておくことの意義を考えると、これで良かったのでは、と思います。
 
 このオーナーの話によると、この電車の手入れが行届いた暁には、まず自分の購
読して来てたまりにたまった鉄道雑誌、それから野上電鉄に関する資料類などを展
示、閲覧出来るようにして、一般に開放したいとのこと。自分の病院に通院する患
者にも利用して欲しい(病院はすぐ向いにある)、と語るのでした。
 
 ここまで来ると、単なる「酔狂な趣味人」などではない、話を聞きながらその気
持ちを共有したくなって来る「何か」があって・・・・・・この土地にはなんの縁
もゆかりもなく、ただその昔ここの電車に1往復乗ったというだけの私なのですが、
なーんか、しみるんです。私もニス塗りを手伝いたいなーなんて。いや、楽しみを
奪うことになっちゃうかな?(ぉ
 
 それはともかく、「かつてここに電車が走っていた」ことを、後々の世代に語り
継いで欲しいなあと、切に願う私なのでした。その誕生の経緯、そして消えてゆか
ねばならなかった理由・・・・・・・そこからは単なる「鉄道趣味」に留まらない、
様々なことを考えさせてくれるようです。将来ここに、近所の小学校で社会科見学
に来る様になるかも知れませんね。私の住む川崎にも、かつては路面電車が走って
いたのですが、とある公園に残る1両の保存車両を見ることで、それがリアリティ
ーを伴って認識されるのでした。
 
 電車がやって来てすぐ、ここで飲み会をやったそうです。ジャズをやっている友
達を呼んで、ここで演奏してもらったとか。私の知り合いに、飯田線で時々「ゲタ
電号」を借り切って宴会を開く人達がいるのですが、そうそう、電車のスペースっ
て結構丁度良いんですよね。ぉぃぉぃ
 
 将来は電気も引きたいとのこと。うーん、段々「秘密基地」的なノリになってく
るんじゃ・・・・・・・?(笑)
 
 
 
 さて1時間ばかりお邪魔したところで、礼を言って電車を降りる私。もう背中が
蒸れるようなこともない夕暮れの空気の中、もう1両の保存電車がたたずむ「くす
のき公園」へ。
 
 前回の時は、ほんとに最終日の姿のままだったのですが、すっかり奇麗に塗り直
されたぴかぴかの姿がそこにありました。ただ、ヘッドマークはそのまま。前は野
ざらしだったのが屋根も作られて、この電車を紹介する看板も添えられています。
被写体として見るとこの屋根はちょっと残念なのですが、奇麗にしてもらってなに
より。タイム・リミットがあるので冬至前後とはいえ夕焼けには若干時刻が早いま
まにそれなりの撮影をし、登山口の駅へと急ぎます。
 
 前回ではここの駅にも何両かの車両が残っていたのだそうですが、今では2両。
しかもその2両の部分以外は既にレールが剥がされています。聞いたところによる
と、日方にいる電車は引き取り手が決まっているそうなのですが、こちらの電車は
スクラップになる運命だとか。レールについても既に行き先が決まっていて、この
電車共々「キロいくら」で処分されていくのだそうです。
 
 でまあ、バスに乗り込み、海南へ。今回の小旅行が「不毛」な行程であることは
予め承知していて、そしてそれを楽しむつもりだった私なのですが、いやいやいや
いや、意外なところで意外な出会いがあって、なんだかそれが嬉しくて。縁が無か
った、縁が無かったと思っていた野上電気鉄道。しかしその実意外とそれがあった
のでは? と今更ながらに思いはじめていたりする私なのでした。いや思い過ごし
だろう、いや、でも、うーん、と考えているうちに、窓の外には電飾ぴかぴかの木
が見え、バスは海南駅前到着。うん、また来よう!
 
 
 
 再び電車を乗り継いで、なんと帰りは新大阪から一気に東京まで新幹線! おお、
これは快挙です。帰りも鈍行でいいやと、さっきまで考えていて、この列車もはじ
めは米原で降りるつもりだったのですが、いやいや、気分が良いのでちょっと奮発
しちゃえ、と。
 
 でま、うつらうつらしているうちに列車はもう多摩川を渡り、第二京浜を跨ぎ、
戸越銀座をすり抜け、そして品川駅をかすめる時にちょっと臨時ホームを見てみた
のですが、おお、並んでいますね、大垣夜行の列。でも、でも、23:00を過ぎ
ているというのに、今から並んでも十分座れそうな塩梅ですよ。うーん。臨時もい
るとはいえ・・・・・・・・あとで在来線の窓からも見ましたけど、既に列車は入
線していたのですが、やっぱり空いていたなあ。まだピーク前とはいえ、うーむ。
 
 
 
                          CUB